煌めきは遠く

ケダモノ船長いまむかし

「ウィナの野郎がやらかした、だぁ?!」


 船街での騒動から数刻後。

 海を震わす勢いで、グァルグが大きく吠えていた。

 とある船の一室だ。上等な敷物や絵画、豪奢に光る装飾品といった、かつての海賊業で得た品々が溢れるその部屋で、書き物机に唸っていたグァルグへ届いたのは、それほどに信じがたい報告だったのだ。

 

『ウィナ=コット=ペルラオルカが任務を放棄し、スティルベルの姫君を襲撃した』


 なにかの間違いだと思いたかった。

 しかし、いくら部下を睨めつけようと震えながら頷くばかりだし、調査を進めさせるほどに、目撃報告は次々と届く。とうとう認めざるを得なくなり、グァルグは椅子に大きく腰をかけると、あまりのことに頭を抱えた。


「なぁにやってんだ、アイツはよぉ……」 


 彼女――ウィナに与えた任務はエイル=シーカーの任務だ。

 スティルベルとの貴重なパイプであるエイルを、万が一もイスラフラッグから離れないように見張る。もし海賊に絡まれようものなら守ってやる一方で、逃げようとすれば腕尽くで捕縛にあたる。それが彼女の役割だった。


 無論、簡単にはいかないだろう。相手は人質ならぬ船質をとるような女だ。


 しかし、グァルグはウィナならば可能だと確信していた。白兵戦の強さは海賊のなかでも五指の腕前。忠義も篤く命令に従順。地頭もよく機転にだって優れている。どれをとっても己の右腕と呼べるほどの海賊だ。


 その彼女が、任務を放棄しエイルを襲った。

 聞くところによれば、エイルは街から離れようとはしていない。だというのに、ウィナの方から奇襲を仕掛けたのだという。幸いエイルは無事らしいが、間違いなく疑いを持たれただろう。


 グァルグのとは真逆の行為。

 失敗、という言葉では生ぬるい。

 裏切ったのだ、あのウィナが。


「……それなりに、可愛がってやってたんだがなぁ」

 

 ウィナとグァルグの出会いは、十数年も前のこと。

 始まりは、略奪から航海への舵切りが始まった頃。

 方針に従わない海賊たちから船を奪い、陸に縛りつけることで生まれた船の墓場。

 船街と呼ばれるそこに、ウィナは住んでいた。

 いや、所有されていた、と言ったほうが正確だろうか。

 

 彼女は、海賊たちの略奪品だったのだ。

 後に聞いた話によると、ウィナは父母と船に乗っていたところ、海賊たちに平らげられたのだという。あらゆる積荷は奪い去られ、邪魔な人間は血に沈む。当時の海賊にとっては当たり前で、被害者にとっては絶望的な、いつもの光景だ。

 そのなかで、ウィナだけはひとり生き残った。

 なにせ彼女は美しかった。

 髪は太陽。瞳は宝石。肌は白砂か真珠のよう。父母を殺され心を壊され、虚ろに染まった瞳ですら、人形のようで素晴らしいと評されるほど。

 

 ――美しく育った暁には船員すべての嫁にするのだ。

 

 所有者たる海賊も、自慢気にそう語っていた。

 古き海賊の時代であれば、笑って羨み、それから奪って嘲笑う、どこにでもある光景だ。悲劇とすらも呼ばれまい。自由な海とは無法な海。出来ることならしてもいい。それを咎めることこそが、許されざる罪となる世界だ。


 だが、これからのイスラフラッグでは許されない。

 いや、この俺が許さない。

 男を殺し、鎖を砕いた。


『よぉ、お嬢ちゃん。名前を教えてくれるかい?』


 血濡れの身体で語りかけると、彼女は顔をゆっくりと上げて。


『海賊に名乗る名はねぇよ、毛むくじゃら!』


 グァルグの顔に唾を吐いた。

 そんな女だからこそ、グァルグはウィナを側に置くと決めた。

 おなじ皿の飯を喰らい、泳ぎかたを叩き込み、あらゆる船の知識を授けた。

 首を狙ってくることもあったが、何度もねじ伏せるうち、期待通りに育っていった。肝が据わり、腕っぷしも強く、狡猾で、なにより忠義に篤い女。改革において不可欠な、裏切ることのない優秀な部下。

 何故だか妙に上品な――表面だけは――女になったことは予想外だったが。

 

 そのウィナが、なぜ?


 家族を殺した海賊という在り方への恨みか? それとも、なにか失望されるような失態を演じていたのだろうか? いや、ウィナにそんな素振りは無かったハズだ。いくら記憶へ潜ったところで思い当たる節がない。

 ならば、なぜ――

 

「あぁくそ! 考えても分からねぇことは後だ、後!」


  頭を掻きむしって立ち上がり、グァルグは壁の地図を眺める。

 三方を海に囲まれた半島の先端に、岩屋根と髑髏でイスラフラッグが示されており、その南に向かうにつれ、徐々に大地が太くなっていく。その地図の一点、名前すら描かれていない小さな入江に、獣の瞳が突き刺さっていた。

  

「救いがあるとすりゃ、目的地がわかってる、ってコトか」


 部下の情報が正しければ、エイルたちは帆継ぎの入江への道を尋ね回っていたらしい。南へ一日ほど歩いたところにある、役目を終えた桟橋港だ。定期船どころか、緊急時を除いて船が入ることもなく、人のひとりも住んでいない。

 となれば、エイルたちの目的は逃走ではなく、場所そのものにあるのだろう。

 やはり理由は分からないが、そうと分かれば行動はできる。


「……この国が変わる好機だってのに、うまくいかねぇもんだな」


 瞳を閉じて考えるのは、イスラフラッグという船の未来だ。

 海賊業という流れは、より大きな世界の流れによって堰き止められている。

 国と国との繋がりは強固になり、奪い取る意思よりも技術の強さが上回っている。もし、古い海賊たちの言うように再び略奪を始めたところで、大国に潰されて終わるだろう。

 かといって、海運という道を進むには、あまりにも出遅れた。

 もともと、作ることを捨て、奪うことで生きてきた国だ。イスラフラッグがいまさら取り組む産業など、他国がすでに数十倍の規模で成し遂げている。いまから売り込める商品はたかが知れているうえ、海賊という名が信用すらも奪っていた。

 海賊の時代は終わった。

 だが、その悪名は錨のように船を押さえ続けているのだ。

 このまま手を打たずにいれば、遠からず終わることになるだろう。

 それが属国という奴隷となるのか、併合という消失になるかは読み切れないが。

 

 グァルグがふたたび目を開いた時、その瞳にはひとつの島の名があった。


 星と猫の国、スティルベル。

 あの国は、間違いなく栄えるはずだろう。

 なにせ、竜と角、ふたつの大陸の中間に浮かぶ島だ。いまの調子で造船技術が進化し、大陸間の交易が栄えるようになれば、重要な補給拠点となり得る。かの赤毛のクルスが作り上げた国、という付加価値とて計り知れない。


 かねてよりグァルグは目を付けていたし、耳を尖らせ続けていた。

 かの地に友人が居たということも、野望の実現に大きく寄与した。

 そしてようやく、あの国と繋がる算段が付いた。

 はずだったのだ。


「逃さねぇぞ、エイル=シーカー」


 まるで炎神の化身かのような、傍若無人なわがまま姫。

 その姿を思い浮かべ、獣は獰猛に笑ってみせた。


「アンタはよ、俺の女になるべきなのさ」

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