戦略的婚姻と情動的略奪
「エイル」
声に意識を呼び戻されて、あたしはゆっくり目を開けた。
そこは見慣れた我が家の裏庭。
結婚式場、なんてとても呼べない。
飾り付けは最低限。地面にざっと布を敷いて、花を散らしたくらいのもの。これが王族の結婚式だなんて語ったら、きっと笑い話にしかならない。あたしがドレスを着ていなかったら、だれも式場だって信じないはず。
見届人はもっと酷くて、祝福のために来た人なんてひとりも居ない。
海賊やお父様の私兵はあたしを逃さないための兵力。剣十字を身に付けた見知らぬおじさんは、たぶん大陸教会の公証人。こうなることを見込んで、あらかじめ呼びつけておいたのでしょう。何にせよ、ほとんどが知らない人だった。
唯一の親しい相手といえば、ジレンくらい。だけど彼も、お父様の後ろにぴったりと着いている。正直、ジレンは無茶な縁談になんて反対すると思ってた。お父様と同じで、あたしが大事だからこそだと思うけど、ちょっとだけ裏切られた気分。
それで参加者は全部だった。たぶんお父様は、この件を島民に伝えてもいない。小さな国だからこそ、王族と島民の距離はとっても近い。こんな無茶な縁談話なんて聞いたら、我が事のように邪魔をしにくるはずはずだもの。
ひっそりこっそり進められる、誰にも祝われない結婚式。
あたしのお父様ながら、やることがなかなかえげつない。
「……エイル。そろそろだ」
二度目の声に振り返る。
声の主であるお父様は、気難しい顔を浮かべてた。
「そろそろって、娘を売り渡す時間ってこと?」
鼻で笑って皮肉を言うと、お父様は黙って目を逸した。
やっぱり、気まずいのだろう。
こんなことをしておいて、とも思うけど、お父様もこれが最善だなんて思っているハズがない。出来ることなら、言葉だけであたしを島に留めたかったはず。優しくて、でもそれ以上に臆病な人だから、この道を選んだだけ。
苛々することに代わりないけど、同情だけはしてあげる。
「あのね、お父様。選んだ以上は胸を張りなさい」
「エイル、私は――」
お父様は苦しそうに言葉を飲み込んだ。
流石に、この状況で正当性を主張するほど、恥知らずではないらしい。
「……いったい、なにを企んでいる?」
代わりに瞳を尖らせて、お父様は尋ねてきた。
「お前はこの数日間、逃げる素振りを一度も見せなかったな」
「いいことでしょ?」
「あぁそうだ。それがお前でなければ、だ。部屋に閉じ込めようものなら壁を爆破し、見張りを付けようものなら泣き喚かせ、挙げ句の果てに男連れで島を飛び出すような娘だ。こんな縁談に従うなど、ありえんだろう」
「こんな縁談、ね」
正直に言えば、逃げ出すなんて簡単だ。
屋敷の壁はいくらでも壊せるし、見張りなんてしばき倒せばいい。お父様やグァルグ、それにジレンを始めとする島の実力者は厄介だけど、そっちだってやりようはある。嫁入り前のお姫様に本気を出しはしないだろうし、仮に捕まえられたとしても、殺されないならやり直せる。
けれどそれじゃあ、あたしの夢は半分しか叶わない。
だから――
「賭けるって、決めただけよ」
言い捨てて、庭に敷かれた布へと踏み出す。
その先にも、ひとりの男が待っていた。
「よう、お姫様。機嫌はどうだい?」
「おかげさまで最悪よ、グァルグ船長」
グァルグ=ベルグ=イスラフラッグ。
イスラフラッグの大船長――つまりは国のトップで、いわゆる王様。
正装のつもりなのか、彼の服は気取ったものに変わってた。金糸銀糸が編まれた豪勢なシャツに毛皮の肩当て。潮風によく映えそうなマントに、由緒正しき海賊帽子。どこをとっても、これぞ海賊! って感じの格好。
まるで本から出てきたような海賊は、あたしへと手を差し出した。
「んじゃ、行こうぜ?」
「えぇ」
その手を取り、公証人――大陸教会の神父さん――のもとへと向かう。
ここで愛を誓い合えば、晴れてあたしはグァルグの妻。
誓いの言葉を促され、グァルグはゆっくりと口を開く。
「星染めの赤アディエラが、神話の最後にどうなったのか知ってるかい?」
思いもよらない問い掛けに、あたしは暫し考える。
星染めの赤。さまよう火華。猛き炎神。
あたしの神様、炎神アディエラ。
はるか昔の神話の時代。アディエラは我儘な神様だった。邪竜を焼いて人を守ったこともあれば、街のひとつを地図から消したこともある。救うも殺すも気分次第。善とも悪とも定まらずとも、秩序か混沌かといえば、間違いなく混沌の神様。
彼女の終わりは知っている。
世界の誰もが彼女に着いていけなくなって――
「……神々にすら疎まれて、灰の底へと封じられた」
「あぁそうさ。どの説でもそれは変わらない。我儘な彼女に着いていける者はおらず、疎まれた果てに孤独な終わりを迎えたんだ」
グァルグはどこか寂しそうな笑みとともに続ける。
「海賊も同じなのさ。俺らの働く無法ってのは、決して悪行だけじゃない。だがな、近づかなけりゃ
「そんなこと――」
ない、なんて言い切れない。
あの日の波音が頭を過ぎる。
『お嬢を死なせるくらいなら、オレはアンタと居たくない』
あのときランはそう言った。
あたしの自由な生き方を、きっぱりと否定した。
グァルグが言っているのは、きっとそういうこと。
「俺はお前を愛していない。俺はお前の夢を奪う。自由な冒険も危険な旅も、すべてをお前から取り上げる。我が友ファルサとの約定を果たし、我らが船を豊かにするため、お前の夢を踏みにじる」
けどな、と海賊の王は優しく笑んで。
「その代わりに、波が乱れることのない穏やかな人生を与えてやる。たとえお前が泣いたとしても、死ぬ時は笑顔で逝かせてやる。それだけは成し遂げると、我らが船の旗に誓おう」
その言葉には、王としての飾りなんてなかった。
公証人に訝しまれることも気にせず、本心を向けている。
きっとこれは彼なりの誠意。
国のために利用することこそあれ、妻としては大事にすると。
そんな必要なんてないのに、律儀に誓ってくれている。
「アンタ、損な性格ね」
肩をすくめるグァルグをよそに、空を見上げる。
あたしは今日、ひとつの賭けをしていた。
ランがあたしを助けに来るかどうか。
自惚れた賭けだけど、それしか手段が思い浮かばなかった。
だけどどうやら、賭けはあたしの負けらしい。
「……ここまで、かしら」
グァルグの前で誓いを吐けば、あたしの大事な夢は終わる。
賭けに負けた以上、あたしはそうしないといけない。
いけない、はず、なんだけど。
「どうしたよ、お姫様」
そうするつもり、だったんだけど。
どうしてもあたしはグァルグの手を取る気にはなれなくて。
だからって、ランが居なくちゃ我儘にもなれなくて。
「あぁ、もう……!」
拳が震えて。足が暴れて。胸の奥に心が詰まって。
モヤモヤして、ムカムカして、イライラして――
「なんで来ないのよ、ラン!」
「お呼びですかね」
すぐ隣から聞き慣れた声。
――まさか。
「てめッ、どこから?!」
「《
馴染みの風が吹き荒れる。
グァルグの身体が吹き飛び、見物客たちの中へと突っ込んだ。
揺れるドレスを抑えることも出来ないまま、声を見上げる。
太陽を背負って屋根から飛び降りてくる人影。
見惚れるほどの不敵な笑みを、彼は見物客へと向けて、
「悪いんですが、式の主役はいただきますんで」
なんて、格好つけるのだ。
あぁもう、ほんとに。ほんとのほんとに、本当に!
「……遅いのよ、ばか」
なんて相棒なのかしら!
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