獣たちの思惑
じめじめランネル
酒ってのはイイもんです。
葡萄に林檎に麦に米。苦味辛味に、甘味に酸味。
千変万化の姿を見せる、我らが愛する舌の友。
そして何よりイイところは、心を溶かしてくれること。
イヤなことも辛いことも、酒さえ飲んでりゃ無問題。
ほんと、酒ってのはイイもんですよ。
「ジィ~レン! 椰子酒を追加で一杯……いや、二杯! さぁっさと持ってきてくれませんかね!」
「そろそろ控えとけよ、馬鹿弟子」
ぽかんと頭を叩いてきたのは、店主であり師匠でもあるジレンでした。
彼の姿が示す通り、ここはスティルベルにある食事処(ダイナー)です。
「戻ってきてからずっと飲んだくれちまって、なぁにやってんだお前は」
オレが何もせずとも、お嬢が勝手に暴れるのではないか。
そんな希望とは裏腹に、船は無事スティルベルへと帰り着きました。
以降、お嬢を含む王族サマたちは、屋敷にて話し合いの最中。お嬢を唆して島から連れ出したオレはと言えば、捕まりこそしなかったものの、屋敷に近づくことは許されず、ここ数日は、ずっと港で過ごしていました。
その間、お嬢とは一度も顔を合わせていません。
……合わせる顔も、ありませんし。
「弟子じゃなくて客ですし。裏切り者の言うことなんて聞きませんしぃ」
「裏切り者って、お前な」
「らって事実じゃないですかぁ!」
ひっくと喉を鳴らしながら、びしりと指先を突きつけます。
「お嬢の行き先をチクったの、どーせアンタでしょうがぁ!」
「……そりゃあ、まぁ、俺だけどよ」
「ほらぁ!」
ジレンは気まずそうに白髪頭を掻き、小さく溜息を零します。
「ファルサの坊主に、あの剣を見せられちまったら、な」
どこか陰のある疲れ顔。仕方なく指を下ろします。
「……アンタも、クルス様が死んじまったと考えてるんで?」
「五分五分ってところだろうな」
皿を磨く手を止め、ジレンは肩をすくめました。
「だがまぁ、剣が浜で見つかったってんなら、下手を打ったのは確かだろうよ。ファルサの坊主が不安になるのも仕方ないってもんさ」
「で、恩人の孫より息子を取ったと」
「……まぁ、そういうこった。縁談どうこうは置いといて、親子で話をさせたかった。お前からしちゃ、言い訳にしか聞こえないだろうが」
「わかってんじゃねぇですか」
ふん、と鼻を鳴らしてやります。
とんだ薄情者ってヤツです。お嬢にさんざん冒険話を聞かせた一人のくせに、叶ったばかりの夢を取り上げるなんて。お嬢のことを自分にとっても娘のようだとか言っておきながら、結局はこの程度ですか。
「だがまぁ、お前にそんな目を向けられる筋合いはねぇ」
静かな語調と裏腹に、酒が跳ね溢れる勢いでジョッキが置かれました。
「惚れた女を泣かせておいて、酒に溺れてるような男にはよ」
叱りつけるような鋭い瞳。
肝心なところで裏切ったくせに、お嬢のために怒ってやがります。
でも、なにも言い返すことは出来ません。
……オレがお嬢を傷付けたのは、事実ですから。
「……仕方ないじゃあ、ないですか。お嬢は結局なんにもせずに島へ戻ってきちまいますし、船じゃあ避けられっぱなしでしたし、屋敷に行っても門前払いをくらいましたし」
「そこで強引に行けないほど、ヤワな鍛え方をした覚えはないがな」
もっともな言葉に返答が詰まります。
たしかにジレンの言う通り、会おうとすれば会えたでしょう。
ですが――
「だぁって。会っても結局、ダメですし」
脳裏をよぎるのは、短い旅の思い出たち。
真っ暗な海。砂を濡らす血液。クルスさまの剣。
それから、涙を零すお嬢の姿。
「旅に出ましょう、なんて、もう言えませんし……」
たとえお嬢に謝れたって、望む言葉はあげられません。そりゃあオレだって、お嬢のいちばん側に居たい。だけどそのために手を引いて、挙げ句の果てに死なせては、殺してしまうのと同じです。
許される筈がありません。
そんなわけで、いまも酒場で突っ伏しているのでした。
「ガキみたいに不貞腐れてんじゃねぇよ、馬鹿弟子」
「記憶の方は、七歳ですし」
その七年の記憶すべてにお嬢の姿がありました。
考えてみれば、島に流れ着いてから一度もお嬢と離れたことが無いのです。島に流れ着いたオレを拾ったのも、従者の仕事を与えてくれたのも、恋を与えてくれたのもすべてお嬢だったのですから。
「……結婚、しちまうんですかね。ホントに」
「少なくとも坊主とグァルグ……グァルグ様は本気だろう。娘のため、国のため、手段を問わずにコトを進めるハズだ」
「だとしても、今日明日ってことはありませんよね?」
「まぁ、スティルベルやイスラフラッグが小国だろうと、国のトップ同士の縁談だ。それなりの準備は要るだろうさ。まぁ、最低でも一月ってところだろうよ」
「それだけあれば、お嬢もきっと逃げ出せますか」
ほぅ、と安堵の息を吐きますが、ジレンはそれを見咎めます。
「逃げていいのかよ。一人で旅に出たら余計に危険なんだぞ?」
「そりゃあ、まぁ、そうですけど。でもほら、望まない結婚なんて、ダメですし」
矛盾を突かれ、喉の奥が絡まります。
結局どうしたいのか、オレは自分でもハッキリわかっていないようです。
そんな曖昧な感情ごときで傷付けてしまったのだと、いまさら心が沈みます。
「それに、エイルがこのまま何もしない、って線もあると思うがね」
「はぁ? それは、あり得ないでしょう。あのお嬢が何もしないなんて」
「実際、ここまで大人しく戻ってきたろう?」
事実を突きつけられ、言葉が詰まります。
お嬢がおとなしく島に戻ってきたのは事実。船や港を燃やすこともせず。立ち寄ったイスラフラッグで逃げ出すこともせず。今だって、なんの兆しもなく屋敷に籠もっています。およそお嬢らしからぬ振る舞いです。
「そりゃあきっと、なにか考えがあるんですって!」
「考える余裕を奪ったのは、どこのヘタレなんだって話だろ」
「……オレなんかの言葉で揺らぐ人じゃないでしょう」
ジレンはなにも答えません。
失望したように、ふん、と鼻を鳴らすばかり。
もしかして、本当に?
本当にお嬢は縁談に応じようとしているのでしょうか。
オレがあんなことを言ったせいで。
でもだからって、他になんと言えば良かったと――あぁくそ!
「どうしろって言うんですかぁ……!」
「どうしろって言うんですのよぉ……!」
椅子を二つほど挟んだ隣から、まったく同じ嘆声。
はて、とそちらを見てみれば、どこか見覚えのある女が居ました。
無駄に長い四肢に、贅肉が詰め込まれて膨らんだ胸。術により凶器に変じる物騒な宝飾品。腰に届くほどだった金髪だけ、肩にかかる程度の長さで切り揃えられていましたが、間違いありません。
そこにいたのは――
「ウィナ?!」
「貴方は……」
お嬢に危害を加えやがった女海賊だったのです。
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