王様たちの後日談

 さざ波だけが揺れる浜辺で、ファルサはぱちりと目を開けた。

 鈍く響く海鳥の声。濡れた身体に、青い空。

 大規模な紋章術を二度も行使したせいか、波打ち際に倒れ込んでいたらしい。

 ぼやりとした意識のなかで、ファルサは娘の炎を想う。

 

 ――超えられたのか。

 

 全霊を賭した紋章術の大波を、なお上回る赤い一撃。

 文字通りに海を裂かれて、己は無惨に敗北したのだ。

 立ち上がる気力もなく、半身を海に浸けたまま空を眺める。

 ふと、頭上に日を遮る大きな影。


「よぉ、ファルサ。無事か?」


 古い友人であるグァルグが、ニヤつく顔で己を覗き込んでいた。


「無事に見えるか?」

「俺よりゃマシだろ。見ろよこれ、自慢の毛並みが黒焦げだ」

「……新郎を焼け、との教育をした覚えはなかったのだがな」


 耳に入った水を抜きながら、海を眺める。

 娘の名残は裂けた雲程度のもので船影はすでに見えなかった。どことも知れない広い世界に旅立ってしまった。広く、美しく、過酷な世界。親が抱きしめて守ってやることなど、もうできないのだろう。


「船を出すか?」


 グァルグの瞳は真剣だった。

 己が頷けば、海賊たちは海の果てまで娘を追ってくれるだろうが――


「……不要だ」

「いいんだな?」

「追いついたところで、私にはどうにも出来ん」


 無論、スティルベルの戦力を使えば別だろう。

 衛兵たちでは及ばないとしても、ジレンを始めとするかつての冒険者たちならば、エイルを抑え込むことも出来るはず。だが、島の愛娘であるエイルを閉じ込めるための依頼クエストなど、どんな報酬を積んだところで応じるとは思えない。

 いや、そんなものは言い訳か。


「……それに、どうにも晴れてしまった」


 虹浮かぶ海を眺め、ファルサは寂しそうに笑う。


「心配は尽きん。寂しくもある。父のように、力では勝てぬ何かに敗れるやもしれん。だが、エイルは私を超えたのだ。心配などしたところで、もはやどうにもならんのだと、あの炎に破れた瞬間、そう、思ってしまった」


 仮にこの結末に終わったとすれば、さぞ胸が痛むだろうと思っていた。

 だが、存外に悪くない気分だ。

 しみじみとしたファルサの言葉を、グァルグは鼻で笑ってみせる。


「男連れ、ってトコは納得してんのかい?」

「するわけないだろう」


 食い気味だった。


「……だが、顔を見てはな」


 あの、という言葉が何を指しているのか、グァルグにもすぐに分かった。

 なにせ、グァルグも共に見ている。

 ランネルが挙式に割り込み、ドロドロと甘い言葉を畳み掛けた時のことだ。エイルは彼の頭をぐっと抑えて、自分の表情を見られぬように隠した。

 だが当然、観衆たちには見えていた。

 赤髪よりも真っ赤な頬に、抑えきれずにニヤつく口元。

 あの表情は、どう見ても――


「もしも泣かせようものなら、内から水で裂いてやるがな」

「子離れ出来てるんだが、出来てないんだか、わかんねぇなぁ」


 けらけらと、幼い頃と同じ顔でグァルグは笑う。


「……で、だ。同盟の件はどうなる? ファルサ王」

 

 しかし一転、その顔が険しくものへと変わった。


「姫さんと婚儀を結ぶことが、同盟の条件だっただろ?」


 だが、海賊たちの尽力も虚しく、花嫁は国外へと逃げ出してしまった。

 婚姻が同盟の条件である以上、話が白紙に戻る可能性は十分にある。イスラフラッグは起死回生の一手を失い、あるかもわからぬ新たな道を探さなければならなくなる。古い友人の尻尾が下がるのも頷けるというものだった。


「貴国に話を持ち掛けた理由のひとつは、たしかに娘を囲うためだ」

 

 ファルサは、ふむ、と考える仕草を浮かべる。


「私は私の願いのため、貴国を利用することに決めた。お前ならば、エイルを決して不幸にすまいと信じていたし、そのための力があることも分かっていた。加えて言えば、肩身の狭い貴国であれば断りはしないだろう、との打算もあった」

「……実際、他にあてもないウチにとっちゃ、まさしく救いの風だったさ」

「だが、もちろん理由はそれだけではない」


 続く言葉に、獣の耳がぴくりと跳ねた。


「貴国の船は、国を守るための戦力にも、荷を運ぶための足にもなり得る。なにより、角の大陸との交易拠点が得られる益は大きい。海賊としての悪名も、お前が押さえつけてきたおかげで、さほどの枷にはならずに済むだろうしな」

「って、ことは」

「もとより、エイルの件がどう転ぼうと、貴国とは協力したいと思っていた」


 悪戯が成功した子供のように、ファルサは笑う。

 一方で、グァルグの胸中は複雑だった。同盟が成ることは喜ばしい。だが、文字通りに身を焼かれる苦労だったのだ。それが不要だったと聞かされて素直に喜べるほど、グァルグは単純ではなかった。


「……海賊を利用しやがって」

「航路がどうあれ、目指した港に着くならば構わんだろう?」

「エイルのあの性格、お前譲りなんじゃねぇのか……?」

「失敬な。それより、手を貸せ。杖がなくては立ち上がれん」


 古い友人へと向けて、ファルサは図々しく腕を差し出す。グァルグは、未だぶつくさ言っていたものの、せっかくの同盟相手が溺れ死んでは敵わないと、肩を貸して起き上がらせた。

 港へと数歩歩んだところで、不意にグァルグが振り返る。


「どうした?」

「いや……」

 

 視線は青い海の先。

 選ばなかった宝を載せた、船が旅する向こう側。


「泣いてなけりゃいい、って思っただけさ」


 訳の分からない言葉にファルサは眉を顰める。


「あの二人のことだ、涙など流すわけがなかろうよ」

「……あー、いや、アイツらじゃなくてよ。まぁ、気にすんな」


 曖昧な返事を訝しみつつ、ファルサも二人に想いを馳せた。

 この海の続く先で、彼らの旅は始まった。

 その一頁目となる船旅を、彼らはどのように過ごしているのだろうか。

「ま、気にしてばかりもいられねぇか」

「そうだな。我等の道も、これからだ」


 その言葉にファルサも頷いた。

 グァルグという同士を得たことは、ファルサにとってもスティルベルにとっても、大きな転換点となり得る。いわば、旅の岐路へ着いたようなもの。これからの歩みについて、共に考えなければならない。

 未熟な王ふたりの一行パーティーは、二人三脚、浜辺に足跡を刻んでいく。

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