子は錨
どんな国にも牢獄はあるものです。
人がひとところに集まって暮らす以上、完全な平和など無いのですから、当然でしょう。牢獄もなしに平和を叶えている国があるとすれば、文字通りに、はみ出し者を切り捨てた国くらいのハズ。
残念なことに、スティルベルでも牢獄の世話になる人はいます。
酒に溺れた挙げ句、拳で語ってしまった船乗りたち。田舎だからと舐め腐って、妙な詐欺を働きやがった悪徳商人。スティルベルでは島の本来の持ち主として尊重される猫たちに、不埒を働いてしまった荒くれども。
それから、国王の屋敷に殴り込もうとした恩知らずな従者、ですとか。
「揃いて踊れ、奏でるままに――《
気絶から覚めると、カビ臭い屋根の下でした。
港街からほど近い、小丘を掘って作った牢獄です。薄暗い洞窟のなか、質素ながらも丈夫な石造りな壁と、これまた丈夫な鉄の柱で築かれた、本にでも出てきそうな場所。
とうぜん脱獄を試みているものの、成果はまったく出ていません。
紋章術を使ったところで力不足。人を吹き飛ばせようと、砂を削れようと、風は風。破壊という一点に関してはさほどの力は持ちません。石造りの壁を壊せるはずもなく、生ぬるい風が室内を巡っただけに終わります。
かといって、格子は壊せやしませんし、なにか道具を使おうにも、簡素な机やバケツが置いてあるだけ。ならば人を利用して、とも考えましたが、看守も罪人も見当たらない、まさしく独り占め状態です。嬉しくありませんが。
認めたくありませんが、詰んでます。
「せめて、説明くらいはして欲しいんですがね……」
余計なことをせずジッとしていろ、ということなのでしょう。オレだって実力行使に及ぼうとしていたのですから、妥当な対策だと思います。殺されなかっただけマシ、と思うべきなのかもしれません。
ですが、このまま何もせずにいれば、お嬢は――
「《
焦りと共に、同じ術。
しかし、風は壁を叩くことすらなく、髪を揺らして消えていきます。
ウィナとの戦いの際に起こったものと同じ現象でした。
「神様ってのは、肝心な時に……!」
恐らく原因は、ウィナと同じく加護の弱化によるもの。
踊神ダリオンは愛の神様。それも、家族愛や慈愛といったものではなく、色恋や性愛に関わる神です。彼が力を与えるのは決まって愛に生きる者。愛しい人を守りたい、叶わぬ恋を貫きたい。そんな想いを抱きながらも叶えられない者にこそ、彼は加護を授けます。
オレだってその一人なのに、あの神様は、どうして、こんなことを。
「だぁ、くそッ!!」
格子を殴りつけたところで気は晴れません。
そんな折に、忌々しい獣の足音が聞こえてきました。
グァルグは牢屋の前まで来ると、気安くこちらに手をあげてきます。
「よぉ、気分はどうだ?」
「驚いてるところですよ。まさか、ケダモノがここまで臆病だとは。問答無用で牢屋行きたぁ、オレがそんなに怖かったんで?」
「……そりゃあ怖いさ。俺たちの船が波に乗れるかどうかの瀬戸際だからな」
軽い皮肉で応じてやります。
するとグァルグは、なぜか深刻そうな様子で目を伏せました。
「イスラフラッグの状況はどこまで掴んでる?」
「あ? アンタが国のトップで、海賊業から貿易業に切り替えようとしてるんでしょう。で、今後の貿易のために、スティルベルとの繋がりが欲しいと」
「ま、そんなトコだ。船の方針が変わったのは先代からなんだが――」
「言っときますが、お涙頂戴の事情があろうが知ったこっちゃありませんよ」
「腹ん中くらいは教えてやろうと思ったんだがな」
ぐ、と言葉に詰まります。
敵方の事情が知れるのならば、多少の面倒は耐えるべきかもしれません。
「……オレの知ってる海賊ってのは野蛮なヤツらでよ」
沈黙を肯定と受け取ってか、ケダモノは先を続けます。
「昔は違ったらしいんだがな。海を拓いて遺産を探す、貝殻のなかの真珠を想うような浪漫があった。でもよ、時代が流れるにつれて、浪漫ってのは仕事に変わっていくらしい。浪漫のための航海が、生存のための略奪になっちまった」
グァルグは強く拳を握り込みながら、いちど深く息を吸って。
「酷いもんさ。浜には死体が転がっていて、港じゃガキが売られてた。人の肉を釣り餌に変えて売ることも、顔のいいガキを船に囲って犯すことも、そう珍しいことじゃなかった」
ふと思い出したのはウィナの話。
慰み者になりかけていたところをグァルグに救われた、と彼女は語っていました。義憤に駆られるような性格じゃありませんが、もしもお嬢が同じ目に遭っていたらと思えば、まあ、グァルグの気持ちも理解は出来ます。理解だけは。
「しかも、だ。先代はどこぞの旅人から、竜の大陸の話を聞いた。火薬の船に魔石の船。そんなものが蔓延れば、どうせ海賊は終わっちまう。だったらいっそ、ってことで変革が始まったんだが、これがなかなか大変でよ。うちの大陸じゃ海賊の悪行は有名でね。貿易をするにしても不利な条件を付けられちまう。海賊の品なんて買えません、どうしてもと言うなら、相場の七割で――ってよ。んなもん、利益が出る訳がねぇ」
「自業自得じゃないですか?」
「返す言葉もねぇが、過去の重さで船を沈める訳にはいかねぇ」
「それでスティルベルを足掛かりに、ですか」
彼らの住まう角の大陸では悪名の影響が強くとも、竜の大陸ならば対等に取引が出来るかもしれない。そのための足掛かりとして、スティルベルとの繋がりが欲しい。
予想通りの話でした。わざわざ聞く価値も無いほどに。
「ま、推測通りの話ですね。ンなことを話したかったんです?」
嫌味ったらしく言ってやると、グァルグはオレに視線を合わせて。
「肝心なのは、それ以上の裏がねぇってコトだ」
言い聞かせるように告げます。
「スティルベルを悪用しようなんて考えてねぇし、イスラフラッグの在り方を押し付けるつもりもない。実は海賊を使って支配しちまおうと企んでるなんてことも、だ」
「だから、なんだって――」
「エイルのことだって、まぁ、大事にするさ。俺好みの上品な女……とはいかねぇが、命を掛けて守ってやるし、生き甲斐だって作ってやる。浪漫を捨てることになっても、きっと幸せにしてやるさ」
だから何ですか。オレに何が言いたいんですか。
アンタがお嬢とくっ付くだとか、決まってるみたいに話さないでくれませんか。
ただでさえ惨めなのに、追い打ちを掛けられるとキツいんです。
「
あぁ、あぁ、そういうことですか。
オレが動いたってロクなことにはならないから、じっとしていろと。
そんなこと、言われなくって、わかってるんです。
お嬢の無事を願うなら、何もしないべきだってくらい。
でも――
「ひとつだけ、教えてもらっていいですかね」
牢獄から遠ざかろうとする足音が止まりました。
「アンタ、どうやってお嬢を止めるつもりなんです?」
「あぁ? そりゃあまずは、大急ぎで血を繋ぐさ。国を名乗っている以上、形だけでもやっとかねぇと、俺を認めて貰えねぇからな。下準備も済んではいるし、まぁ数日で終わらせちまうさ」
オレは密かに安堵します。
だってこれじゃあ甘すぎる。お嬢が覚悟を決めたのならば、契りなんて燃やし尽くして飛んでいく。法や立場で縛れる女だと思い込んでくれているなら、手の打ちようはいくらでもあるでしょう。
「だがまぁ、その程度で止まる女じゃねぇよな」
ですが海賊は嗤いながら振り返って。
「だからな、錨が必要なのさ。お前みたいな沈みきれない錨じゃなくてよ」
「なに、言ってんのか、分かりません」
ほんの一瞬、グァルグは目を伏せたように見えましたが、次の瞬間には海賊らしく、あるいは獣らしく牙を剥いて。
「
はぁ?
子供を、作る?
アンタがお嬢と? オレではなくて?
それはつまりナニがアレでソレがコレでって訳で、許せるわけがありません。
言い返すことすら忘れ、ぽかんとケダモノを見送ります。
そのまましばらく立ち尽くしてから、ふと――
「…………あぁ、そっか。単純なことだったんですね」
自分のなかの、煮立った想いに気が付きました。
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