男の覚悟

 オレはどうしようもない男です。

 お嬢が泣いていることよりも。愛のない未来に番わされることよりも。

 あのケダモノに、お嬢が抱かれているほうが。

 オレではない誰かの赤子を、慈しんでいるほうが。

 惚れた女が、オレのものにならないほうが。

 お嬢の幸せよりもよっぽど、嫌なことに思えたのです。


「……ごめんなさい、お嬢。オレ、アンタの幸せは願えません」

 

 奪われたくないんです。

 喪いたくないんです。

 オレの想いは、最初っからそれだけのこと。

 そこには星のような尊さなどなく。

 煮え淀むような欲こそが、お嬢に向ける愛でした。


「オレはアンタが、しいから。諦められやしないんです」


 毎朝のように髪を漉き、飯を作って喜ばせ、特等席で笑顔を見て。雄の欲望叩きつけて、喘ぎ鳴かせて愛し愛され。恥ずかしがらせて怒られて。朝から夜まで側に居て。振り回されてご褒美貰って。身体を重ね日々を重ね、それを世界の終わりまで。

 髪の芯から爪の先。笑顔も寝顔もオレのもの。お嬢の人生、すべてが欲しい。

 惚れた女の笑顔を守りたかった。

 それは決して嘘ではなく、本当でもない言い訳でした。

 守りたかったのではなくて、オレだけのものにしたかった。

 自覚してみりゃなんて醜い。ケダモノじみた雄の欲。

 でもまぁ、とっくの昔から分かっていたことかもしれません。


「天の靴音。風の番。色深し踊神ダリオンよ」

 

 風と番うもの。天の靴音。多情なりしも愛深き踊神ダリオン。

 彼の紋章を宿したオレが、情欲塗れなことなんて、至極当然のことなのです。

 他者の幸せを願うような暖かな愛を抱いていたなら、蒼神ティールや輝神クラウの紋章が宿っていた――いや、そもそも誰の紋章も宿らなかったでしょう。神々に誇れるものなど、この想いひとつなのですから。


「夜を抱き朝に口付けるまで、盛りのままに靴を鳴らせ」

 

 恩も思惑も国の未来も知ったこっちゃありません。

 暖かな親の愛情なんて気にする必要もありません。

 オレ自身の不安や恐怖だって、捻じ伏せなけりゃいけません。


「我は伴音ともおと、踊りの在り処。汝は花人はなびと、星の律動」


 大事な人がいるんです。

 たったひとつの赤い星。世界にひとつの宝物。

 彼女の笑顔のためならば、オレは覚悟を決められます。


「ともに魅せよう、果つるまで!」


 だってほら、それが愛ってもんでしょう?


「《天つ竜嵐クピド=スピラ》!」


 はたして術は成りました。

 浮かび上がる石畳。狭い牢のなかを飛翔する木片。牢獄内のあらゆるものがぶつかりあい、塵へと変わって不可視の舞を浮かび上がらせました。荒み続ける風の踊りは、屋根や壁すらも吹き飛ばしていきます。

 やがて嵐が夜空に去っていった頃には、牢は牢としての意味を無くし、ただの瓦礫へと変わっていました。衛兵たちも逃げ出したのか、あるいはグァルグが人払いでも済ませていたのか、どうあれオレを止めようとする者は居ませんでした。

 どうにか、無事に脱獄できたようです。

 

「……いちおう、礼を言っときますよ。オレの神様」 


 一陣の暖かな風がオレの頭を撫で、空へと溶け消えていきます。

 ――やっと覚悟を決めたんだな?

 そんな声が聞こえたような気がしました。

 もしかしたら、本当に神様が来ていたのかもしれません。

 風の番、踊神ダリオン。愛を司る神のなかでも、とりわけ情愛に寄った神様。惚れた女を自分だけのものにしたい。そんな邪な覚悟にも加護をくれるというのなら、なんと懐が広い神様でしょう。まぁ、ただの出歯亀かもしれませんが。

 さて、そんなことよりお嬢です。

 いますぐ屋敷へ突貫しちまいたいところです、が。

 

「寝取られて終わりとか、絶対に認めねぇんで」


 竜巻のせいか、丘上の屋敷がにわかにざわついています。

 奇襲してお嬢を奪い去る、というのはもう不可能。ここまで派手な脱獄をした以上、グァルグは間違いなく警戒するはず。かといって、正面突破ができるとも思えません。


 焦る気持ちを抑えて踵を返し、邪魔者のことを考えます。

 まずはケダモノ船長グァルグ。

 獣神ディーガルの加護である獣の肉体は、まさに暴力。お嬢の名を聞いた時から正体を察していたのであれば、船上で戦った際も加減していたに違いありません。それですら、二人掛かりで交渉に持ち込むのがやっとでした。


 子離れ出来ない束縛王、ファルサ様も厄介です。

 赤毛のクルスの息子にして、彼と共に旅をした元冒険者。片足を失っている上に、王となってから戦うことも減ったのでしょうが、蒼神ティールの紋章術の冴えは失われていません。

 

 あとは雑兵共ですが、無理な予定で婚儀を行おうとしている以上、最低限の人員しか割いていない可能性もあるでしょう。というか、そうでなければ困ります。ウィナのような手練の海賊や、スティルベルに住まう優秀な元冒険者が警護に当たっていた場合、詰みです。


 ――まぁ、オレの一番の敵は、男どもではないのですが。


 ともかく、今のままでは手が足りませんので。

 

「邪魔しますよ、ッとぉ!」


 港町に着いたオレは、店の扉を蹴り開きます。

 ジレンの食事処はがらりとした有様でした。そこそこ長く捕まっていたせいか、月も真上を通り過ぎたところ。主要客たる船乗りは、朝日に備えて眠りの時間といったところでしょうか。

 そんな店のなか、店主の側まで勢いのままに歩いていき。


「ちぃと手ぇ貸してくれませんかね、バカ師匠」


 そう言うと、壊れた扉に呆けていたジレンの目付きが鋭い形に。

 彼は掃除用具を置いて、こちらを見つめ返してきました。

 ジレンもきっと、オレと望みは重なるはず。

 なにせ彼は、お嬢を娘のように思っている男。ファルサさまに同情する気持ちはあれど、こんな横暴は認められないハズ。少なくとも、ここでオレをもういちど牢屋に打ち込むような真似はしないでしょう。

 案の定、ふっと笑って、彼は口を開きました。


「おまえ、いったい何するつもりだ?」

「そりゃあもちろん、決まってるでしょう」


 なにも特別なことじゃありません。

 そこらの船乗りや商人にも、経験のある人は居るでしょう。

 そりゃあ勿論、邪魔者たちとも戦うでしょうが、そんなのただの通過点。

 これから挑むべきは、愛に生きる者なら誰しもが立ち向かう――


「一世一代の大勝負、ってヤツです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る