アンタのために
王様たちの言い分はこうでした。
切っ掛けは、剣がイスラフラッグへと流れ着いたこと。
違法な略奪品の疑惑があると押収されたその剣は、大船長たるグァルグの目に触れました。その意匠を見て、彼は一目で誰のものか気が付いたそうです。なんでも、以前クルスさまがイスラフラッグに訪れた際に目にしたことがあったのだとか。グァルグは人道に則って――交易相手に恩を売るためにも――スティルベルへと連絡を入れました。
さて一方で、スティルベルのファルサ王。
その頃の彼は、娘の冒険をどう止めるべきか迷っていました。
ファルサさまは、かつてクルスさまとの旅のなかで、足を喪った男です。挙げ句の果てに、息子も父も冒険のために島を出ていったのですから、冒険にすべてを奪われたように感じていても仕方ありません。
それでも最初は、お嬢を対話だけで引き留めるつもりだったようです。
が、そこでイスラフラッグから一報が届きます。
剣が流れ着いたと聞いたファルサ様は、きっとこう考えたのでしょう。
あの父ですら、夢に全てを奪われた。
息子もきっと、どこかで死んでいるに違いない。
ならばせめて、娘だけは守ってみせる。
斯くして、ファルサさまはグァルグと手を結びました。
グァルグはグァルグで、イスラフラッグに海賊業から足を洗わせ、貿易業に注力させたかったところ。竜の大陸にほど近い島国との繋がりは、喉から手が出るほどに欲しかったようです。
ファルサさまは娘の命を守るために。
グァルグは自国の舵を切るために。
王族ふたりの婚姻話は、水面下で着々と進んでいったのです。
幸いにも、お嬢は島を離れたものの――
「よりにもよって、その王様の国に逃げちまうとは、とんだお笑い草ですねぇ……」
黄昏時の海へ、溜息が落ちていきます。
それだけで、頬がずきりと痛みました。
お嬢を嫁に出すと聞いて、オレは当然、暴れました。海賊ごときに、と異国の王をなじり、これ以上お嬢を島に縛るんですか、と恩人の胸倉を掴んだのです。立場の差を考えなくとも、殺されたって仕方ない所業でしょう。
結局、腕尽くで抑え込まれ、蹴り出されるように室外へ。
いまはこうして、甲板で項垂れているところでした。
『ほんっと、お父様のわからずや!』
船内から、扉が吹き飛ぶような音。
『まだ話は終わってないぞ、エイル!』
『あたしの意思は伝えたわ。結婚なんて、するもんですか!』
烈火のような怒鳴り声に、力強い足音。案の定、お嬢がひとり甲板へと上がってきました。刃のように鋭く口を尖らせ、拳をぎゅっと握りながら歩く様からは、剣戟じみた口論があったのだと見て取れます。
「……あら、ラン」
こちらに気付くと、お嬢はバツが悪そうな表情。
何故だろうと思いつつ、軽く手を上げて応じます。
「お疲れ様です。話は穏便に終わったんで?」
「終わるわけないでしょ、もう! あたしとお父様の意志はぜったい交わらないっていうのに、冒険の危険や結婚の美点なんてこと、ずぅっと話してくるんだもの」
「むしろ、よく暴れませんでしたね」
「あんたが暴れてくれたおかげでね」
からからと、揶揄うようにお嬢が隣で笑います。
「バカみたいなとこ見せちまって、すみません」
「別にいいわよ。嬉しかったし」
それきりお嬢は黙り込み、じっと海を眺めていました。
夕陽の赤に照っているせいか、横顔からは表情が読み取れませんでしたが、なにも思っていない筈はありません。父親への怒りや哀しみ。島へ連れ戻される焦り。そういったものが煮立っているはずです。
「それで、ええと、お嬢」
「なに?」
「その……これから、どうします?」
不安混じりに問いかけると、お嬢はニヤリと笑ってみせます。
「その計画を、これから立てるの!」
「計画、ですか?」
「そ。前みたいに船を奪うってのは、この状況じゃ流石に難しいもの。今度はもっと頭を使って計画を立てないと逃げ切れないと思うのよね。どこかに隔離される前に、さっさと考えとかないと」
ぶつぶつと計画を立てる様は楽しげで、飯の注文を決めている時のよう。夢を諦めるつもりも、婚儀を上げるつもりなど毛頭ないのだと、その表情だけで理解できました。
「でも、目的だったクルスさまは、もう居ないんでしょう?」
「なーに言ってんのよ。あたし達の目的は、旅をすることそれ自体。あんな話を聞かされたって、諦める理由になんてならないじゃない」
たしかに、クルスさまを追うと決めたのは、旅の行き先がほかに無かったからに過ぎません。そのための旅、という訳ではないのですから、お嬢の言うことも分かります。
ですが、本当にそれでいいのでしょうか。
「それにね、お祖父様がそう簡単に死ぬわけないし、心配なんてしてないわ。ランだって、さっきそう言ってくれたでしょ」
不安な態度を見て取ってか、お嬢が柔い笑みを浮かべます。
確かに赤毛のクルスという男は、殺しても死ななそうな化物爺。オレにとっては師匠のひとりで、お嬢にとっては憧れそのもの。彼がそう簡単に死ぬだなんて思えませんし、思いたくもありません。
ですが、人間というものは、死ぬときゃあっさり死ぬもので。
海の恐ろしさがどれほどのものか、オレは誰より知っていて。
もしもお嬢がそうなったらと、考えるだけで恐ろしくって。
「だけど実際、厳しいんじゃないですかね」
抱え込んでた心をぽろりと、お嬢にぶつけてしまったのです。
数秒の、凪のような沈黙。
それからお嬢は、戸惑った表情を浮かべて。
「……なに言ってんのよ。大丈夫に決まってるじゃない」
「そうですかね? いくらクルス様がメチャクチャだとしても、海に溺れりゃ死にますって。島のひとつやふたつは泳いで渡れる人ですが、沖で沈んでたとすりゃ、どうにもならないでしょうよ」
「案外、陸に近かったかもしれないわよ?」
「そうかもしれません。だけど、そうじゃないかもしれません」
オレがなぜ嫌なことばかり言うのか、理由がわからないのでしょう。
陽に照らされた顔に、徐々に苛立ちが浮かんできました。
「あのねぇ、ラン! なんで今日はそんなに後ろ向きなのよ」
「今日は、じゃありません。オレ、ずっと、不安だったんです」
「……ラン?」
「ダメなんですよ。だって、オレは――」
島を出てから失敗ばかり。
奪った船にお嬢の縁談相手が乗っていたことにも気が付かず。
ウィナがお嬢を害そうとした時も守れずに。
グァルグとファルサ様の企みだって見抜けなくて。
足、引っ張ってばかりなんです。
これからだって、きっとそうです。
冒険ってのは危険なもの。
ウィナのような手練や、凶暴な魔物たちと争い合うこともあれば、悪辣な奸計に巻き込まれることもある。海や山のような自然に、そこに満ちる病や事故も、侮れやしない脅威です。
「ともかく、ダメなんです。オレ、やっぱり、怖いんです」
「怖いって、なにがよ」
「お嬢のことを守りきれないんじゃ、ないかって。だから」
一緒にいれば、大抵のことは何とかなると思ってました。
けれど、そんな簡単なものではないようです。
クルスさますら下手を打ったというのに、オレごときに何が出来るのでしょう。
「だからお嬢、馬鹿なことなんて止めて、いちど島に戻りましょう?」
危険な夢を見させることで、彼女を殺す羽目になるくらいなら。
遠くから眺めるだけで、我慢しておくべきなのです。
「…………馬鹿なことって、なによ、それ」
いつの間にやらお嬢は俯き、拳を握って震えていました。
そりゃあ、怒るでしょう。旅に出ようと唆し、ここまで着いてきた従者が手前勝手に裏切るのです。散々自分を止めてきた父親のように、彼女の夢を蔑ろにして。灰にされたって文句を言えない所業です。
ですが、退くわけにはいきません。
ひとりでも行く、なんて言い出した時はオレが止めるんです。
それこそが、お嬢のためになるはずで――
「なによ、それぇ!」
息が、止まりました。
「馬鹿なことって、なによ。危険って、なによ! あたしは、ランが行きたいって、言ってくれたから。ランと一緒に旅ができたら楽しそうって、思ってたから。ずっと、ずっと待って。なのに、なんで……!」
目端に涙を浮かべて、駄々をこねるように頭を振り回して。
そりゃあ怒るとは思ってましたが、どうしてこんな、子供みたいに。
「そう、言われましても。だって、その方がお嬢のために――」
「あたしのためって、なによ! あたしの夢、知ってるくせに!」
「でも、だって、死んだら元も子も」
「そんなの分かってる、分かってるわよ! 分かってても、行きたいの! あんただって、旅したいって、言ってくれたのに!」
「落ち着いてくださいって! なんで、そこまで荒れてるんです? ファルサさまに止められた時だって、そうはならなかったでしょう?」
「ランはダメなの!」
「意味がわからねぇって!」
思わず強く怒鳴った途端、お嬢の肩がピクリと跳ねます。
それもまた、久しく見ない反応でした。
どんな脅威も笑顔で捻じ伏せる人だというのに、従者の怒声に怯えるなんて。
「……怒鳴っちまって、すみません。でもオレは、やっぱり賛成できません」
お嬢はなにも答えません。
己の腕を握りながら、ただただ俯くばかりです。
本当に、らしくない。
言いたいことがあれば言えばいいんです。アンタはそういう人でしょう。ああいや違う、言われたって困るんです。助けてあげられないんです。オレはアンタを傷付けてでも止めないといけなくて、でも傷付いてほしくなくって。ちくしょう。何が何だか分かりません。そんな顔、させたくないんです。でも、でも、どうすれば。アンタのことが守りたいのに、アンタのことを笑わせたいのに。なんでオレはアンタを泣かせているんでしょう。なんでオレに、アンタを泣かさせるんでしょう。わからない。わかりません。オレは、どうすれば――
「……ねぇ、ラン」
小さな呟きを聞き逃すまいと、どうにか頭を落ち着けます。
お嬢は顔を上げて、オレの瞳をまっすぐ見上げて、口を開きました。
「行きましょうよ、冒険。ふたりで、一緒に」
目を潤ませる様は愛らしく、このまま攫ってしまいたくなるほど。
けれどお嬢が死んだなら、この顔だって二度と見られやしないのです。太陽みたいに笑いながらオレの手を引く姿も。子供みたいに丸くなって、柔らかく息を立てる唇も。どこで食事を食べようかと楽しげに考える姿だって。
そんなの、絶対、イヤでした。
だから――
「お嬢を死なせるくらいなら、オレはアンタと居たくない」
そう告げた時の表情を、オレは生涯忘れません。
瞳には怒りと悲しみが同時に映り、顔をくしゃりとさせていました。何かを堪えるように息は荒く、苦しげに胸を押さえています。視線はオレに向いていますが、見たくて見ているのではなく、逸らす余裕もないだけでしょう。
「…………悪かった、わね」
零れ落ちた涙を見て、自分の過ちに気が付きました。
「ちがッ、待ってください、オレは――」
静止の声が届くまえに、お嬢は背を向き歩きだします。
呼び止めなければ。
けれどいったい、なんと言えば?
オレはお嬢に生きてほしくて。けれど笑顔で居てほしくって。泣かせたかった訳じゃなくて。誰かに盗られるなんてイヤで。オレだけを見てほしくって。そんな顔が見たかったわけじゃ、なくって。
追いかけないといけないのに、足から力が抜けてしまって。
よろけた音を聞いたでしょうに、お嬢が止まることはなくって。
「アンタの、ことが……」
想いを告げる資格だって、なくて。
いつのまにやら陽は沈み、海の底へと消えていました。
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