第5話
寒い冬の街の中で、キュンは一向に売れない。
キュンはいりませんか。
「ばあ様や、珍しいものが売っているぞ。キュンだという」
「ああ、じい様。昔はいっぱい売っていたのにねえ。あなたキュン売りなんて珍しいね」
幸せそうな老夫婦。
二人でお揃いの赤いマフラーをしている。
二人ともが笑顔で、同じような深い笑いジワが顔に刻まれている。
お嬢さん、一つ下さいな。
幸せそうな老夫婦にキュンは必要なさそうに思えた。
本当にいいのだろうか。それも私のキュンなんて。
「……あ、はい。私なんかの商品で良いんですか?」
「あなたの商品が良いんですよ。優しそうな顔のあなたのキュンが」
おばあさんは本当の天使に見えた。
「こんな寒いところで、大変たったでしょう。私たちに合うキュンを選んでくださいな」
私は、一人でいる寂しさに耐え切れずにひたすらキュンを燃やしてしまっていて、残りのキュンはほとんどなかった。
売れるものといったら……。
慌ててキュンを探すが、出てきたのはとっておきのキュンだけだった。
……これは、二次元彼氏のマサハル君と過ごす時のためにとっておいた大切なキュン……。
このキュンと、七面鳥でマサハル君とクリスマスを過ごす予定だった。
それでも、この人たちにだったら売っても良いって思えた。
こんなに暖かい気持ちにしてくれるこの人たちには、とっておきのキュンを売ろう。
こんな気持ちにさせてくれる人達には、もうお代なんていらないかもしれない。
「これをどうぞ。お代はいりません。お二人に優しいクリスマスが訪れますように」
そう言ってキュンを渡した。
マサハルと名前が書かれたキュン。
マサハル君カラーの装飾にデコられていたキュン。
見る人が見ればわかるのだが、一般人から見れば、可愛い飾りのついたキュンとだけ思うんだろう。
「あら、可愛いキュンですこと。……あら? これ、おじいさん、マサハル君のキュンですよ」
「なんじゃ、マサハル君って?」
おばあさんの言葉にドキッとした。
……マサハル君がバレた。
……一般人にはわからないはずなのに。
……何か言い訳しないと……。
「……あ、いえ、一番良いキュンはもうこれしかなくて、とても良いキュンです。 変なキュンではありません……」
「あなた、マサハル君が好きなのね。私もよ。 気が合いますね」
おばあさんは、そう言うと、私の手を取ってくれた。
「私は、このマサハル君の中の人の母親なのよ。このキャラクターの声良いでしょ?」
マサハル君の……、お母様……?
「うちの子、ずっと声優になりたいって言ってて、やっと夢をつかんだのが、このキャラクターなの」
私は、おばあさんに手を引かれて立ち上がった。
「今から私の家にいらっしゃい。ちょうど息子も来ててね。一緒にパーティをしましょうか?」
優しいおばあさんの手は、とても暖かかった。
私は、マサハル君への気持ちが溢れ出してしまった。
「……中の人ってことは、もしかして名前とかって呼んでもらえたりしますか? 言ってもらいたいセリフとか、シチュエーションがいっぱいあったりして。図書室とか、公園のブランコとか、オフィスでとか、いっぱいいっぱい! えっと、ああ、今日はノート持ってきてないか。けど、スマホにいっぱいあるんで、これで行きましょう! 行けます! 行けます! 十分行けます! すごい、これって神様のくれた巡り合わせですね! この、マサハル君用のキュン持ち歩いてて良かったです! 燃やさないでずっと持っててよかった。あなたのような人に譲ろうとして良かった……」
「……良くしゃべるお嬢さんですね、そんなに好きなのかい?」
「そう、大好きなんです。私。もうマサハル君に会えるなら死んでもいいって思ってて。これって奇跡ですよ。ありがとうございます。神様っているんですね、こんな聖夜に。とっても感謝です」
「それじゃあ、行きましょうか」
そういって、マサハル君のキュンを持って、おばあさんと、おじいさんと共に歩き出した。
今まで燃やしたキュンの燃えカスは、そのままそこに置いたまま。
ゴミくらいは片付けようかとも思いましたが、悪いことしちゃいましたかね。
それよりも、嬉しくて。
本当に良かった。
こんなリア充だらけの街よりも、2次元ですね。やっぱり。
キュンは2次元にありですね。
2.5次元って言うのかな?
マサハル君の中の人って、ネットで見た事あるけど、それもイケメンで。
会えるのかー。
2次元マサハル君に会えるようにちゃんと正装してきて良かった。
本物に会えるんだ。
うふふふ。
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