ド田舎国家のド不仲父娘
声の主は、部屋の入口に立つ壮年の男。
お嬢と同じ赤毛のくせに、似ても似つかない厳しい髭面。複雑な飾り模様が彫り込まれた杖に、スティルベル特有の刺繍が入ったローブといった豪奢な装い。
なかでも、いちばん目を引くのは右脚でしょう。
いわゆる隻脚というもので、膝から下が欠けていました。
「なにを下らないことを語っているのだ、エイル」
「……お父様」
げ、とお嬢が顔を顰めます。
「お前もだ、ランネル。嫁入り前の娘の髪にいったい何をしているか」
オレもお嬢と同じ表情を作りました。
「だぁって、お嬢がオレだったら良いって言うんですもん。ファルサ様だって、オレを世話係として認めてくれたじゃないですか」
「それはエイルが小さかったからだろう。あれからもう七年になるが?」
「期限とか決まってませんでしたし?」
「常識というものがあるだろう! 年頃の娘の部屋に入り込んで世話を焼くなど」
ここだけ聞けば、ただの子煩悩な男親ですが、彼がこの国の王様です。
ファルサ=シーカー。
スティルベルを街から国に変えた偉人にして、赤毛のクルスの一人息子。
若い頃はクルス様と共に旅をしていた、元冒険者でもあると聞きます。
脚だけ見れば同情を引く見目のくせして、その実態は厳格で口うるさいお邪魔虫。お嬢と一緒に居られる時間を邪魔されたのも、一度や二度じゃありません。お嬢が反対してくれなけりゃ、とっくにオレは解雇されているでしょう。
「近頃のエイルはお前のせいで、私の言うことにも耳を貸さずに――」
「ランのせいじゃなくて、あたしが嫌だから従わないのよ」
「ぐッ……!」
お嬢のひとことでファルサ様が顔を顰めました。
厳格なファルサさまと、冒険に憧れるお嬢。
そんな二人の相性が良いわけありません。
「旅に出たいって話をしても、すこしも認めてくれないじゃない」
「お前が大事な娘であり、この国の姫だからだ。お前は島に守られたまま、勤めを果たして生きればいい。それだけが、お前が幸せに生きられる道だ」
一生を島に囚われて過ごせ、とファルサ様は言い切ります。
もちろん、お嬢は納得するわけもなく。
「お父様だって、若い頃はお祖父様と旅をしてたんでしょ」
むッと睨んで、反撃を始めます。
「でも最後は、お祖父様とスティルベルを作る道を選んだ。それはね、とても素晴らしいことよ。でもね、あたしは世界を本のなかでしか知らないの。近くの国に渡ったことすらない。何も見せずに選べだなんて、理不尽だと思わない?」
「思わんさ。私が既に経験し、判断したことだ。わざわざお前を危険に飛び込ませる必要など、どこにもあるまい」
「あたしとお父様は違うわ。見るものも、感じることも」
「……だがお前は、働かずとも生きられる生活を送ってきただろう。その恩を誰に返すでもなく外に出るなど、島への裏切りに違いあるまい」
「それを言うべきはお父様じゃないし、あたしが居なくても島は困らないわ。お父様で一代目の王様だもの。正直、王様ってより村長みたいなものじゃない!」
「柔らかな寝床で眠り、飢えることなく暮らす立場で、なにを言うか!」
「お父様こそ、お祖父様の名声がなければ外交なんてやれない癖に!」
親子喧嘩が始まりました。
いつもの光景なので、焦ることはありません。
そもそも止めようとしたところで。
「あー、喧嘩でしたら飯のあとにしたほうが――」
「ランは口を出さないで!」「貴様は黙っていろ!」
こうなってしまうだけなのです。
仕方がないので、喧嘩の余波で落ちたシーツや本の片付けに努めます。
その間も、横目でふたりの様子を見ます。
「覚悟が必要だっていうなら、裸になって国を出るわよ!」
「覚悟など犬にでも食わせてしまえ。そんなもので、危険を退けられはせん」
「これでも力は付けたつもりよ。お祖父様の仲間たちに何年も揉まれたんだもん。そう簡単に死んだりしないわ」
「そうか、ならば――」
なにげなく、ファルサ様はお嬢の瞳に指を伸ばして――
「《
その指先にちいさな水の刃が渦巻きました。
額に凶器を突きつけられ、お嬢は身動きひとつ取れません。
蒼神ティールの紋章術。
水を操るその力で、彼は即席の武器を作り上げたのです。
「隻脚の男ひとりでも、この程度のことは出来る」
卑怯だ、なんて言い訳にはなりません。
旅のなかでの荒事は、正々堂々だけとは限りません。これが冒険の最中であれば、お嬢は既に死んでいます。本人もそれに気づいているのでしょう。悔しげに父親を睨みつつも、文句を言うことはありませんでした。
ですがこれは、親子喧嘩の域を超えています。
「……大丈夫よ、ラン」
お嬢に制されなければ、三十発は殴っていたところでした。
仕方なく拳を収め、傍観に徹します。
「如何に力を積んだところで、寝首にナイフを突き立てられれば死ぬ。危険のない冒険など何処にもありはしないのだ。そんな世界に娘を向かわせたい父親がどこにいる?」
お嬢の額から水の刃が離れていきますした。
ファルサさまは、疲れたように溜め息をひとつ落として。
「いいか、エイル。冒険とは炎のようなものだ」
言い聞かせるように語りだしました。
「灯る間は暖かく、輝きに人を惹きつける。しかしひとつの風で揺らぎ、わずかな雨に溶けるもの。よしんば庇を得たとして、最後は灰と散るだろう」
それをこの場で一番に実感しているのは、他でもないファルサ様でしょう。旅のなかで脚を失った元冒険者。娘を同じ目に合わせたくない、というのは、納得はできずとも理解はできる話でした。
「父親やラインとて、便りのひとつ寄越さぬだろう?」
「そう簡単に死ぬ人じゃないわ。お父様も知ってるでしょ?」
「それは……」
お嬢の言葉に、ファルサさまは目を背けます。
それから暫く何も言わず、やがて居心地の悪さから逃げるように、
「……忘れるな、エイル。冒険とは死を招く誘蛾灯に過ぎんのだ」
最後に捨て台詞をひとつ残して、ファルサ様は去って行きました。
残されたお嬢は俯いて、拳を握りしめています。
自分の夢を、父親に理解してもらえない。
相手が柔な女性であれば、その辛さに寄り添うべきでしょうが――
「あぁもうッ! お父様の頭って、
この人は、そうそう凹みはしないのです。
「ほんっとわからずや! こっちが下手に出てるからってぇ!」
「出てました? 言葉で斬り合ってた気がするんですが」
「殴らなかったじゃない!」
「つくづくお嬢が王族で良かったと思います」
平々凡々な生まれでこの性格ならば、百回は首を切られていたに違いありません。あるいは、無礼を理由に手籠めにされる、なんてこともあり得たでしょう。うらやまゆるすまじ。
「……ま、ファルサ様の言うことも一理あるとは思いますがね」
「なによ。ランはお父様の味方するの?」
「いやまぁ、やりすぎだとは思いますが、心配は分かるといいますか」
「ふぅん……、ていッ!」
お嬢はむすっとオレを睨み、それからオレの頬を抓りあげました。
いたいです。とても。すっごく。
「いだ、だだだッ! だって、たしかに危険じゃないれすかぁ!」
「あたしとアンタが一緒に居れば怖いことなんてないじゃない!」
「いやいやそうとも限らにゃッ、いづッ?! あぁもう、コラッ!」
「あッ、抵抗するなんて、生意気!」
これ以上は頬が腫れかねないと抵抗すると、お嬢も負けじと反撃してきました。後ろに反れば追いかけてきて、前へと出れば合わせて動く。なんというか、草花で遊ぶ子猫のようです。
そんな風にじゃれていれば、当然身体もぶつかるわけで。ちょうどいい大きさの胸だとか、ぷにぷに柔らかな二の腕だとか、絹より滑らかな髪だとか。あちらこちらが擦り寄ってきて。
これは、何とも、耐えがたい。
「……やめないと襲っちゃいますよ?」
ついつい口走った言葉に、お嬢はにぃっと笑って。
「やってみたら? あたしに勝てるもんならね!」
「そういう意味じゃなくって、ですね」
まったく、意味が、通じていません。
お嬢はもう十七歳。そういうことについてまったくの無知という訳ではないはずです。それでもこの反応というのは、よっぽど俺を信頼してくれていて、逆に言うなら男としては見られていないということです。嬉しいやら、悲しいやら。
「じゃ、どういう意味よ」
「その、なんと言いますか。お嬢と勝負は出来ないっていうか。ほら、ええと」
思わず、本当の意味を教えてやりたくなりました。
オレはお嬢が大好きです。
猫のように自由な心も、星のように美しい身体も、お嬢を形作るすべてが愛おしくってたまりません。その頬に手を伸ばして、身体をぎゅっと抱きしめて。溶け合うことができたなら。欲も想いもぶちまけて、素直になれたらどれだけ良いか。
けれど、そんなことは出来ません。
「オレはお嬢の従者ですから」
そうです、オレはお嬢の従者。
大事な主を護ってやって、笑顔が見られりゃ満足なのです。
それにほら、下手に想いを伝えたところで、上手くいくかも分かりませんし。
「ま、まぁ? 気を取り直して、そろそろご飯でも食べましょうよ」
「……いいけど、お父様と顔を合わせたくないし、街にいきましょ」
「どこにしましょう? 黒猫の欠伸亭か、ジレンの
「じゃあジレンのとこ! 久々に顔も見たいしね」
オレの欲望なんかのために、この幸せを喪うわけにはいきません。
だからオレは、これでいいんです。
これが、いいんです。
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