星と猫の国

欲求不満なふたりの日常

 朝露濡れの水瓶に、オレの姿が映っていました。

 すっかり見飽きた褐色肌。棍術の鍛錬で育った筋肉。茶とも黒とも付かない髪には、癖はあれども寝癖はなし。黄色の瞳は眠たげで、お嬢の前に出られる顔ではありませんから、軽く身体を動かしつつ、眼下の街を眺めます。

 色とりどりの塗料で染まった港街は、今日も朝から大賑わい。荷運び船出し、魚の水揚げ。まだ陽も昇ったばかりというのに、まったく元気が良いものです。

 

「よくもまぁ、朝からあんなに働けますねぇ……」


 あくせく働く港をよそに、大きな欠伸がこぼれます。

 ここスティルベルは、生まれたばかりの都市国家。

 竜の大陸の人々から南国と呼ばれる暑い地域に浮かぶ島で、主要な産業は漁業と貿易業。人口はちょっと控えめで、今後の成長に期待というか、発展途上というか――ぶっちゃけド田舎国家ってヤツです。

 星と猫の国、なーんて神秘的な呼び方もされますが、それも人より猫が多く、どこまでも星が見えることから付けられただけ。詩的に言って誤魔化すなんざ、なんとも小癪なもんですよ。

  

 そんな微妙な国ですから、城なんてものもありません。

 王族たちが住んでいるのは、街外れにある丘上のお屋敷。

 つまりはここ。オレが今いる場所でした。

 

 雲の色で塗られた石壁に、夕焼けよりも真っ赤な屋根。ところどころに、波や猫や星といったスティルベルの意匠が、海色の塗料で描かれています。窓や柵を形作るありのままの木材や、扉に飾られた鮮やかな花々のおかげか、緑だらけの島に相応しい、素朴で爽やかな雰囲気を醸し出していました。


 とはいえ、王族の住まいに見えるかと言えば微妙なところ。

 広さこそ、家屋を四つは繋げたくらいはあるものの、高さは一階分しかなく、絵画で見た異国の城には到底及びません。大陸の人々から見れば、せいぜい貴族の別荘程度。王族が住んでいるとは信じてもらえないでしょう。

 

 実際、このお屋敷は王城めいた大住宅ではありません。

 たった二人の王族と、数名の従者が住んでいるだけ。

 そのうちの一人がオレでした。

 姫様の――お嬢の護衛と世話を任されているのです。


「お嬢ー! 寝てますか? 寝てますよね? 入りますよ?」


 いつもどおりに扉を開けると、夢に満ちた部屋が広がっていました。

 本棚から溢れた書物は、そのほとんどが冒険譚。歴史や地理の本もありはしますが、為政者が読むものというより、世界に焦がれる夢追い人が好むもの。作りの良い家具ですら、街の子供が作ってくれた貝殻細工や、剣の手入れに使う砥石の置き場になっていました。

 王族らしいものなんて、家族の肖像画くらいです。


「まーたこんなに散らかして。掃除すんの誰だと思ってんですかね」


 微笑ましさに浸りつつ、部屋の主に近寄ります。

 ぐーすかぴーすか寝息を立てる、真っ赤な髪のお姫様。

 窓から差し込む朝の光が鬱陶しいのでしょう。猫のように身体を丸めて、シーツをぎゅうっと抱きしめていました。いやぁ、なんとも、眼福です。シーツになれたらどれだけ幸せなことでしょう。永遠に見ていられたらいいのに。

 とはいえ、お嬢を起こすのも仕事なわけでして。


「ほらお嬢、ぼちぼち朝ですよ?」

「んぅ?」


 肩をゆっくり揺らしてやると、翡翠の瞳がわずかに開きました。

 

「………………まだ、あさよ」


 見事なまでのぼけぼけ顔。

 思わず顔がにやけますが、ずっと見てもいられません。

 

「そうです、もう朝なんです。ほらほら起きてくださいよ!」

「まーだーあーさぁ!!」

「うぉッ?! あぁもう、シーツを投げちゃダメ、で……」


 シーツの向こう側には楽園が広がっていました。

 スティルベルは太陽の通り道にある、夜すら蒸し暑い国です。

 つまりは、眠るときもとうぜん薄着なわけでして。


「……あぁくそ。普通は男が部屋に来たら、悲鳴のひとつは上げるもんでしょうに」


 赤髪から覗く美味そうなうなじ。滲んだ汗に照る白肌。綺麗な形の膨らみが、寝息に合わせて上下していて、形にならない寝言すら、喘いでいるように聞こえてしまいました。

 ついつい生唾を飲み込んだオレを、いったい誰が叱れましょう。不埒な思いの三つか四つか百か二百、抱いたって仕方ありません。ずぅっと我慢しているぶん、褒められてしかるべきなのです。ホントに。

 頭をぶんぶん振り回し、身体の熱を逃します。


「ほら、身体だけでも起こしてください! 髪、整えちまいますから」

「んー……いやらってばぁ、まだ寝るのー……」

「わがまま言ってもダメですよ。七年前ならともかく、もう十八なんですからね」


 うだうだ可愛く抵抗するお嬢をベッドに座らせ、髪を梳いていきます。

 腰まで届くほどに長く、艶やかな赤い髪。これには以外と癖があって、手入れに時間が掛かるのです。上から下までしっかり櫛を通してやっても、夜にはぴょこっと跳ねてしまう。お嬢そっくりの跳ねっ返りで可愛いですが、身だしなみはしっかりと。

 ふと、眠たそうなお嬢の手が、何かを探すようにベッドを叩きます。

 目的のものはコレでしょう、と床に落ちた手記を拾い上げました。

 

「まーた夜遅くまで読んでたんです?」

「だぁって、退屈だったんだもの」


 ふわぁと欠伸を溢しつつ、お嬢は本を開きました。その瞳が、朝日よりも眩しく輝いていきます。夢から覚めてすぐだというのに、こんどは羊皮紙のなかに夢を見ているのでしょうか。

 

「クルスさんの冒険録。ほんっと、飽きずに読んでますよねぇ」

「そりゃあもちろん、当然でしょ!」


 お嬢は古びた本を愛おしそうに抱きしめました。うらやましい。


「スティルベルの開拓者にして生ける伝説。赤毛のクルスの冒険録だもの!」


 赤毛のクルス。

 それは、世界的に名高い大冒険者の名前です。

 成し得た偉業は数知れず。新大陸の発見。ガランの大昇降機の再起動。白の大地の巨獣征伐。冒険者ギルドの普及にも大きく貢献していますし、神様に会ったことがあるとの噂も聞きます。


 まさに世界の主人公。英雄視されるのも当然です。


 とはいえ旅は終わるもの。

 老いた彼は一線を退き、それと同時期にひとつの夢を抱きました。

 旅する者の止まり木となる居場所を作りたい。

 その夢を叶える力を、彼はすでに持っていました。冒険のなかで得た人脈、経験、金銀財宝。うっかり流れ着いた無人島。それらすべてを活用し、彼は見事に止まり木となる街を作り上げたのです。

 それこそがスティルベルのはじまり。

 この国は、大冒険者の後日談エピローグが生んだ国なのです。

 

「あたしだっていつか、冒険をしてみたい。お祖父様や、兄様のように……!」


 偉大な祖父のような冒険に飛び込みたい。

 彼の孫娘がそんな夢を見るのも、あまりに自然な流れでした。

 年を追うごとにお嬢の部屋は書物に溢れ、港に降りては冒険者の真似事などもするようになりました。良くも悪くも有名な、スティルベルのお転婆姫の誕生です。


「クルスさまもラインの野郎も、いったいどこで何してるんでしょうねぇ。ふたりとも、数年前に飛び出したっきり、連絡のひとつも寄越さないで」


 お嬢の髪を整える手を止め、窓の向こうを眺めます。

 あの二人は、いまもどこかで冒険をしているのでしょう。

 齢にして七十を超えるクルスさま。

 そして、お嬢の兄君であるライン。

 ふたりは数年前に旅へと出て、それからまるっきり、連絡がない状態でした。

 まぁ、殺しても死なないような方々ですので、心配はしていません。むしろ悪態を吐きたいくらいです。仮にも王族が国を飛び出したせいで、お嬢がどれだけ迷惑しているやら。

 

「抜け駆けして冒険なんて、羨ましいったらないわよね」


 声音はからりとしたものですが、その唇は尖っていました。

 

「冒険なら昨日だってしたじゃないですか。ほら、悪徳商人狩り。結局お嬢の勘違いで? さんざん謝る羽目になった訳ですけど?」

「あんな冒険じゃ物足りないわよ。もっとこう、強い魔物と戦ったり!」

「島の魔物なら大抵倒してきたでしょう。まぁ、お嬢の剣や紋章術は、お祖父様の仲間から教わったもの。世界最高峰の冒険者たちが鍛えたんですから。半端な魔物じゃ経験にもならないでしょうが」

「島の外なら、魔龍ドラゴン岩人ゴーレムにも会えるのかしら」

「それは流石に厄介ですし、もしも遭ったら逃げましょうね」

「逃げないわよ、自分を試すチャンスじゃない。どんなに危険な相手だって――」

「騒がしいな」


 不意に、廊下から厳しい声が響きました。

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