第2話 監獄
目覚めて最初に感じたのは、鼓膜が破れそうなほどの怒声と、真冬の冷たい水の温度だった。
「さっさと目を覚まさんかぁ!!」
「ぐっげほっ!!!」
目の前には屈強な男が一人、バケツを持ってこちらを見下ろしていた。恐らくこの男が眠っている俺を起こしたのだろう。髪から顔に滴り落ちる水を手で拭おうとするが、そこで初めて自分が拘束されていることに気づいた。両手両足、そして首元を黒いリングのようなもので椅子に固定されていた。
見渡すと六畳ほどの白い部屋の真ん中に座らされているようだ。正面の壁には大きな鏡が備え付けられていて、後ろの壁の扉が反射している。俺は病院で着る検査着のようなものを着ている。顔や関節部などに痛々しい青あざがあるが、取り押さえられたときに打ったものだろう。口の端も切ったのか、かさぶたができている。
それにしてもいったいどういう状況なんだ。この男はいったい誰だ。
「ここはどこなんだ。俺をだれかわかってっ」
言い切るのを待たず、目の前の男が躊躇なく俺の腹を警棒で殴る。みぞおちに入った。息が詰まり、うまく呼吸をすることができない。
「貴様が口を開いていいのはこちらが質問した時だけだぁ!!」
見覚えがある。この男、というよりもこの男の制服。魔法監獄の制服だ。対魔局の特集で何度か映っていた、
屈強な男はこちらがおとなしくなったのを確認すると、黙って壁際に移動した。男のせいで見えていなかったが、男の後ろには一組の男女が立っていた。
男は背広に黒縁の眼鏡、きっちりと七対三に整えられた髪型は男の性格を表しているようだった。女のほうは男とは反対に派手なドレスを着こなし、けだるそうに壁にもたれかかって、髪の毛の毛先をいじっていた。
七三の男がこちらに三歩近づいて、口をひらく。
「状況は理解しましたか、いくつか質問をするので、正直に答えるように」
状況は大体理解できたが、なんだか囚人相手に丁寧なしゃべり方をする男だと思った。でもすぐに考えを改めた。これはこちらに敬意を持っているのではなく、関わらないようにするために距離を置いているだけだと気づいたからだ。
男は後ろ手に持っていたバインダーを開くと、淡々と質問し始めた。
「あなたの魔法の内容は何ですか」
魔法の内容なんてわかるわけがない。自分の意志で発動したのでもなければ、見たのすらたったの一回なのだから。
「知らない」
この言い方が気に食わなかったのだろう。黙って立っていた壁際の屈強な男が、再び声を荒げる。
「口の利き方に気をつけろ!この犯罪者の精子以下のゴミくずがぁ!」
壁際に立っていた男が警棒を手にこちらへ近づこうとする。またあの一撃を貰うと身構えたが、七三の男が手を挙げて制止した。
「いや、あなたは知っているはずです。こちらはあなたの魔法に関する情報をすでに得ている」
男はバインダーを閉じて一歩こちらへと歩み寄る。その眼鏡の奥からはなに一つの心の動きも読み取ることができない。まるで暗闇を覗いているようだった。
男はやはり淡々と言葉を続ける。
「こちらにはあなたを破棄する権限があります」
破棄、おかしな響きだ。まるでモノ扱い、いや、魔法使いに人権はないことを考えると、間違った表現ではないのかもしれない。思った以上に俺の状況は人生の瀬戸際にあるようだ。つまりこの男が言いたいのは、死にたくなかったらわからなくても答えろということだろう。
「もう一度聞きます。あなたの魔法は何ですか」
淡々と綴られる命のかかった質問に冷汗が湧き出る。とにかく、どう答えるべきか少し整理すべきだろう。魔法の情報を得ているというが推測するに彼らが手に入れられるのは町中の監視カメラ、車載動画、トラック運転手の証言、警備員の証言、通行人の証言ぐらいだろう。
なるほど、こうしてみるとあちら側が手に入れている情報は俺が知りうる情報と大して変わらないわけか。こいつらがしているのは恐らく答え合わせ。俺がするべき行動は、あのとき見たものをそのまま伝えるのが最善、だと思う
。
「...恐らく、黒い人型の影を出して、操作する魔法、です」
男は特に表情を変えず、バインダーの資料を十数秒眺めると再び口を開いた。
「次の質問です。
これはよく覚えている。カーブミラーに映っているのを見た。
「俺が見たときは一つだけ、です」
「魔法を使用する条件は何ですか」
条件。魔法を発動させる際の一定の手順。おれの場合条件がどれにあたるかは正確にはわからないが、これまでの人生で魔法が発動しなかったことを考えると、これまでの人生にはないもの。思い当たる節は、大学受験、事故の二つ。まあ、事故だろう。
「正確にはわかりません、が、魔法が発動した状況から考えるに、一定以上の身体へのダメージではないかなと、思います」
男はこちらの返答を聞きながら、いくつか資料にメモらしきものを書き込んでいる。
「魔法を使う代償は何ですか」
代償。これは条件の中でも必ず存在する魔法の発動に伴って消滅するものを指す。多いのは身体の欠損や機能の喪失だが、これに関しては全く思い当たる節はない。むしろ体の調子はいいぐらいだ。ここは正直に答えるしかないだろう。下手な推測をして嘘をついたと思われても困る。
「わかりません」
呆れるほどの自分が人畜無害な人間ということが男に伝わっているとよいのだが。
七三の男は眉間にしわを寄せながらしばらくバインダーを見つめると、後ろの女のほうへと振り返った。女は男が振り返ったことに気づくと、いじっていた髪を手放しこちらをじっと見つめる。その目はこちらを見ているようでどこも見ていないような不思議なまなざしだった。
しばらくこちらを見つめた後、ふいに目線を外し男に向かって軽く首を横に振った。この動作が何を意味するのか分からないことが、俺を余計に不安にさせた。
男は女の反応を確認すると再度バインダーの資料をぱらぱらと流し見して、壁際の屈強な男に向かって指示を出した。
「これは破棄でお願いします」
この男が言った言葉をうまく聞き取ることができなかった。破棄って言ったのか。破棄っていうのはつまり、死ぬってことか?
心臓が異常に速度を上げるのとは対照的に、顔から血の気が引いていくのを感じる。
「なんで!!」
七三の男は一瞬こちらを見たが、答える気はないようで、後ろを向いて背広の襟を少し正してからゆっくりと歩き出す。
こんなおかしなことがあるか。急に魔法使いだと分かったとたん、捕まえられ、水をかけられ、殴られ、おまけに殺されるなんて。そんな不条理なことがあるか。おかしい。そんなことって。
「おい待てよ!!!この野郎!!ふざけやがって!!」
「黙らんか!!」
警棒で顔を殴られる。とてつもなく痛い。一瞬意識を手放しそうになる。
だがそのおかげで逆に少し頭が冷えた。わめいても仕方がない。考えなければ、なにか返答を間違えたのだろうか、いやそもそも破棄の基準はどこにある。危険性?いや、それほど俺の魔法の危険度は高くないはずだ。たがだか大男相当の影を呼び出すだけだぞ。
鏡越しに七三の男が扉に手をかけるのが見えた。まずい。何とかあの男を引き止めないと。何か言わないと。何か、なんでもいい。あの男を引き止めるような言葉。
「魔法の内容について、訂正があります!」
その言葉に七三の男はぴたりと立ちどまる。食いついたのか?
男は少し開けた扉を閉め、こちらへと振り返った。取りあえず時間は稼げたようだ。
「…あまり時間がないので、一度だけ、訂正を許可します。」
考えろ。なんとなく咄嗟に出た言葉だったが、糸口がそこにあるような気がした。あの事故の瞬間、影以外にもあった違和感があったはずだ。なんだったか。
口の中で血の味が広がる。歯が折れているかもしれない。
「まだでしょうか」
男は腕時計を目の前にかざしている。
怪我、そういえば以前魔法監獄の特集でなにか言っていたような。お昼のワイドショー、世間を騒がせた魔法使いが逮捕され、魔法監獄に収監されるという話題で魔法監獄が特集されていた。確か、お昼のワイドショーのご意見番が魔法監獄の所長と討論していたのだ。
『魔法使いなんて危険なだけでしょうに、なんで国民の税金を消費してまで生かす必要があるんですかぁ!全員死刑にすればよろしいでしょう』
『いや、ご意見はごもっともなんですがね、魔法使いもいろいろと使い道があるんですよ。単純に労働力として使えば、その分利益を生み出しますし、殺すにもお金がかかりますからね』
『とはいってもねえ、危険な魔法使いが何百人もいて、もし脱走されたりなんかした日にはねえ』
『心配無用ですよ、日本一厳重な警備に加えて、監獄内では一部を除いて魔法なんか使えませんから絶対脱走なんてできませんし、危険すぎる、脱走の可能性がある魔法使いは処分するか、指一つ動かせない状態で保管してますから。それに危険な魔法ばかりというわけではありませんよ。うまく使えば人類に恩恵をもたらすような魔法もあります』
『今の発言、魔法擁護にも聞こえますぉ』
『誤解しないでいただきたい。魔法とは忌むべきものです。しかし、その現象を科学や医療の発展に使うことはできるはずです。例えば人間を強化する魔法を誰かに付与させた状態で脳内の活動やDNA配列を検査する。もしその強化された状態が科学の力で再現できれば、魔法を使わずして健康寿命を伸ばすことができるかもしれません。例えば単純に、不死身の魔法を持つ魔法使いに臨床段階にない新薬を投与して反応を計測する。これだけで大きく医療は進歩する見込みがあります。実際、監獄内ではそういった研究も行われています。要は使いようなんです』
そうだ、確かこんなことを言っていた。
「訂正がないなら失礼いたします」
怪我、不死身、再生。影を操る以外のおかしなこと。
俺は今まさに閉じようとする扉に向けて大声を張り上げた。
「俺の魔法は身体を再生させます!」
閉じようとしていた扉が動きを止める。この次の展開が自分の生死を決める。そう思うと、気絶しそうなほど鼓動の音が大きく聞こえた。
少しの静寂のあと話し声が聞こえ始めた。七三の男は扉の向こうで先ほどの女と会話しているようだった。
こぶしを握りこみすぎて、開き方がわからなくなってきたころ、扉がゆっくりと開き、七三の男が先ほどより明確に眉間にしわを寄せて戻ってきた。
ほっと’一息つきそうなところを引き締める。ここからだ、まだ安心できない。
こちらに顔を寄せると、七三の男は眼鏡を少し上げ、俺の体を検分し始めた。
「おかしいと思いませんか。トラックと事故を起こしてこの怪我の具合は!」
そうだ。ガードレールがひしゃげるほどの勢いで衝突されてこの程度の負傷はおかしい。
「実際事故を起こした瞬間は、下半身が動きませんでした。恐らく脊椎を損傷したか、足を両方骨折していたと思います。しかし、魔法を発動した後に滞りなく動くようになりました」
男の視線が顔の青あざに止まる。おそらく男はこの痣を見て奇跡的に軽症ですんでいたと解釈していたのだろう。
「これは対魔局に捕まる際についた痣です。その時は魔法は発動していません。なのでトラック事故の傷は何一つありません、だがそれはあり得ない。つまり、再生したと考えられます」
七三の男は再びバインダーを開き、ぶつぶつと何やら独り言をつぶやき始める。
俺は半ば祈るような気持ちで判定の結果を待っていた。死と生の狭間で揺れ動く綱の上を渡らされている気分だった、
男は再び女のほうと何やらアイコンタクトを交わしたあと、壁際の屈強な男に向かって口を開いた。
「とりあえず、これはC級です。一般棟に入れておいてください」
七三の男はバインダーを閉じると、こちらに一瞥もくれることなく出口に向かって歩き出した。
全身から力が抜ける。何とか命は首の皮一枚で繋がったらしい。汗が滝のように噴き出した。とにかく生きていられる。こんな当然なはずのことが何よりもうれしく感じる。
「承知いたしました!」
安心したからだろうか、屈強な男が敬礼するのがなんとも軍隊のようで、対魔局は自衛隊に次ぐ軍事力を保有しているという噂はあながち間違ってないかもしれないな、とどうでもいいことが頭をよぎった。
女のほうも七三の男のあとをついて扉を出ていく。出ていく直前、鏡越しに目が合ったような気がしたが、何故か男に一発殴られたのでよく見えなかった。
「さっさと歩け!!」
屈強な男について歩く。黒いリングのようなものはそのまま椅子から外れると、手首のところが手錠のようにくっついた。きっと足の部分も同じようにできるのだろう。
白い部屋を出て、しばらく同じような廊下を歩くとほかの建物との連絡通路に出た。通路はガラス張りで誰かが通っていると一目で外からわかるだろう。突き当りまで進むと金属の扉が見えてきた。両脇には小銃を持った看守が立っている。
「囚人番号1395-1C収監のため通行許可を申請します」
向かって右に立つ看守が、タブレットを確認する。
「確認しました。通行を許可します。お気をつけて」
金属の扉は二重になっているようで、入った中にはもう一つ金属の扉があった。男が扉に近づき、のぞき穴のようなところに顔を近づけると、ガシャンという開錠音とともに扉が開く。
「さっさと来い!」
扉を抜けると廊下に出た。先ほどの建物とは打って変わって錆や経年劣化が目につく。廊下には扉とは反対側に鉄格子のついた窓が等間隔に並んでいた。構造的にこの窓の位置は建物の内側についていることになる。中庭でもあるのだろうかと軽い気持ちで考えていたが、想像を超えるものがあった。
どうやらこの建物はドーム状になっており、壁に沿って牢屋が半円状に並んでいた。ドーム状なので壁で周りを囲まれてはいるが、ほとんど屋外のように感じた。そして異様なのは真ん中に空いている大きな穴だ。見たことはないが、もし地獄があれば入り口はこんな風だと思った。それほどまでに深く暗い穴に向かって囚人たちが落ちて行っていたのだ。
もしかしたら、安心するのは少し早かったかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます