Dice

藍生朔

第1話


 God does not play dice.


 神はサイコロを振らない。かの偉人、アインシュタインの言葉だ。

 ところで、紀元前より昔、カエサルは「ālea jacta est」と言った。


 賽は投げられた。


 神がサイコロを振らないのなら、一体誰が賽を投げるのだろうか。そう、例えばおれとか。

 ああ、信用していないですね。ただのディーラー風情が、という顔をしています。

 うーん、とても不本意なので、ここでひとつ、おれがサイコロを振ってみせます。いいですか? ⚀を出しますよ。

 ほら、⚀です。ね、おれはサイコロを振るんです。え? 一回なんて偶然だろうって? ではもう一回やってみせましょうか。おれは何回だっていいんです。あなたが納得してくれるなら。

 ほら、やっぱり⚀です。え? 今度は手品だって言うんですか? おれ、そんなに手品師っぽいですか? このシルクハットがいけないのかなぁ。気に入っているのに。

 じゃあ、あなたの希望する数字を出しますよ。いくつですか? ええ、はい、ほら、どうです? これでもまだ、おれは信用されていないんですか?

 何度だって出しますよ。どのサイコロだって関係ありません。関係あるのは、おれが振るかどうか、だ。だからそろそろ信用して下さいよ。おれは、あなたのサイコロを振りにきた。


 意味がわからない、という顔ですね。人は常にサイコロを振っているんですよ。例えば遅刻しそうなときに電車を使うか、タクシーに賭けるか。急ぎの食堂で、蕎麦にするか、カレーにするか。そんな些細なことから、人生を賭けた試験で、二択まで絞った問題で賭けに出る。勝つときもあれば、負けるときもあるでしょう? 勝ったときは運がよかった程度にしか思っていないんじゃないですか? それは勿体ない。そのときあなたは賭けに勝ったのに。もっと喜ぶべきです。だってあなたのサイコロは最高でも五十パーセントの確率でしか、勝てない。


 それにね、人は一生の内に振れるサイコロの回数は決まっているんです。


 そろそろおれの言いたいことがわかってきました? うん? わからない? 鈍い人だなぁ。

 つまり、あなたはあと一回しかサイコロを振れない。勿論、どこで振るかはあなたの自由ですよ。次のアルコールのカクテルを決めるのに使ってもいい。大事に大事にとっておいて、死ぬ間際に使ってもいい。

 でもね、あなたは運がいい。最後の一回のサイコロを、あなたの運に任せる必要がない。おれがいるからです。おれがあなたのサイコロを振ります。あなたの欲しい未来をお約束します。


 あれ? もう店を出るんですか? え? 悪酔いした? あなた、まだお酒を飲んでいないじゃないですか。まぁ、いいですけれど。

 え? おれ? ついて行きますよ。おれはあなたのサイコロを振るためにいるんですから。あ、今、エレベーターの階数を見ましたね。階段を使うか、迷いました? 賭けましょうか? え? 止めるんですか。おれのことを信用していない割には、慎重ですね。いいことです、賭けごとには慎重さが必要です。


 賭けごとに必要なのは勇気と大胆さと言う人もいますが、おれに言わせれば自身の身の程を弁える慎重さです。何ごとも身の程以上のものを求めてしまえば、破滅します。あなたは慎重だ。


 うん、階段は運動にもなりますからね。って、上に行くんですか? このビル、九階までありますよ?

 もしかして、おれを引き剥がそうとして、わざとやってます。はぁ……、いや、おれはこれくらいじゃ、……は、いなくはなりませんけれどね。はぁ……おれは、あなたの、サイコロを、振ってみたい。


 なんでそんなにあなたに興味があるか、ですか?

 はぁ……、だってあなた、全然サイコロを振らないじゃないですか。朝はきっちり毎日電車通勤、寝坊もしない。昼は決まってコンビニのサンドウィッチ。具まで決まっている。おれもハムとチーズとレタスの組み合わせは嫌いじゃないですが、毎日は無理です。危ない橋は渡らない。慎重で、用心深い。試験勉強だって、一夜漬けなんてしたこと、ないでしょう?


 そういえば、あなたは昔からそういう人でした。「どっちがいい?」と選べる権利をもらっても、必ず相手に譲ってしまう。そういう賭けにでているのかとも思ったけれど、そうじゃない。あなたは本当にどっちでもよかった。苺味でもオレンジ味でも、鉛筆でも消しゴムでも、何でもよかったんです。それは二人組のグループを作るときにも言えた。そんな人、います? 無欲にも程がある。もしかしたら自分が不利になるのかもしれないのに。


 あなたは自分でサイコロを振ることに、とても慎重だ。今まで何度人生の賭けにでたか、覚えていますか? 覚えているでしょう? だって、ゼロ、です。ゼロですよ、一回も賭けに出ていない。これは慎重を通り越して、異常だ。

 だから、おれはあなたに興味があるんです。

 あなた、これからはじめて賭けにでますね。そしてその賭けにはおれがついている。絶対に勝てる賭けだ。

 あなたは賭けをする前から、賭けに勝ってるんです。とても、いい。


 ところで、ここより上のフロアに行くつもりですか? そこは屋上ですよ?

 ねぇ、屋上に上がる前に、あなたのことを教えて下さい。 もう十分知っているじゃないか、ですか? おれが知っているのは、あなたの賭けの具合についてだけです。あなたがこれからはじめての賭けにでる理由まで、おれにはわかりません。そしておれはそこに興味があります。


 あなた、屋上で何をするつもりですか?


 確かにあなたは不幸な家庭でした。ご両親は早くに亡くなってしまった。親戚の家を転々として、そこでは冷遇もあったことでしょう。学校では、その慎重で真面目な性格が災いして、いじめにも遭いました。はじめて務めた会社は所謂ブラック企業でした。

 でもあなたは今、転職して成功している。この間資格試験も受けましたよね。その結果は来月返ってくる。あなたのことだ。きっと受かっている。

 恋人もできましたよね? 目立つところのある人じゃないかもしれないけれど、あなたには優しい人だ。そして誠実な人だ。無闇な賭けごともしない。あなたへの告白だって、とても慎重だった。不確実な事柄なんて、ひとつもなかった。

 ああ、気づきませんでしたが、お腹に赤ちゃんもいるんですか? そんな人が、夜のビルの屋上に何の用ですか?


 何をそんなに急いでいるんです? もっといろんなことを考えましょうよ。夜はまだ長い。おれとあなたは出会ったばかりだ。話すべきことはたくさんあるし、あなたが賭けることはもっと他にあるかもしれない。

 そりゃ、おれはサイコロを振るだけの存在ですけれどね。でも後味の悪いサイコロは振りたくないんですよ。


 何が「後味が悪い」のかって? みなまで言わせないで下さいよ。おれ、こういうのは嫌なんです。


 って、ちょっと、屋上、上がっちゃうんですか? もうちょっと、え? 時間が? さっきから何をそんなに時間を気にしているんです?

 ああ、もう、おれも行けばいいんですねっ。わかりました。


 ドア、簡単に開いちゃいましたね。ビルの管理が大丈夫なのか、心配になります。ああそうか、あなたはそれも知っていた。賭けなんて何もしていない。


「うるさい」ですか。わかりました、黙ります。ただ、理由を。え? 空? え? 何?


 え? え? 何ですか、これ? たくさん星が。流れ星が。


 今日? 二〇二二年の八月十三日です。あ、ペルセウス座流星群っ? ああ、それで時間が。


 それで? あなたは、この流れ星全部に願い事をかけるんですか? 無謀だ。

 いや、無謀じゃない。おれがいるから。おれがいるから、その賭けは、あなたの未来は約束されました。

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