ペルラオルカの雌鯱
目的地である帆継ぎの入江は、忘れられた港でした。
三基ほどの桟橋と管理小屋があるだけの、簡素が過ぎる桟橋港。しかし略奪した宝や人を受け渡すには丁度良く、イスラフラッグ黎明期には悪事の片棒を担いだのだと、年老いた海賊たちが語ってくれました。
いまとなっては、腐りかけの桟橋だけが残った浜辺。
だというのに、そこには一隻の船が停まっていました。
横帆を四枚も携えた立派な船で、所有者の意向か美しく整えられています。血の汚れもない船体は、一見すれば定期船とも見間違うほど。とはいえ、横に突き出た砲門と、高く揺れた海賊旗からは、誤魔化しようもない物騒な雰囲気が漂っていましたが。
そんな怪しい船を、オレたちは砂浜ちかくの崖上から探っていました。
「居たわ。ほら、甲板のところ」
指の先にウィナの姿がありました。
彼女は船の縁に身体を預け、浜の方を眺めています。しかし、厄介なことに彼女は一人ではありません。彼女の部下と思しき海賊たちが数名、甲板で釣りに勤しんでいます。面倒なことです。
「釣りなんざして待ってるとは、呑気なもんで」
「そういやアンタ、島を出てからやってないわね?」
「オレが釣りたいもんは海には居ないんで。それより、どうします? まとめてこられても面倒ですし、先手を取って船ごと焼きます?」
「それだと手記も燃えちゃうじゃない」
「だったらせめて不意打ちで一発――、っとぉ!?」
小石が一粒、矢のような勢いで飛んできました。
見れば、ウィナがこちらを睨んでいます。恐らく紋章術で石を操ったのでしょう。オレたちが隠れていることなど、とうに気づいていたようです。
「……さっさと降りてきなさい、かしら」
「さっさと降りてきてくださいませ、じゃないですかね」
ならば、ここでジッとしていても仕方ありません。
崖を滑って浜へと降りていくと、ウィナも船から降りて待ち構えていました。
「お祖父様の手記は?」
「ここに。傷ひとつ付けてはおりませんわ」
胸元から取り出された手記に、お嬢が安堵の息を吐きます。
「で。いったいどうして、こんな場所に呼び出したんですかね?」
一歩お嬢の前に出て、睨みを利かせます。納得できない答えを返せば、この場で砂に埋めて、潮の満ちるままに溺れさせるつもりです。お嬢を海に突き落とした不届き者には、相応の罰でしょう。
「単刀直入に言いますわ。イスラフラッグを発ってくださいませ」
「はい?」
「乗組員と船も貸しますわ。悪い条件ではないでしょう?」
拍子抜けする話でした。
むしろ、破格とも言えます。イスラフラッグが何かを企んでいる、というのはほぼ確定なのですから、ならば面倒を避け逃げるべきです。そのための足を提供してくれるというのは、非常にありがたいことでした。
一方で、納得できるかと言えば別の話で。
「ふざけんじゃねぇですよ。お嬢を襲って連れ出して、今度は船に乗れだなんて、信用できるわけないでしょう。どこか遠い国にでも売るつもりなんじゃないですか?」
「貴方には聞いていませんわ、ランネル。姫君の部下だというのなら、主の判断をお待ちなさいな」
「はッ! どの口で言ってますか。グァルグに黙ってやらかしてるくせに」
「それはッ……」
オレが唸ると、ウィナは悔しげに拳を握り込みます。
悔しげな態度に少しだけ溜飲が下がりました。ざまぁねぇです。
にしてもこの反応、やはりウィナの独断専行、なのでしょうか。
「返事の前に聞きたいんだけど、イスラフラッグは結局なにがしたいのよ」
口を噤んだウィナに、お嬢が問いを放ちます。
「あたしを利用したいってのはわかるし、それがアンタにとって不都合なのも推測できる。だから手記を盗んで、イスラフラッグから遠ざけさせた。いいえ、遠ざけようとしてる。そこまではわかるのよ」
でも、とお嬢は続けて。
「結局なにが起こってるの? アンタはなんで、それを邪魔したいの?」
「……答えられませんわ」
ウィナの表情は硬く、簡単に崩せそうにはありません。
「そ。まぁ、アンタにも色々あるんでしょうね」
仕方ない、とお嬢は肩を竦めます。
「だけどこっちも引けないの。なんの情報もないまま逃げて、後ろから背中を刺されるなんて御免だもの。それにね、納得できないことをさせられるのって、大嫌いなのよ」
言葉と同時、お嬢が剣を突きつけます。
「本気、ですのね?」
「えぇ、本気。殺すつもりはないけど、火傷のひとつは覚悟なさい」
「でしたら、私も手段を選びませんわ」
ウィナもまた、石の嵌まった手袋に指を通します。恐らくはあれが彼女の武器。操る大地が側に無くともソーラジェーラの紋章術を扱うために、あのような造りになっているのでしょう。
戦闘の気配を感じてか、ウィナの船がにわかに慌ただしくなります。
ですが、ウィナは背後に振り向き大きな声で。
「貴方たちはそのまま船に! 一歩も出てきてはなりませんわよ?」
意外にも、ウィナがそれを留めました。
彼女の部下らしき海賊たちは、うろたえつつもその言葉に従います。
「まとめてかかってきたって構わないわよ?」
「いやいやオレは構いますが。有利な方が楽で……いてででッ!」
頬を抓られてしまいました。
そんなオレたちを見てウィナはくすりと笑います。
「彼らは私に脅されただけ。そうでなければ咎が立ちますもの」
彼女が行おうとしている何かに部下を巻き込まないようにする措置、ということでしょう。
お嬢の不意を撃ったくせに、ずいぶんとお優しいことです。
「やっぱりあたし、アンタのことは嫌いじゃないわ」
「それはどうも、ありがとうございます、わッ!」
突如、ウィナが宙に手記を投げました。
オレの視線も、当然そちらに向きかけますが――
「そっちじゃない! 足元よ!」
「っと、ぉぉッ?!」
叫びを聞いて、咄嗟に横へ。
それと同時。足元から砂の棘が伸びてきました。
すっかり見落としていましたが、浜辺の砂も地に属するもの。
つまりここは彼女の武器庫も同じなわけで!
「ランは手記をお願い! あたしはウィナを!」
「ちょッ?! あぁもう、わかりましたよ!」
言うや否や、お嬢は砂を踏み込み、一息のうちにウィナに接近しました。
手記の元へと走りながら、ふたりの攻防を横目で見ます。
お嬢の剣は賑やかで、同時に舞のようでした。一見するとムチャクチャなのに、よく見れば動作の終わりと起こりが繋がっていて、無駄というものがありません。
クルスさまや、彼の仲間たちに教え込まれた数多の型と、彼女自身の天性の才能が成し得る技でしょう。足を引っ張る浜辺の砂も、島育ちのお嬢にとっては慣れたもの。
ですが、ウィナの動きもまた、流麗なものでした。
察してはいましたが、紋章術に頼った戦士ではありません。お嬢の剣をすべて紙一重で躱し、気がつけば内に潜って体術で穿とうとしています。いまだって、上段の回し蹴りがお嬢の肩に刺さりかけ、寸でのところで剣の腹が受けました。
あぁもうホント、ハラハラします。
しかも、ウィナの武器は体術だけでなく。
「《
「またぁッ?!」
回避の動作で砂に手を突くたび、彼女は砂を操るのです。
詠唱を省略した簡易な術でも、砂の刃に当たれば裂けます。
ただの回避動作が攻撃に転じるせいで、お嬢は休む暇もありません。
このまま放っておいたら、最悪押し負けるかもしれません。
砂から手記を拾い上げ、即座に詠唱へと移ります。
「其は汝の輩なり。誘い踊れ、響きの限り――《
砂と共に立ち昇った風の檻を、ウィナは横に飛んで回避します。
そのままの勢いで、彼女はオレに突貫してきて――してきて?!
「ぬおぁッ!」
風を切り裂く鋭い蹴りが鼻先を掠めます。
なんと危ない。あまりにも自然な動作で標的を変えてきたものですから、一瞬反応が遅れました。こういう思い切りの良さは、海賊として生きるなかで培われたものなのでしょうか。厄介な。
「ずいぶんと尻の軽い女なこって!」
「腰の軽い神を崇める男がなぁにを言ってやがります、のッ!」
蹴撃。掌底。足払い。砂と礫の乱れ打ち。
身を持って体験すると、その厄介さがわかります。
手袋の石は変じて篭手に。靴底の宝石は仕込み刃に。砂が刃になったかと思えば、蛇のように手足を絡めとろうと蠢き、ときには足場が沈むことすら。なんとまぁ、変幻自在もいいところ!
「ちょっとラン! 二人がかりなんだから連携して――」
「お嬢は休んでていいですよ。この、程度、オレ一人でもッ!」
ですがオレとてお嬢と一緒にシゴかれた身。
言うなればクルス一行の末弟子です。
たかだか女海賊ごときに、手間取ってられやしません。
いえ、そうでければいけないのです。
世界でいちばん眩しい人の隣に立ち続けるためには、これくらい。
「あぁもう、オマケのくせにしつこいですわね!」
蹴りを弾かれたままの勢いで、ウィナは砂を滑っていき。
「溶かし創るは星の衣。私を飾る、瑠璃の飛沫」
紋章術。
恐らくは、無詠唱で使っていた《
ならばこちらも、紋章術で応じるまで!
「揃いて踊れ、奏でるままに」
そうして唱え始めた頃、ウィナの術が完成しました。
「《
彼女が浜を殴った途端、大波が起こりました。
土砂崩れと見間違うほどの、白砂の波。
飲み込まれれば無事に済むとは思えませんが、所詮は砂粒。
走りながら紡いだ力を放ちます。
「《
衝撃すらも伴う風が、大波に穴を穿ちました。
その向こうには目を見開くウィナの姿。こうも簡単に破られるなど思っていなかったのでしょう。舐められたもんです。
ならば、とオレは勢いままに棍を叩きつけようとして。
「う、ぉッ?」
盛大に空振りました。
目算を誤ったのではありません。
生き物のように砂が蠢き、足をずるりと飲み込んだのです。
やられました。
恐らく先の大波は、これを隠すための布石!
「手の早い殿方ほど、扱いやすいものはありませんわ」
抜け出せずにもがいているうちに、拳が顎へと迫ってきます。寸でのところで棍で防いだものの、手が痺れるほどの衝撃と共に、大きく吹き飛ばされました。
幸いにして、お嬢を警戒してか追撃はありませんでしたが、もし勢いのままに攻められていれば、やられていたかもしれません。
「ッたた……! ほん、と手強いですね、アンタ」
「平和ボケした島国育ちが、私と渡り合える方が驚きですわよ」
「いやぁ、スティルベルは魔窟ですよ?
「与太話を、と言いたいところですが……」
ウィナの視線はオレの隣へ。
そこには、先の言葉の代表格。船すら焼き切るお姫様の姿がありました。
「ラン、手記は?」
「回収済みです。もう、燃やしちまう心配はありませんよ」
手記を取り出して見せると、お嬢は悪戯に笑いました。
「それじゃ、加減は要らないわね」
「……はい。ま、やっちゃってください」
いまのオレじゃあ、お嬢の足を引っ張るだけ。
同じ相手に二度も不覚を取ったのです、言い訳すらも出来ません。
だから、まぁ、この展開も仕方なしってもんです。
「消えぬ灯火、空への願い、赫赫なりし赤き欲」
剣を構え、お嬢が祝詞を紡ぎます。
浮かび上がるは踊る火花。真っ赤な炎の花吹雪。
アディエラ神の加護を纏って、声高らかに、お嬢は歌い上げました。
「闇路を拓く炬火とならん――《
剣を覆う烈火の炎。
漏れ出た火の粉が揺らめいて、まるでドレスのようでした。
《
炎の力を纏う紋章術。
船で使った《
「私が、炎ごときで怯む稚魚だとでもッ――」
炎の斬撃がウィナを掠め、その言葉を消し去りました。
「ちょっと熱いけど、頑張って凌ぎきってよね」
やがて炎は桟橋にぶつかると、爆発のような衝撃と共に砕け散り、木材の水分と合わさって弾けるような音を立てました。
ウィナのような軽装の相手であれば、一撃で戦闘不能になるほどの威力。
そんなものを放って尚、お嬢の剣は煌々と輝きつづけていました。
「アンタの髪、燃やしちゃうには勿体ないわ」
「よくもまぁ、舐め腐りやがったものですわねェッ!」
ふたたびの、炎と砂とのぶつかり合い。
けれど、その戦局は、お嬢に大きく傾いていました。
お嬢が剣を振るうだけで、砂の刃も盾も爆ぜて散り、ウィナの白肌を焦がしていくのです。距離を取り、紋章術を唱えようとしても、飛ぶ炎刃に咎められます。
ならばと距離を詰めたところで、炎刃は競り合うことを許しません。剣を仕込み刃で受けたとて、そのまま燃えて終わるだけ。ウィナも当然、それを察しているのか回避に努めますが、それでもじりじりと熱が体力を奪っていることでしょう。
《
「……たとえ一人でも、冒険くらいできるんでしょうね」
その力たるや、ちょっと拗ねたって許されるほどに圧倒的。
当然、ウィナも長くは持たず、地面に膝をつかされて。
「まだまだ、この程度、でッ――」
「終わっといた方が良いわよ?」
額に突きつけられた刃に、彼女もようやく動きを止めました。
「…………殺しませんの?」
「そりゃあね。あたし達が欲しいのは情報だし、後味も悪くなるもの。今回の件、どうせ面倒な権力争いか何かでしょ? 命まで掛けなくたっていいじゃない」
ふっ、とウィナが笑う気配。
「そう、ですわね。命を捨てるつもりは毛頭ありませんわ」
その言葉を降伏宣言だと思ったのでしょう。
お嬢は安心したように息を吐き、刃を降ろしました。
「ですが」
ふと、妙なものが見えた気がして、目を擦ります。
なにかが浜のうえを動いて――、いや、違う、これは?
「私も女として引けませんの」
「お嬢、下がって!」
オレがお嬢の手を引いたのと同時、ふたりの足元が沈んでいきました。
突如として浜辺に生まれた巨大な穴に、ウィナが吸い込まれていきます。その穴には浜辺の砂という砂が流れ込んでいました。オレたちの足元も海流のように蠢いていて、立っているのもやっとです。
「煌めく泥。久遠の槌手。貴き玉神ソーラジェーラよ。我は汝に挑むもの。星で飾りし我が身体。道に研がれし我が心。至りし我が美を此処に示す」
穴のなかから、玉神ソーラジェーラへ捧ぐ祝詞が溢れていました。
口の悪い女海賊が唱えているとは思えない、清廉な響き。
だからこそ、まるで得体がしれません。
「応じよ――《
詠唱が終わり数秒。なにも起こらず、不発なのかと安堵した時。
大地の底から、なにか、大きなものが動く気配。
ほどなくして、それが大穴から身を這い出し、陽の光を遮りました。
「砂の、巨人?!」
ずんぐりむっくりと膨らんだ、椰子木のように大きな身体。
砂の巨人が、オレたちを見下ろしていました。
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