生涯一度の夢舞台
なぁんて格好付けましたが、正直、心は汗だくでした。
名前を呼ばれた嬉しさに、ついつい勇んで屋根から飛び降りた。
そこまでは良いのです。
問題は、お嬢と何を話そうとしていたのか、頭から吹き飛んじまったこと。謝るべきなのか、想いを告げるべきなのか。それとも、このまま攫っちまうのか、あるいは抱きしめるべきなのか。あわあわ慌てふためいて、口から何も出てきません。
「えぇ、と、本日もお日柄もよく、違いますね、えぇと、お久しぶりでッ!」
「……ちょっと、ラン?」
「あのですね、お嬢、オレはあの、アンタのことが、いや、ちがッ……!」
視線は惑い、息も継げず、冷や汗はもうだらっだら。
もうどうしたらいいやら。こんな予定じゃなかったのですが。
「やはり来てしまったか、ランネル」
憂鬱そうに溜息を吐くファルサ様。
「お前も我らと共に過ごしたひとり。こうならん事を願っていたが――」
「いま忙しいんで後にしてくれませんかねぇッ!」
「……は?」
やかましいので黙らせます。
いまのオレの気を散らすなら、恩人だろうが知ったことじゃありません。
ですが当然、それだけで事態が収まるハズもなく。
「よぉ、ランネル。俺の花嫁になんの用だ?」
もうひとりの首謀者、グァルグが一歩近づいてきました。
「牢から逃げた、とは聞いていたが、このタイミングで来るとはなぁ。お前にゃ一度、説明してやったつもりなんだが」
「アンタのおかげで、欲に生きると決めれたんで」
「……そりゃあ羨ましいこった」
ほんの一瞬、遠い瞳を浮かべると、グァルグはオレを睨んで。
「だがな、ランネル。この状況が分かってんのか?」
すでに周囲は敵だらけ。
兵に海賊。化け物じみた王様ふたり。
たしかに、とても落ち着ける状況ではありません。
ですからオレは、彼へと向けて叫びました。
「約束どおり頼みますよ、ジレン!」
お邪魔虫どもは目を瞬かせ、それからぎょっと振り向きました。
しかし彼らの首が後ろに向くよりも早く――
「へッ? 刃がぁ?!」「んな、ぁ、槍がぁッ?!」「こ、これ、高かったんだぞぉ!」
海賊たちの
「弟子に顎で使われるとは、俺も焼きが回ったもんだ」
彼が動いたのはほんの一瞬。
群衆たちの間を、影のようにするりと駆けていっただけ。
その僅かな時間で、彼は二つ名どおりの業を成しました。
舶刀の刃は中程から折れ、槍の穂は柄から外れ、それぞれが硬い音を立てて地面へと落ちていきます。兵士たちは、突如として武器が壊れたようにしか見えなかったでしょう。それほどの早業でした。
《破剣》のジレン。
櫛状の峰により刃を壊す、いわゆる
赤毛のクルス一行のひとりにして、オレとお嬢の師匠です。
「悪いね、坊主ども。すこしだけ邪魔させてもらうぜ」
埒外の闖入者を前に、誰も動けやしませんでした。
この場で最も強いのが誰なのか。
それが分からない愚かな戦士は、どうやらここには居ないようです。
「……なにを考えている、ジレン」
ただひとり、ファルサさまだけが口を開きます。
伏した顔から覗く瞳に、戸惑いと怒りが浮かんでいました。
「お前とて、エイルを想う一人だろう。それなのに、何故――」
「心配するなよ、坊主。エイルを連れ出そうってんじゃない。俺が受けた依頼(クエスト)は、話の邪魔させるな、ってものでね。それさえ終われば、俺は邪魔も手助けもしない。後のことは当事者たちが勝ち取ればいいさ」
「その依頼を果たしたところで、お前に何の得がある?」
「至高の肴が手に入る。昔、お前がくれたようにな」
「……冒険者め」
「お前だって、そうだったろうに」
ファルサさまは苦虫を噛み潰した表情ですが、動く気配はありません。
グァルグも同様で、逃さぬように睨みを利かせているだけ。
これで舞台は整いました。
一世一代の大勝負。
その相手は、王様たちでも、その手下共でもありません。
オレの相手は、ただ一人の女だけ。
星と猫の愛娘、エイル=シーカー、その人です。
彼女はなにも言わず、ただオレをじっと見ていました。
これ以上、待たせるわけにはいきません。
息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、吐いて、あぁちがう、吸って――
――よし。
「おまたせしました、お嬢」
久方ぶりに、お嬢の顔を見れました。
改めて見ると、お嬢は見事な格好をしています。
まるで花のようなドレス。ふわりゆらめく純白の生地は、それだけでも花のよう。だというのに、更にそれを彩るように、本物の花弁がドレスの装飾に使われていました。大陸由来の白一色と、スティルベルの南国らしさが合わさっているのでしょう。
いやぁ、なかなか良いもんです。
淑やかなくせに身体の線が見えているのが特に――
「……話って、なによ」
「あ、あぁ、すみません」
見惚れている場合ではありません。
オレはお嬢の肩を掴み、視線を合わせます。
「え、っと。なん、ですかね。本日もお日柄がよく……いやいや。あの時はすみません、でもなくて、その、えと、似合ってます、とかも違くて、えと、お嬢が困ってないかなと思って来た、ってのも、ちょっと違くて。ともあれ、オレは、あー……」
歯切れの悪い、言い訳じみた言葉たち。
お嬢の機嫌は下り坂。このままじゃ叱られちまいます。
だけど、これを説明するには、どうしたって、オレは、あー……
――………………ええい!
「アンタのことを、愛してます!」
やっと、想いを吐き出せました。
怖くて顔を見ることも出来ず、暴れる心臓そのままに身体が震えています。
お嬢が息を飲んだ理由なんて、確かめられるわけありません。
それでも、オレは言ったんです。言えたんです。
だから、だから、もう――
ぶちまけます。
「お嬢と食べる飯は美味くて、髪をすくたび幸せで、側に居るだけじゃ足りないんです。アンタが誰かに抱かれるなんて、考えただけで吐きそうで。アンタに拾われたその日から、赤色だけしか見えやしなくて」
触れたくって仕方がなくて。抱き潰したくてたまらなくって。堪えてきたの、褒めてください。バカみたいに無防備で、人の気持ちなんて知らなくて、オレ以外の男じゃなかったらアンタは今頃どうなってたか。
「笑ってて欲しいんです。笑わせてやりたいんです。ずっと見ていたいんです。オレだけが。誰より側で。お嬢が無茶やってるときは隣に立って、死ぬほど苦労がしたいんです。それだけで――あぁいや、アンタそのものも欲しいんですけど?!」
あぁちくしょう。こんなに頭がおかしくなるなんて。何を伝えたいのかも分からず、何が伝わっているのかも読み取れず。周りの目とか音とか、ぜんぜんまったく分からなくて、たったひとりしか見えなくて。だから、だから、ええと!
「ちょ、ちょっと待ってッ!」
お嬢が両手を突き出して、オレの言葉を遮ります。
「やっぱり一緒に冒険したい、って話じゃないの?!」
「違いますけど」
「あたしが死ぬくらいなら一緒に居たくない、とか言わなかった?!」
「撤回します」
「なんでよッ!」
「お嬢が危ない目にあったとしても、オレはお嬢が欲しいからです! そうじゃねぇと意味がないって気づいたんです! 獣なんかに抱かせたくねぇんです! 自分の欲のためにアンタを巻き込む最悪な男ですけど。それでも、止められねぇんです!」
お嬢の理解を待つ余裕はありません。
心の栓が抜けちまって、口には戸なんて立てられなくて。
抱いてきた想いを全部、吐き出さなけりゃ止まれないんです。
それにまだ、大事なことを言っていません。
告白だけで満足するほど、寡欲な男じゃないんです。
「だから、だからッ――」
惚れた女に跪き、柔らかな手を両手で包んで。
オレの夢を、告げました。
「アンタのぜんぶを、オレにください」
偉そうな言葉とは裏腹、手は止めどなく震えたまま。
心音だけがやかましく。不安に涙が零れそうで。
まったく帰ってこない返事に、いよいよ頭を上げようとしたところで――
「待って」
頭を押さえられました。
「おじょ、……う?」
「ちょっとでいいから、待ちなさい」
わからないまま、されるまま。
ふと、背後からどよめき声。
色めきたっているようですが、いったい何だと言うのでしょう。
その後しばらく、息を吸っては吐くような音。
その間も、オレの瞳は地面を見たまま。
ほどなくして手が離れていきました。
ゆっくりと顔をあげれば、お嬢の顔。
照れるでも慌てるでもなく、落ち着き払った表情。
それからお嬢は、屈んだままのオレに視線を合わせて。
もう一度だけ深呼吸をして――
「イヤ」
と、だけ。
その意味を理解するにつれ、血液すべてが凍っていきます。
――フられました。
嘘ですよね。
いや、嘘じゃないですね。疑う余地すらないですし。いやでも、幻聴かもしれません。確かめるべく質問を。いや無理です。口が震えて動きませんし。そもそも確かめたくありませんし。でもお嬢は続きを喋るつもりみたいですし。いやいや待ってください怖いです助けてくださいどうすれば?!
「だってあたしの人生は、あたしだけのものだもの」
続く言葉も、遥か遠くから聞こえてくるかのよう。
まるで水底の心地です。
世界のすべてが真っ青で、陽の光すら見えないほど。
苦しいですが、この苦しみはきっと序の口。
次の言葉は、きっと決定的なもの。
口の動きも見てられず、オレはうつむき目を閉じて。
「それでも、着いてきてくれるわよね?」
はっと目を開け顔を上げ、息継ぐように意味を飲みます。
どこへ、なんて聞き返すことはしません。
お嬢は夢の連れ添いに、オレを誘ってくれているのです。
オレのものになる気はなくとも、力だけは借りたいと。
愛しいほどの横暴さ。
傷付くよりも喜ぶよりも、呆れが先に立ちました。
「……わがまま、ですねぇ」
「知ってたでしょ?」
手背の紋章を見せつけながら、お嬢は悪戯に笑います。
してやったり、の顔ですが、彼女はわかっているのでしょうか。
アンタが我儘女神に愛されたように、オレだって色欲男神に好かれてるんです。
「だったらオレが、一生かけて惚れさせます」
意趣返し。踊神の紋章を見せながら言えば、お嬢の瞳は真ん丸に。
さすがに恥ずかしいですが、その価値もあったってもんです。
「仲間として、従者として、アンタの隣にずっと居ます。支えて、口説いて、一緒に笑って、オレの居ない旅が考えられなくなるまで、ずっと。そうすりゃアンタは我儘に、オレとの日々を望んでくれる」
誰より我儘な女がオレを求めてくれたなら、それ以上の幸福はありません。
お嬢と一緒に旅に出て、一生かけてモノにする。
きっと簡単ではないでしょう。
あのお嬢が、男一人に夢中になるとは思えませんから。
いまだって顔を真っ赤にして。
「ば、バカ言ってる暇なんて、ないでしょ!」
なんて叱ってくるのです。
可愛らしいったらありませんが、確かにそろそろ時間切れ。
「そうですねぇ。流石に、ここじゃあ出歯亀が多すぎますし」
一瞬で一生な時間はどやら終わりのよう。
お嬢から視線を外した途端、当座の問題へと目を向けます。
ジレンが抑えてくれていた観衆たち。
そのなかにひとり、限界を迎えた男がいます。
「…………話、とやらは終わったか?」
ファルサさまの顔に感情がなく、目にも光がありません。
まぁ、うん、そうなるでしょう。
なにせ彼は男親で、娘を島に閉じ込めるほどの束縛体質。
さらに言えば、従者ごときが姫たる娘にイロイロと言ったのです。
抱き潰したいとか、モノにしたいとか、危険に晒してもいいとか。
その結果、娘はふたたび旅を決意した様子。
当然、キレます。
掌に水が――蒼神の力が集まりつつあるのも理解できるってもんです。
「ジレン、もういいな?」
「あぁ。俺の依頼はここま――」
「《
容赦なく術が放たれました。
蒼神ティールの水を操る紋章術。突如として現れた水流が、客も飾りも押し流しながらオレ達へと襲い掛かってきます。その惨状たるや、眼の前で娘を口説かれたファルサ様の胸中を表しているようです。
想定外の不意打ちでした、が。
「揃いて踊れ、奏でるままに!」
「災禍。罪過。散らすは業火!」
風と炎が蹴散らし、爆ぜ飛んだ水が雨のように庭を濡らします。
ほんの僅かな隙のなか、お嬢はオレの手を引いて。
「ラン、行きましょ!」
いつもの笑顔を浮かべたのです。
「もちろんです、お嬢!」
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