陸船の長
夕陽に海が塗れる頃合い。
「久しいな。壮健そうで何よりだ」
「大げさね。まだ半月ってところでしょ。心配性のお父様」
久々の親子の再開は、それはもう棘々しい雰囲気でした。
ここはファルサさまの船の一室。
海鳥の羽がたっぷり詰まった椅子のうえに、いくつかの顔が並んでいます。
ひとりは当然、スティルベル国王のファルサ様。
お嬢と睨み合う姿は、島でもよく見た光景で、いっそ懐かしく感じるほど。
けれど、その隣で苦笑を浮かべる男の顔は、島では見ないものでした。
「あー……ちょっとまだ状況が飲み込めていないんですが」
おずおずと手を上げて、最後のひとりを指さします。
「そこのケダモノとファルサさまは組んでた、ってコトで良いんですかね?」
「ケダモノ、ね。相変わらず失礼なこって」
「事実でしょうが、アンタの場合は」
思い切り睨んでやりますが、彼は――グァルグは肩を竦めるだけ。協力者をケダモノ呼ばわりしたせいか、ファルサさまが睨んできましたが、気にしている場合ではありません。こちとら何が何だか分からないのです。
イスラフラッグでグァルグが何を企んでいたのか。ウィナの行動の理由。ファルサさまがなぜ異国に居るのか。誰と誰が繋がっていて。何を目的としているのか。一つたりとも、はっきり見えるものはありません。
「グァルグがあたしを売ったのよ」
「え、えと。つまり、ただ家出娘を突っ返すことが目的だったと? オレはてっきり、なにか陰謀にでも利用されるのかと」
「お父様がここにいる以上、それは無いでしょ」
不機嫌を隠そうともせず、お嬢が唇を尖らせます。
それどころか、腕を組んだり肘を突いたりと、普段ならしないであろう行儀の悪い態度を見せています。明らかに、ファルサさまへの当てつけでした。
「でも、お生憎さま。あたしには旅をやめる気なんて無いの」
「おまえの意志など関係ない。力付くでも連れ帰らせてもらう」
「あたしが居ても居なくても、スティルベルはやっていけるじゃない」
「国のためではない、娘のためだ」
父親の言葉に
ですが、すぐに勢いを取り戻し、睨み返します。
「……あたしの夢を奪うことが、あたしのため?」
「おまえの命を守るためだ」
「何度も言ったでしょ、命を賭けても成したい夢よ」
「夢は夢だからこそ熱いもの。覚めてしまえば冷めるだろう」
「それはあたしが決めること。あたしが決めなきゃ、意味がないこと」
いつも通りの親子喧嘩。いつも通りの平行線。
けれど、今日の喧嘩の勝敗は、いつもと意味が違います。
勝手に国を飛び出した娘をファルサ様がどうするかなんて、目に見えてます。お嬢を大事にしているからこそ、絶対に次の機会など与えないはず。それこそ、お嬢を屋敷に閉じ込めるくらいするでしょう。家出を手伝ったオレだって島外に追放されるかもしれません。
それを分かったうえで、お嬢はここに来たのです。
『あのファルサさまに話を通すなんて、無理に決まってますって!』
当然、この船に乗る前に、オレはお嬢を説得しました。
『決まってる? あたしは決めた覚えないけど?』
『だってお嬢が口で勝てたら、もっと早く島を出てたでしょう』
『勝ち負けって。ランってば、根っこから勘違いしてるのね』
夢を奪われる事態にも関わらず、お嬢は怯えのひとつも見せずに。
『あたしは何にも縛られない。お父様と話に行くのは、筋を通しにいくためよ。何も言わずに飛び出したこと。それだけは、ずっと心残りだったから』
『でも、お嬢……』
『大丈夫よ、絶対に』
夢を奪われる事態にも関わらず、お嬢は怯えのひとつも見せず。
いつも通りの笑顔を浮かべて、こう言ったのです。
『あたしとアンタが一緒にいれば、怖いものなんて無いんだから!』
だからオレも怯むわけにはいきません。
口を出さぬようぐっと堪えて、お嬢の後ろに控えます。
「お父様。この話はもう終わりにしましょう」
ひとつ息を挟んで告げられた言葉に、ファルサ様は顔を顰めました。
「うやむやにして逃げるつもりならば――」
「ちがうわ。もう十分だって言ってるの。お父様はあたしを手元に留めたい。あたしは島の外に出たい。それが変わらない限りは平行線で、互いに譲るつもりはない。そうでしょ?」
戸惑い。思案。しばしの後に、ファルサさまは頷きました。
「だからここからは決意の話」
ファルサさまの瞳は、驚きに見開かれます。
それほどまでに堂々と、まっすぐにお嬢は口を開きます。
彼の瞳のなかにいたのは、娘でも、姫君でもありません。
「お父様。あたし達は旅をするの」
瞳に炎を宿し、星にまで手を伸ばす、女冒険者がそこにいました。
「もう、決めたのよ。お祖父様にも負けないような旅をするって」
「父の……赤毛のクルスのように、か」
お嬢の決意が届いたのでしょう。
ファルサさまは目を閉じて、溜息をひとつ落としました。
しかし――
「ならば私は、その決意を折るとしよう」
続く言葉は、やはりお嬢と相容れないもの。
それでもお嬢は、子供のように喚くようなことはしません。父親とわかりあえない寂しさに、わずかに目を伏せたものの、それだけです。
きっともう、お嬢の意思は曲がりません。
ファルサさまが何をしたって無駄なこと。お嬢をいまさら島に連れ戻したところで、すぐに飛び出してしまうでしょう。力づくで止めようにも、お嬢に怪我をさせられない以上、いつかは粘り勝つに決まってます。
だというのに、ファルサさまは笑っていました。
少しだけ、悲しそうに。
「……グァルグ、アレを」
「はいよ」
言葉に従い、グァルグは丈夫そうな箱をテーブルへ。
その中には、布で丁重に包まれた一本の鞘が入っていました。
革の部分はあちこちが腐り、金属の装飾には茶色の錆が纏わりついています。布の沈み具合からして、それなりの重さがありそうです。きっと、いまも中には剣が入っているのでしょう。
「錆びた鞘ね。これがどうし……、……ッ?!」
慌てた様子で、お嬢が鞘から剣を抜きます。
鞘の具合とは裏腹に、刃には錆も毀れもありません。
肩越しに覗き込むオレの姿すら、綺麗に映るほどでした。
「
お嬢が僅かに震えるのを見て、オレもはっと息を呑みます。
「……お祖父様の、剣だわ」
オレたちの探し人。クルス=シーカーの愛剣。お嬢はもとより、オレもよく知っています。稽古をつけてもらった際、この剣の腹で痣だらけになるまで殴られたのです。見間違えるはずなんて、ありません。
この剣は、世界にひとつの特注品。
だというのに、この場にある、ということは……
「……こいつが見つかったのは、今から半年は前のことだ」
オレたちが落ち着くまでの時間を置いた後、グァルグが口を開きました。
お嬢は未だ、瞳を剣に貼り付けたまま。
代わりにオレが応じます。
「どこに、あったんですか?」
「露天に流れてたとこを、略奪品疑惑ってコトで摘発したのさ」
「そういう意味じゃねぇってこと、アンタならわかるでしょう」
「……浜に流れ着いてたんだと。バラバラになった船の欠片と一緒に、な」
歯が軋むほどの重い言葉。
つまり、この剣は海を漂い、イスラフラッグに流れ着いたのです。
そして持ち主であるクルスさまの消息は不明、となれば。
「……ありえないわ」
同じ結論に行き着いてしまったのでしょう。
お嬢はオレの嫌いな、暗い表情を浮かべていました。
「いやいやいやいや、そんな訳ありませんって!」
明るく声を張り上げます。
だってお嬢が震えてるんです。曇った顔をしているんです。
ここで晴らしてやれなけりゃ、何がお嬢の従者ですか。
「あの化物爺さんがそう簡単に死ぬわけねぇでしょうに」
「剣が流れ着いて半年だ。その間、父からの便りはひとつも――」
「だいいち!」
びしりと獣に指を突きつけます。
「どこの誰とも分からない海賊ですよ、信じる価値もありませんて!」
慰めだけで言ったわけではありません。
所詮はお嬢を売った海賊。オレたちを騙くらかした事実から考えても、信用できるわけがない。彼からもたらされた情報は、すべて疑って掛かるべき。クルスさまを捕まえてる、とかそういう裏があったって、おかしくありません。
「……それはきっと違うのよ、ラン。誰とも分からない海賊じゃ、ないの」
お嬢が小さく首を振ります。ファルサさまも、おおむね同じ様子でした。
何も知らないのはオレだけ、なのでしょうか。
「アンタ、いったい何者なんです?」
「何だと思う? 当ててみろよ、ランネル」
突きつけた指を降ろしながら尋ねると、逆に問い返されました。
苛立ちながらも、これまでの情報を振り返ります。
彼は海賊たちから船長と呼ばれており、
「政治関係者……、お貴族様、とか?」
「はっは! イイとこまで近づいてるが、うちに貴族なんざ居ねぇよ」
グァルグは笑って咳払いをひとつ。
「んじゃ、改めて名乗るか。構わね……あー、構わねぇよな、ファルサ」
頭を掻きながらの問いにファルサさまが頷きます。
オレに向き直ったグァルグの表情はニヤついたもの。
まるで、獲物をいたぶる獣のような。
「オレの名は、グァルグ=ベルグ=イスラフラッグ」
牙から溢れた名に着いてきたのは、海賊たちの国の名前。
その意味に気がついて、ぞくりと産毛が逆立ちます。
「イスラフラッグの大船長。つまりは、王様ってヤツで――」
王という立場への畏怖ではありません。
男としての恐怖です。
だってもし、最悪の想像が当たっていたとすれば。
とうに逃げ切ったと思っていたピースが、海を越えて繋がっていたとすれば。
彼の目的は、オレにとって、何よりも――
「エイル=シーカーの夫となる男だよ」
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