いつもどおりの無理無茶無謀

「ウィナが乗り込んだわ、なんかすっごく泣いてるけど!」

「放っといてあげてください。さぁ、一気に出航しますよ!」


 道なき道を抜けて辿り着いた小さな入り江。

 そこに停泊していた船に、オレたちは乗り込んでいました。

 当然これは、ウィナの船です。お嬢がイスラフラッグで捕まった際、グァルグたちはスティルベルへと直行した訳ですが、その際にあの浜にあったウィナの船も持ってきていたのでしょう。鹵獲した裏切り者の船がまた裏切りに使われるとは、皮肉というか何と言うか。

 

 もちろん、最初は警戒しました。

 考えたくはありませんが、ウィナがオレたちを手土産にグァルグの下へと戻る可能性だってあったのです。船室のなかには海賊がぎっしり、なんてオチだったら笑い話にもなりません。

 結論から言えばまったくの杞憂。

 船はがらんともぬけの空。

 宝や武器の類もなく、あったものはと言えば最低限の食料――


『これ、あたしの荷物じゃない! それにこの剣は、お祖父様の……?』


 クルス様の手記や剣、お嬢が愛用している装備一式でした。

 恐らく……いえ、間違いなくジレンの仕業でしょう。この船の主であるウィナは彼の酒場に入り浸っていましたから、裏で繋がっていてもおかしくありません。

 そんなこんなで、お嬢もドレスから着替え準備万端。

 紋章術をフル活用した出港準備の末、いまに至るのでした。

 

「帆の準備もできたわ。やっちゃって!」

「《束ね風ヴィン=クルム》!」


 紋章術の風を受け、帆が半月状に膨らんでいきます。引かれたロープが小さく軋む音を立て、微かな揺れが生まれました。やがて船首がゆっくりと波を切って動き出し、岸が遠ざかっていきます。

 もちろん、紋章術の風は一時的なもの。オレの体力も限られている以上、使い続けることは出来ません。とはいえ風がなくとも動ける以上、並の船には追いつかれません。

 念のためにと、暫くは海を眺めますが、


「まだ気付かれてない、んですかね?」


 追手の気配はありませんでした。

 それどころか、沖に追いやられたはずの港の船すら見当たりません。

 そもそも、この入り江から出港したと知っているのはウィナとグァルグくらいのもの。包囲に回った海賊たちは、いまごろ港で来るはずもない標的を待ち構えているか、島の森にでも隠れたのかと探し回っていることでしょう。

 仮に気付かれたとしても、これだけ距離を稼げば安全なはず。


「は、ぁァあああ~~~……! どうにか、逃げ切れましたかぁ……!」

 

 長く長く息を吐き、船の縁にずるずると身体を預けます。

 あぁ、よかった。本当に。

 これでお嬢と旅が出来る。口説き落とす機会が得られる。他所の男に取られることもなければ、悲しい顔を見る必要もない。夢を助けてやれますし、いちばん近くで笑顔が見られる。

 これ以上ないほどの大団円で――


「まだよ」


 ぽつりと落ちる、お嬢の呟き。

 彼女はまだ険しい瞳でスティルベルを見据えていました。


「まだ、いちばん厄介な人が来ていないもの」

 お嬢の言うところの厄介な相手。

 グァルグやジレンとはもう遭遇している以上、残るは一人しか居ません。


「ファルサ様のこと、ですね? でも、流石にここまで来たら……」

「ううん、来るわ」


 言い切ると、お嬢は苦笑して告げました。


「だって、あたしのお父様よ?」


 何よりの根拠となる言葉に心臓が竦みあがります。

 同時に、まさか、と否定する気持ちもありました。

 まだまだ岸は近いとはいえ、船はすでにスティルベル島の半径ほどには離れています。風という優位性がある以上、いまさら船は追い付けませんし、砲や紋章術だって届きません。

 ほら今だって、島がどんどん小さくなって――おや?

 

「……気のせい、ですかね。さっきより島に近づいてるような?」

「気のせいじゃないわ。海を見なさい、ラン」


 言われて海を覗き込み、絶句します。

 海が島へと引いていくのです。

 潮が沖へと引いていくのとはまるで逆。ぷかりと浮かぶ波間の泡も、陽射しに煌めく魚の鱗も、何もかもが島へと流れていきます。海の中では海藻や蟹が必死に底へとしがみつき、流されまいとこらえているに違いありません。

 当然、船は島へと逆戻り。

 明らかに自然の現象ではなく――まさか。


「まさかファルサさまの、蒼神ティールの紋章術?!」


 蒼神ティール。

 水を操る加護を与える神々の一柱。

 これまでもファルサさまの紋章術には何度も煮え湯を飲まされてきました。今日の式場でも盛大に水を差されましたし、以前お嬢に手を出したと誤解された時は屋敷から港まで押し流されたことだってあります。

 ですが、文字通りに海を操るとは!


「ここまでの術、いくらファルサさまでも使えるものなんですか?!」

「普段のお父様なら無理でしょうけど、神様が後押ししてるなら有り得るわ。ほら、加護って神様が応援したくなると強くなるじゃない。覚えがあるでしょ?」


 最悪なことに、腑に落ちてしまいました。

 例えば、炎神アディエラの我欲と、お嬢の我儘さ。この二つが重なっているからこそ、お嬢の紋章術は凄まじい威力を発揮しているのです。浜辺で力を失ったウィナや、牢屋を壊した時のオレだってそうでしょう。

 スティルベル王にして赤毛のクルスの一人息子、ファルサ=シーカー。

 彼もまた、ジレンと同じく元々は冒険者。同行していた父親が父親ですから、かなりの場数を積んでいるはず。それだけの使い手の術に神々が手を貸しているならば、あり得ないことでもないでしょう。

 とはいえ、驚嘆している場合ではありません。

 どうにかこの流れから抜け出さねばと、紋章術を唱えます。海の流れに逆らうべく、何度も何度も帆へと風をぶちかましていきますが、一瞬だけ進むことは出来ても、次の術を唱える前に引き戻されてしまいます。

 それでも、ここで諦めるわけにはいきません。


「《束ね風ヴィン=クルム》! 《束ね風ヴィン=クルム》! 《束ね風ヴィン=クルム》!」


 何度も、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も、唱え続けて。


「揃いて踊れ、奏でるままに――《束ね風ヴィン=クルム》!」

 

 それでようやく、ふっ、と船へ進みました。

 惜しかった、というよりは、海の流れが止まった様子。

 オレはファルサ様との根比べに勝ったのです。

 心のなかで、ざまぁみろ、と言い捨てます。いつもいつも彼には苦い思いをさせられっぱなしでしたが、最後の最後で一矢報いることが出来ました。


「いよぉっし! やりましたよお嬢! これでどうに、か……?」


 褒めてもらおうと振り向いた、途端。

 絶望的な光景に思考が凍りつきました。


「なん、ですか、あの波はぁッ?!」


 そこにあったのは大津波。 

 海流など、この波濤を作るための予兆に過ぎなかったのでしょう。波は陽を遮るほどに育っており、船など容易く飲み込むほど。真白い飛沫を散らしながら、まるで覆いかぶさるように此方へと向かってきています。

 あんなものが直撃すれば、船など一瞬でバラバラです。

 どうすれば。

 どうすれば――?!


「ほんっと、実の娘に容赦ないわね。それでもあたしのお父様?」


 いつもの調子の呟きが俺の隣に立ちました。

 焦りに固まる身体から、ふっと力が抜けていきます。


「……いやぁ、俺はかつてない血の繋がりを感じてますけど?」

「まぁ、そうね。あたしにだって無茶苦茶なところ、ちょっとはあるし」

「ちょっと、ですかね?」

「ちょっと、でしょ?」


 なんてやり取りを重ねるうちに、心はすっかりいつもの調子。

 お嬢がこうも泰然としているのです、オレが狼狽えちゃ格好が付きません。


「いい機会かもしれませんね。ファルサ様には負けっぱなしでしたし」

「一勝くらいはしたいわよね?」

「えぇ。負けをぜんぶ吹き飛ばすくらい、派手なのを」

「それじゃ、見せつけてあげなきゃね。あたし達の全力!」


 どきりとする言葉と共に、お嬢は一歩、船尾へ向かって踏み出します。

 波の飛沫が舞い散るなか、彼女は嫌な予感のする笑みを浮かべて。


「あれ斬るわ。手伝ってね、ラン!」


 いつものように、無茶をぬかしやがるのです。

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