獣神ディーガルの徒

「応じよ――《星の赤翼イテル=イグニス》!」

 

 先陣を切ったのはお嬢でした。

 炎を纏う剣とともに、グァルグに向かって一直線。花弁のような火の粉を散らしながら、赤の軌跡が舞い踊り、獣に向かって振り下ろします。


「ウチの嫁さんは強情だねぇ、ッと!」


 躱さなければ丸焦げな炎の剣を、グァルグは器用に躱しました。反撃こそしてきませんが、獣毛ひとつ燃えやしません。流石は獣の瞬発力。そう簡単には捉えられないようです。

 その様子をオレは少し離れて見ていました。

 冒険者パーティー風に言えば、中衛、とでも言うのでしょう。グァルグの隙を逃さず叩き、お嬢の隙を援護する立ち位置です。二人同時に殴り掛かれば同士討ちの危険がある以上、これが最適な布陣でした。


「すばしっこい、けど……ここッ!」

「うぉ、っとぉ……!」


 波を返すような素早い斬撃が続くなか、お嬢の刃が一瞬の隙を突きました。グァルグは寸でのところで飛び退きますが、あの跳躍は大きすぎます。

 ここならば、と土を蹴り上げ急加速。着地の直後は多少なりとも隙があるはず。仮に避けられたとしても、息を整える暇も与えず攻め続けたならば、いつかは必ず突き崩せるでしょう。

 骨の数本はぶち折ろうと棍を突き出し――


「それじゃ遅いぜ、ランネル」


 グァルグは着地の勢いままに身体をぐるりと捻り、回し蹴りの姿勢。軽業めいた動きに完全に虚を突かれたオレは、慌てて身体を捻りながらデタラメに棍を振るしかありません。僥倖なことに、それはグァルグの蹴りを捉えたようで、彼の攻撃を防ぎました。

 慌てて飛び退き、お嬢の側まで。

 冷や汗がぽたりと落ちていきます。


「……獣人の身体能力、ちょいと舐めてましたね」

「デカいし人の形をしてるけど、半分は獣なのよ。馬鹿力なんて序の口。目も耳も鼻も人より優れてるし、それを活かせる速さもある。人間と同じように考えたらダメね」


 お嬢はどこか不服顔。

 先の剣戟で当てられなかったからでしょうか。

 

「……来るわよ!」

 

 休む間もなく獣が跳躍。

 拳が落ちて、大地がばきりと砕かれます。

 左右に分かれて避けるオレたち。

 必然、グァルグが追うのはどちらか片方。

 選ばれたのはオレでした。


「悪ぃな、お前からやらせてもらうぜ!」

「舐めんじゃねぇですよ、寝取り男!」

「俺もお前も、まだ寝てねぇだろう、がッ!」


 ごもっともな言葉と共に放たれる拳。 咄嗟に棍で防ぎましたが、衝撃に身体が地を滑っていきます。相変わらずの剛烈な拳。直撃したら一撃で持っていかれるでしょう。

 ですが、これで間合いが稼げました。


「其は汝の輩なり――」

 

 いまのうちに紋章術を、と唱え始めた途端。


「だから遅ぇよ、阿呆」


 眼前に、拳。

 十歩ほどの間合いがあったというのに!。

 紙一重で棍を間に差し入れますが、この姿勢、この体重差では――


「ぐ、ぉッ……」


 鞠のように蹴り飛ばされるオレの身体。

 地に堕ちた途端、肺が飛び出るような感覚。

 ですが、この程度は余裕も余裕。

 せいぜい、骨が数本イっただけ。

 問題は、獣が追撃を仕掛けてきていること。

 このままでは、立ち上がる前に仕留められ――


「《火線フェル》!」


 背後から尾を引く炎。

 その幾つかがグァルグを掠め、自慢の毛並みを焦がしていきます。欲をかいて痛手を負うまいと考えたのか、グァルグは距離を取りました。あと数秒、いまの援護が遅かったら、恐らくオレは仕留められたいたことでしょう。


「ラン、平気?」


 心配そうな声色に、オレは笑って立ち上がると、棍を構え直します。

 

「ジレンのしごきに比べたら、こんなもん余裕です」

「容赦ないものね、ジレンは。自分が治療できるからって」


 不敵に笑いながら、お嬢の瞳は一瞬の油断もなく前を見据えていました。いつもとは違い、まったく余裕がありません。こと戦闘に関して彼女はオレより優れていますから、オレ以上に不利を悟っているのでしょう。

 一撃だけで手が痺れるほどの馬鹿力。

 数歩の間合いを一足で超える瞬発力。

 さらに言えば、あの毛並みと筋肉では多少の攻撃は効かないはず。紋章術を直撃させれば或いはですが、あの速さに直撃させるのは困難でしょう。軽い術ですら、これまで一度も当てられていないのですから。


 さぁて、どうしたものでしょう。

 獣であれば、知恵を使って打ち勝てる。

 人であれば、培った技術で競い勝てる。

 けれど相手は獣で人。並大抵では勝てません。

 となれば、多少危険があったとしても――

 

「お嬢、ちょいと作戦があるんですが」

「乗るわ」


 まさかの即答。

 驚きに目を見張るオレに、お嬢はくすりと不敵な笑み。


「アンタが立てた作戦なんでしょ?」


 だったら乗るわ、と軽い調子。

 夢を賭けた戦いだというのに、本当にそれで良いのかと心配になりますが、この信頼に答えなければ、男が廃るってもの。にっと笑って、オレは一歩前へと出ました。


「デカい術を頼みます。隙と時間はこちらで」


 手短にそれだけを伝え、敵の方へと意識を向けます。グァルグは攻撃しようともせず、ただじっとこちらを眺めていました。表情はオレたちと正反対の余裕に満ちており、見ているだけで腹ただしくなります。


「作戦会議はもういいのかい?」

「えぇ、十分に。アンタのほうこそ、余裕かまして良いんです?」

「時間を稼げりゃ十分なんでね」


 グァルグが顎で港を示します。

 

「いまごろは船を沖に出し始めてる頃だ。急がねぇと足がなくなるぜ?」


 舌打ちをして、ちらと海へと目を向けてみると、確かにいくつかの白い帆が動いていました。スティルベルは海の孤島。船を失えば、たとえ邪魔者を倒したとて、島から出る術は失われます。

 ならば、そろそろ仕掛けなくては。


「……大丈夫、大丈夫。失敗なんかしてやりません」


 なんて心に言い聞かましたが、その実は緊張でいっぱいでした。

 せっかく気持ちを告げたのに、失敗ひとつで水の泡。

 もしも、を考えると怖くて仕方がありません。

 こんな調子で、作戦が成功するのでしょうか。

 不安になって、ついついお嬢を振り返った、途端――

 

「冒険の時間ね、ラン?」


 惚れた女の無敵の笑みが、緊張を一気に吹き飛ばしました。

 そうです、これは楽しい冒険。

 これまで島で繰り広げ、これから世界に広がっていく、いつもの日常に過ぎないのです。

 覚悟なんて、するまでもありません。


「お願いします、お嬢!」

「まっかせなさい!」


 意気揚々とした了承の後、彼女は剣を地面に捨てて。


「嘆き悲しめ、アディエラよ」

 

 歌うような詠唱を響かせます。

 作戦はいつかとまったく同じもの。

 お嬢は術をぶち当てる。オレがその時間を稼ぐ。

 たったそれだけの単純な作戦。

 しかも相手は、既にそれを知っているのです。


「……来たか。二度も同じ手でやられるかよ!」


 だからこそ、グァルグは絶対に向かってきます。

 いかに頑丈な獣人であれ、高威力の術には耐えられないでしょうし、なにより彼はいちど辛酸を舐めていますから、紋章術は阻止したいに決まっています。お嬢の無茶苦茶ぶりを知っているなら、なおさらのこと。


 案の定、グァルグはお嬢へ向かって一直線。

 最高速にして最短距離で駆けています。

 これを止めなければ、オレたちの勝利はありません。


「……ぶつかるだけでも死にかねませんね、こりゃ」


 突貫してくるグァルグの姿に改めて思います。

 獣人って、化け物です。

 体格も体重も常人の優にニ倍、いや三倍の差。

 轢かれただけで吹っ飛ばされる体格差。仮にグァルグがなにも技術も使わず、ただ突っ込んできただけだとしても、止めるのは至難の業。骨折で済めば御の字ですが、下手すりゃ内蔵まで潰れて死にます。

 

「光を喪い、風に拒まれ、星に忌まれしアディエラよ」


 朗々とした歌声に招かれて、赤い光がぽつぽつと生まれていました。

 光のせいか林も空も赤く滲み、まるで炎に抱かれているようでした。事実、南国の湿った空気は焼かれ、とめどなく汗が噴き出すほど。ちりちりと肌に感じる疼きは、緊張によるものなのか、熱の生み出す乾きによるものか。

 これだけの術が成れば、きっとグァルグは落とせるでしょう。

 

 そのためにこそ、この獣人を抑えねば。

 オレとグァルグは小舟と大船。すべてで負けている以上、まともにやっては打ち勝てない。

 だからオレは、イかれた手段を選びます。

 

「絶望し、慟哭し、枯れ果てるまで涙を流せ」

 

 獣はすでに数秒の距離。

 舞踏のリズムのように早鐘を打つ心音を数えつつ、タイミングを計ります。


「そして羽ばたけ、アディエラよ」

 

 あと十拍。七拍。五拍。三拍。

 一拍――ここ!


「《花掬いフロウ》!」


 横に飛んで突進を避けながら、紋章術を放ちます。

 選んだ術の名は、《花掬いフロウ》。

 たった数秒、物体を浮かせるだけの些細な術。本来ならば高所からの着地や物の運搬に使うもの。旅の始めに帆柱から飛び降りたお嬢を受け止めるべく使ったのも、この術です。

 さらに言えば、この術は射程距離も短く、手に触れるほど近くでなければ扱えません。

 そのために、あの突進を直前まで避けるわけにはいけませんでした。

 危険な賭けですが、結果の方は――


「うぉ、ぉおおおお?! てめッ、何を!」


 上々です!

 すっ転ぶ形で宙に投げ出されるケダモノ船長。

 突進中に浮かされたら当然、そうなります。いやぁ無様。

 とはいえ、長時間の効果はありません。

 すぐに彼は着地して、ふたたび襲ってくるでしょう。

 まぁ、それも――


「乾きの果てに火を熾し、涙を空へと還さんがため!」


 焼け焦げていなければ、の話ですがね!


「《赤の落涙ルブルスティア》!」


 空に浮かぶ赤光の球体が、炎へと変じ燃え盛ります。

 それはまるで、小さな太陽。


「式では心配ありがとね、グァルグ!」

 

 煌々と輝くその炎球へお嬢は手を伸ばし。


「でも大丈夫。あたし、孤独にはなれないみたい!」


 勢いよく、大地へ向けて振り下ろしました。

 引かれるように地へと叩き込まれた太陽が、炸裂し周囲を炎で呑み込みます。

 この光景が示すように《赤の落涙ルブルスティア》は爆弾のような紋章術。一点特化の《終の炎腕フィニス=キニス》ほどの威力はありませんが、広範囲を一気に吹き飛ばします。着弾地点から遠く離れない限り、炎は敵を逃しやしません。

 さしもの獣人も、浮かんだままでは逃げられず――


「う、ぉぉォぉおオオオオオオッ?!」


 苦悶の声で吠えました。

 やがてグァルグは地面へと落ち、土埃を大きく舞い上げました。陽の堕ちた中心地は溶けるように抉れ、周囲の地面も円形に焦げた有様。あたりの茂みに炎が弾け、焦げ臭い匂いが充満していました。

 常人ならば間違いなく戦闘不能になる一撃。

 陽の中心にこそ当たりませんでしたが、化け物といえど相応のダメージのはず。

 事実、土埃が晴れると仰向けに倒れ込んだグァルグが目に入りました。

 動きません。

 ぴくりとも。


「やったかしら?」

「殺っちまったんじゃないですかね?」


 国際問題になりませんかね、コレ。


「念のため、骨か腱でも潰しときます?」

「下手に恨みを買う必要はないでしょ」


 頷きを返し、港へと目を向けます。


「……ちょっと時間をかけすぎましたね」

 

 海には続々と白帆が立って、沖へ向かって泳いでいました。グァルグの言う通り、港から船が離れつつあるのです。あれでは、もう奪える船などないかもしれません。


「だったら尚更、急ぐわよ!」

「痛ッ!」


 焦るオレの背中を叩いてお嬢が走り出します。

 オレもその後を付いていこうとして。


「あぁもう待ってくださ……、……?」

 

 ふと、聞こえてきたのです。

 風が運んできた小さな音。

 これは、そう、唸り声。

 まさか。


「う、っそでしょう……?!」


 振り返ると、倒れていたはずのグァルグが立ち上がっていました。

 燃え尽きた衣服。焼け焦げた毛皮。力なく下がった四肢。どれもが満身創痍と示しているのに、彼の瞳だけは真っ赤に血走り、こちらを睨んでいるのです。

 獣の足が土を擦ります。

 手負いの獣が身体を前へと倒し――駆け出しました。

 

「お嬢!」

「え?」


 咄嗟、お嬢を庇います。

 迫りくる獣の拳。

 手負いのくせに、いや、手負いだからこそ、先程よりも鋭い一撃。

 こんなもの、不意を打たれたオレには防げません。

 致命傷だけでも避けるべく棍を構えた、その時でした。


「《鍛造フォルグ》」


 視界が一面、土色に。

 大地が隆起したのだと気付いた時には、拳は土壁に吸い込まれていました。衝撃のあまり壁はすぐに砕けましたが、それは確かに、オレたちの命運を繋いだのです。

 明らかな助力でした。

 いったい誰が、とは思いません。


「アンタ、なんでここに……?」

 

 なぜ、という視線だけを闖入者へと向けます。


「ふん。間抜けな顔ですこと」


 短い金の髪を揺らして、女海賊が鼻で笑います。

 ウィナ=コット=ペルラオルカ。

 先程の土壁は、やはり彼女の紋章術だったようです。


「呆気に取られる暇があるなら、西の入江に向かいなさいな」

「入江、ですか?」

「船に乗せて差し上げますわ。風の使える船員がいれば役立ちますもの」


 ウィナはたしかに自分の船を持っていました。彼女と戦ったあの日、恐らくは見張りと聴取の意もあって、ウィナの船もスティルベルへと運ばれていたはず。ならば彼女には島から逃げ出す足があるのです。

 それでも、なぜ、は残ります。


「もちろん、網に掛かりたいならば港に向かっても構いませんわよ?」

 

 が、迷う時間はありません!


「行きましょう、お嬢!」

「どっちに?!」

「入江の方です。確実に張られてる港よりはマシでしょう!」


 海賊たちを置いて駆け出します。

 港に向かう道を途中で曲がって、目指すは入江。選択が正しい保証はありませんが、仕方ありません。ウィナが真実を語っていると信じて駆ける他ないのです。


「ねぇ、なんでウィナが助けてくれたの?!」


 背後をちらと気にしながら、お嬢が尋ねてきました。

 オレにも事情はわかりません。

 彼女自身が語ったように、逃亡の助けとなる乗組員が欲しかった?

 恐らく嘘では無いのでしょうが、それが主たる理由とは思えません。彼女には、酒場で呑んだくれるだけの時間があったのです。急いで逃げる理由が無いなら、危険を冒してまで乗組員を確保する理由なんてないでしょう。

 ならばグァルグ憎しでしょうか。

 いやいや、それこそあり得ません。惚れた男に嫌われたとて、愛情を憎悪に反転させるような性格なら、ソーラジェーラの加護など授かるわけがない。むしろ、捨てられてなおグァルグを助けるべく駆けつける、なんて方が似合いそうです。

 だとすれば、思い当たるのはひとつだけ。

 

「ケジメを付けにきたんですよ、きっと」


 船街で知った一途な想い。

 酒場で感じた未練の感情。

 ウィナはきっと、それを晴らしに来たのです。

 あるいは、ソーラジェーラの信徒のように語るならば、こんな言葉になるでしょう。


「美しく在るために」

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