煌めかぬ泥

「ちょっとアンタ! 潰して船に乗せるって、あれ比喩ですよね?!」


 砂巨人の頭にしがみつくウィナに呼びかけます。

 ですが恐らく、無理でしょう。すっかり焦げた長い髪。血走った目に荒い息。まるで手負いの獣のようで、話が通じるとは思えません。


「ここまで追い詰められては手段を選んでいられませんの! ミンチであっても、グァルグさまから遠ざけられれば!」


 彼女の意志に従ってか、ずんぐりむっくりな砂巨人が、両手を大きく振り上げます。抱っこを強請る子供のようで愛嬌はありますが、和む気分にはなれません。砂というのは重いもの。袋に詰めて殴るだけで、立派な武器になるのですから。


「の、わぁあぁッ?!」

 

 振り下ろしこそ躱したものの、衝撃だけでも凄まじいもの。

 直撃すれば、ピザのように潰れてしまうに違いありません。


「デミ=サンドゴーレムってとこかしら、ねッ!」


 引き戻される巨人の腕にお嬢が登り、そのまま駆けていきました。腰のあたりで飛び上がって剣を振るえば、爆発じみた炎によって巨人の脇腹が爆ぜました。血肉代わりの砂の雨が、あたりに降り注いでいきます。

 怯んでいる場合では無い、と援護の術を紡ぎます。


「揃いて踊れ、奏でるままに――《風烈ヴェン=クルム》!」


オレの風も、お嬢に続いて砂の身体を削ります。

 文字通りの風穴を腹に開いたものの――


「……かさぶたにすらなりませんか」


 その穴は、見る見るうちに塞がっていました。どうにも、周囲の砂を吸収することで再生している様子。それだけでも厄介なのに、際限なく砂を呑み込んでいるのか、前よりも大きくなっているように見えました。


「暴れ放題って考えなさい、ラン!」

「ンなこと言いましてもね」

 

 お嬢は楽しげに炎を放っていますが、同じ気分にはなれません。

 このゴーレムを倒し切るのは至難の業。ウィナを殺せば解決するでしょうが、情報を手に入れる、という勝利条件には反しています。かといって、手加減しながら倒せるような相手ではないでしょう。

 動きがさほど早くはなく、躱すだけなら何とかなりま「《鍛造フォルグ》」すが――?!


「ぬぉッ?!」


 巨人の膝から、砂の刃が蛇のように飛び出しました。

 砂の身体それ自体を素材にして、武器に変えることまで出来るとは!


「ちぃと卑怯臭くありませんかね、それぇ?!」


 押し寄せてくる砂蛇どもを、薙いで潰し、風で弾き、どうにかこうにか凌ぎます。

 そんな中でも巨人としての手足は健在。足が降ってきたなら駆け抜け、腕が迫れば飛び越して、並行して襲いくる蛇たちも防いでの大忙し。こんなもん、いくら逃げてもキリがありません。

 

「其は汝の輩なり。誘い踊れ、響きの限り――《縛り風ヴェン=フニス》!」


 ならばと放った紋章術。

 内向きに渦巻く風の牢獄が、いくつもの触手を絡め取ります。いくら形があろうが砂は砂。風に削り取られたうえ、互いにぶつかりあってしまえば、呆気なく崩れてしまいます。

 無論、すぐに新たな触手が生まれつつありますが、動き出す前に潰すまで。

 もういちど吹き飛ばそうと紋章術を唱えだして、


「揃いて踊れ、奏でるままに」


 ふと、違和感。

 普段通りにに術を紡いでいるハズなのに、手応えがどこか薄いような。

 いやいや、きっと気のせいです。

 顔を顰めつつも、最後まで詠唱を終えて。


「《風烈ヴェン=クルム》!」


 手を突き出すも、なにも起こりやしませんでした。

 微風ひとつ生まれずに、代わりに頭に疑問符が。

 オレはたしかに、いつものようにやりました。

 だというのに何故――「ラン、動いて!」――はい?

 

「あ」


 眼前に迫りくる砂の刃。

 術の失敗に呆けてしまっていたせいで、ろくに防御もしてません。

 咄嗟に棍を構え直しますが、とても防ぎきれるとは――


「させ、ないって、のぉッ!」


 気付けば赤毛が目の前に。

 攻撃を阻むように割り入ったお嬢が、剣を幾度となく振るったのです。オレが体勢を立て直すころには、無数に迫ってきていた刃は、すべてただの砂へと戻っていました。


「何やってんの、シャキっとなさい!」

「いやホント、面目ない。でもお陰で助かりまし……」


 言い掛けたところで、それに気付いて青褪めました。

 白砂に散った真っ赤な血液。

 それが誰のものかなどとは言うまでもなく。


「お嬢、足……!」

「ん、あぁ。一本掠めたわね」


 軽い調子で言いながら、お嬢は怪我した方の足をぶらぶらと揺らします。

 戦闘には支障ない程度、ではあるようです。

 ですがオレは、冷静でなんていられません。

 守るべきだったのに。

 守られて、怪我、させちまうなんて。


「怪我なんて島でもしてきたでしょ。平気よ、こんなの」


 お嬢は巨人に剣を向けたまま、優しい声色で言うと。

 

「アンタの方は? なんだか隙だらけだったじゃない」

「え、えぇ。ちょっと術がうまく発動できなくて」

「……そう。いまは平気なのね?」


 心配なんかしやがるので、ますます惨めになりました。

 ですが、今はまだ戦闘の最中。落ち込んでいる暇はありません。

 念のため、手の中で小さな紋章術を発動させると、今度は無事に使えました。原因は分かりませんが、まったく使えないという訳ではなさそうです。


「いける、と思います」

「気合入れなさい、そろそろ来るわよ!」


 その言葉どおり、砂巨人は再生を終え、ふたたび動き出していました。

 巨岩のごとき拳。舞い上がる砂。変幻自在の大地の武器。

 どれもこれもが強力で、避けきるだけで精一杯。

 その最中に、お嬢の方をちらと見れば、大きく避けるたびに表情が歪んでいました。強がっていようと動けようと、足の怪我が痛まないハズがないのです。


「お嬢、逃げましょう。こりゃ割りに合いませんって」

「なに言ってんの、ラン?」


 当然、お嬢は不満げに口を尖らせますが、オレも引けません。

 

「無茶だって言ってんですよ。これ、下手打ちゃ死ぬでしょう」

「大丈夫。耐えてれば、絶対にこっちが勝てるから」

「はい?」 

「だってあの夜、ウィナはあたしの不意を打ったんだもん」


 まったくと言っていいほど、会話の文脈が読み取れません。

 船上での不意打ちと、この戦い。何の関係があるというのでしょう。

 

「いやいや、なに言ってるかわからな、ッ――!」


 細く伸びた砂の鞭が、オレたちの間を貫きます。

 説得している暇はなく、お嬢が折れるとも思えません。仕方ない。


「だとしてもコレ、いつまで耐えりゃいいんですか!」

「ウィナがへばるまで! たぶん、もうちょっとだと思うんだけど」

「お嬢の当てが外れたら、先にこっちがへばりませんかね!」

「それじゃ、早めてやるわよ!」


 お嬢が巨人の攻撃をいなしながら、詠唱を始めました。


「災禍。罪過。散らすは業火――《爆炎ブラスト》!」


 成立した紋章術は、爆発を生み出すもの。

星の赤翼イテル=イグニス》の炎刃を強力にしたような一撃に、巨人の膝が崩れました。

 お嬢はすぐに踵を返して、オレのもとへと走ってきます。

 

「ラン、飛ばして!」


 言葉の意味するところは直ぐに分かりました。

 以前、スティルベルに住まう鳥の魔物を狩る時に使ったあの手でしょう、が。


「その足でですか?!」

「いいから!」

「……あぁもう、乗ってください!」


 棍の先端を下に落として差し出すと、そこにお嬢が飛び乗りました。

 オレはそのまま、大きく上へと振り上げて――


「《舞風ヴェン》!」


 風と共に、お嬢を高く飛ばします。

 赤い軌跡は真っ直ぐ空へ。巨人の頭のあたりまで。

 お嬢はそのまま、宙で剣を振り上げて。


「いっくわ、よぉぉッ!!」


 赤色が、巨人の肩から足先までを貫きました。

 一拍置いて爆発音。

 炎の刃が巨人の身体を貫通し、海に落ちて爆ぜたのです。それほどの攻撃に身体が保てるはずもなく、切り離された身体が落ちていき、残った身体も膝をついて、いまにも倒れそうなほど。


「この、程度ッ! わたくしは、まだ! まだ、やれますわ!」

 

 巨人の身体と同じように、ウィナもまたひどい有様。

 必死の形相でお嬢を睨むも、その顔は青白く、汗が滝のように流れています。美しかった金の髪すらお嬢の炎で焼け焦げており、満身創痍という言葉をそのまま形にしたかのようです。

 それでも意志は砕けていないようで。


「煌めく泥。久遠の槌手。気高き玉神ソーラジェーラよ……!」


 往生際の悪いことに、ふたたび祈りを吐き出します。

 止めねばと近づこうとすると、お嬢に静止されました。


「大丈夫よ。ここから立て直す力は無いはずだもの」

「……はず、ってのが怖いですがね」


 口ではそう言いつつも、オレにもそう見えました。

 強力な紋章術には予兆が付きもの。お嬢が扱うアディエラの紋章術ならば火花が浮かび上がりますし、さきほどウィナが同じ術を使ったときだって、砂の動きが目に見えました。今はまったく、そうした予兆がありません。

 

「応じよ――《至の槌手スペルビア》!」 


 案の定、何も起こることはなく。

 波音だけが響くなか、「《至の槌手》!」ウィナは何度も術の名前を繰り返しますが、砂粒ひとつ動きません。いつのまにやら、巨人もすっかりただの砂へと戻っていました。

 

「なぜ……? なぜ、ですの?! わたくしは、まだ、やれますのに……!」


 ウィナは唖然とした様子で砂を握りしめます。


「あたしたちの紋章は、神様たちが与えてくれたものよ」

 

 そんな惨めな女に向けて、お嬢は口を開きました。

 

「彼らの好む生き方を選ぶ限り、期待と共に力を授けてくれる。でもそれって、失望されれば力が弱まるってことでもあるの」

「私が、玉神に見放されたと?!」

 

 侮辱されたと感じたのでしょう。

 切れ長の瞳をさらに鋭くし、ウィナは何かを怒鳴りかけますが、

 

「だってアンタ、あたしの不意を打ったじゃない」

 

 その言葉に、悔しげに黙り込んでしまいました。

 一方で、オレは首を傾げます。

 不意打ちと加護の弱体化。そこに何の関係があるのでしょう。


「ソーラジェーラは、妥協や卑怯が嫌いな神様よ」

 

 そんな様子に気付いたのか、お嬢が補足に入ります。


「だからね、不意を打っての襲撃なんて、認めないと思ったの。そういうお話、読んだこともあったし」

「はぁ、なるほど。……つまり確信は無かったってことで?」

「外れたらそれはそれ。正面からぶっ飛ばすつもりだったわ」


 なんて危ない博打に挑むんですかねこの人は。

 ともあれこれで、もう勝っている、という言葉の意味を理解しました。

 加護とは器のようなもの。

 大きな器を授かれば、それだけ紋章術(なかみ)を自由に扱えるようになります。最初は10の力しか入らない器も、加護に応じて50や100の力が入るようになり、 術の威力や使用回数も増えていきます。

 普段の調子で術を扱えば、息切れするに決まっています。


「……不意を打つことそれ自体は、彼女は気にも留めないでしょう」


 ウィナもようやく、自分の身に起こったことを認めた様子です。


「ですが、己の力を信じきれず、不実に手を染めたとあれば。……己の美を、疑ってしまったとあれば。彼女には、きっと醜く映ったでしょう」 


 自嘲するようにウィナは笑って、最後にひとつ、小さな紋章術を唱えます。

 やはり何も起こらないのを見て、ウィナは浜に項垂れました。

 そんな姿を見て、オレも気がついてしまいました。


「……オレも、同じ?」


 呟きと共に、左手の甲の紋章に視線を落とします。

 愛深き男神、踊神ダリオン。

 彼の加護を損なうような行いをしてしまったからこそ、紋章術は成立しなかった。そう考えると合点がいきます。

 ダリオンは、愛に関わる神々のなかでも、とりわけ色恋に寄った神です。愛しい相手のためにと生きる者に力を授け、その様子を眺めて楽しむ野次馬な男。

 もしも彼が呆れてしまうとすれば、それは――?


「それじゃ、教えてもらうわよ。アンタの事情も、グァルグの企みも」


 オレが思索に耽る間も、お嬢は問い詰め続けていました。

 

「私に、話す義理があるとでも?」

「義理がなくても話しなさい。潔い敗北まで捨てさせないわ」


 お嬢の言葉にウィナは小さく嗤って、

  

「そういう訳には、いきませんのよッ……!」


 砂に塗れながらも立ち上がります。

 髪は焼け焦げ、術のひとつも練れやしない、美しさなど捨てた身体。それでも尚、瞳から輝きは失われてはいません。手負いの獣、そのものです。

 その気迫たるや、お嬢が気圧され、一歩うしろに下がるほど。


「私には、手に入れたい人が――」


 けれど突然、彼女の意識が逸れました。

 美しい紫紺の瞳を見開き、固まり、揺らし、零して。

 

「…………グァルグ、さま」


 まるで芯が砕けたよう。

 惚れた男の名と共に、涙とともに、砂浜へと崩れ落ちていきます。

 しばらく待っても、動く気配はありません。

 オレとお嬢は顔を見合わせ、慎重にウィナへと近づいていきます。


「ちょっと、ねぇ、起きてってば!」

「こりゃあ、完全に気絶しちまってますね」

 

 息はあるようですが、揺さぶっても反応がありません。


「加護が弱くなった状態で、術を使いすぎたから、かしら」

「なにかに動揺して、気が抜けちまったみたいでしたが……、……んん?」

 

 いったい何を見たのでしょう。

 最後にウィナが見ていた方角、海の方へと目を向けます。 

 そこに浮かぶものに気付いて、オレは目を見開きました。

 

「お嬢、あれを!」


 髑髏で出来た船の意匠――イスラフラッグの国章を掲げた船が、5隻。


 何のために、なんて考えるまでもありません。

 彼はお嬢を利用しようとしていて、お嬢は彼の手から離れた。

 ならば当然、取り戻しに来るに決まっています。


「……あぁ、なんだ、そういうこと。分かってみれば単純じゃない」


 ですがお嬢は逃げる素振りすら見せず、ただただ船を眺めていました。


「ちょっとお嬢、さっさとズラかりますよ!」

「ダメよ」

「いいから! 国相手との喧嘩は流石にダメですって!」

 

 語気を荒らげたところで、お嬢に動く様子はありません。

 しびれを切らして、その腕を掴もうとしたところで。


「大丈夫よ、ラン」


 お嬢がふっと、悲しそうな顔で笑い、顎先で船を見るよう促しました。


「これからするのは、きっといつもの親子喧嘩だもの」


 よくよく見れば、船はもうひとつありました。

 イスラフラッグの船隊が守るように囲む6隻め。

 その帆に描かれているのは、髑髏ではありません。

 星と猫をモチーフにした、なによりも見慣れた国章。

 そして、甲板に立つ赤毛の王様。


「他所の国まで巻き込むほど、お姫様が大事なの? ……お父様」


 の船が、海を越えてやってきていたのです。

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