ぶくぶくランネル

 イスラフラッグに訪れてから十日が経ちました。

 異国の未知は尽きることなく、日の出る限りは観光尽くし。空いた時間にはウィナの仕事を手伝って海賊たちにお仕置きしたり、船街の雑務に参加して親交を深めたりと、なんとも充実した日々を送っています。


 そんなある日。暑さの足りない夜にも慣れた頃のこと。

 船町の一室で微睡んでいると、ふと、床の軋む音が隣の部屋から出ていきました。

 音を追いかけ甲板へと向かうと、案の定、そこにはお嬢の姿がありました。


「突っ立ってないで、隣、くれば?」

 

 振り返りもせず放たれた言葉に甘え、お嬢の隣へ。

 イスラフラッグの夜は、波音だけの静かなものでした。

 陽を通す岩屋の隙間も、星月の光が通るには狭すぎるのでしょう。自然の光はどこにもなく、いくばくかのランプの光が、船と海とを照らしています。海側の空にあるはずの星も、日の光に消されてろくに見えやしません。

 そんな寂しい夜の景色を、お嬢はぼうと眺めていました。


「らしくなく、考え事でもしてるんで?」

「らしくなく、ってなによ」

「おや、自分が思慮深いタイプだと思ってらっしゃる?」

 

 お嬢はこちらをじろりと睨み、ほどなくして破顔しました。


「考え事なんかじゃないわ。ただね、星が見たくって」


 暗い星空に顔を向け、お嬢は小さく苦笑します。


「だけどやっぱり、物足りないのよ」

「そりゃまぁ、スティルベルは星と猫の国ですから。赤毛のクルスをもってして、世界でいちばん星が綺麗に見える場所、と言わしめたような場所ですよ?」


 星の国、という呼び名の理由がそれ。

 ちなみに、猫、の方は、島の先住民たる彼らへの経緯なのだとか。


「ちょっとだけ、スティルベルが恋しくなるわね」


 船の縁を握る手に、つい力が入ります。

 なんてことのない言葉のつもりなのでしょうが、オレには恐ろしい言葉でした。

 オレは結局、ただの従者で旅の道連れ。

 恋人でも何でもない以上、お嬢の気分が変わってしまえば、止められる立場ではありません。スティルベルに帰りたい、なんて言われたら、彼女は誰かと番わされ、手の届かない存在になってしまうのです。

 故郷から離れることで、その得難さを知ったのだとすれば――


「後悔、してます?」

「え? ぜんぜんしてないわよ。そんな半端な覚悟じゃないわ」


 恐る恐る尋ねたものの、あっさりと否定されました。


「ま、未練が無いって言ったら嘘になるけどね」

「……アンタにとっちゃ、牢獄みたいなものだったのに?」

「そんな言い方、止めなさい。どちらかと言えば揺り籠よ」


 諫めるような目を向けられ、バツの悪さに顔を逸らします。

 けれど、八つ当たりくらい許して欲しいもんです

 心変わりを起こしやしないかと、怖くて仕方ないのですから。

 そうした不安のせいでしょうか。

 ひとつ、確かめたくなりました。

 

「ねぇ、お嬢。アンタが旅を決めた理由って、結局なんだったんです?」


 旅に出ると決めたとき、お嬢はたしかに言いました。


『あたしが決められなかったのは、ぜんぜん、まったく、別の理由よ!』


 あの時は誤魔化されましたが、忘れていません。

 不自然なまでに、あっさりと決断したお嬢。

 そこには必ず、なにか理由があるはずです。


「……別にいいでしょ、そんなこと」


 お嬢は言いたくないようですが、ここは引けません。

 ずい、と顔を近づけて、じとりと瞳で圧をかけます。

 

「よくありません。気になります」

「も、もう旅に出てるのよ? いまさら関係ないじゃない?」

「関係あります。気になります」

「だって、その、ほら」

「お嬢」

「う」


 見つめること数十秒。

 先に目を逸らしたのはお嬢でした。久々の勝利です。


「…………じゃない」

「はい?」

「ひとりで旅したって、意味、ないじゃない」


 珍しい、もごもごと歯切れの悪い語調でした。

 しかも、灯に照らされているせいか、妙に色気を感じる顔です。

 跳ねた心臓が、拗ねた気持ちを吹き飛ばしました。


「え、っと。つまり、あー……、旅の仲間が欲しかったと?」

「そう! そうよ! ほら、一人じゃ寂しいし?」

「ま、たしかにアンタの道連れになれるのなんて、オレくらいなもんですか」


 次点でジレンあたりでしょうが、彼には大事な店があります。ファルサさまに近いこともあり、誘うには厳しい相手です。ほかの候補もあるといえばありますが、オレがいちばんお嬢に近く、裏切らない人間だったはず。

 そういうことなら納得ですし、安心です。


 オレが支え続ける限り、お嬢も旅を続けてくれる。

 スティルベルに帰ることも、誰かの嫁になることも無い。

 本当に、よかった。

 

「……あのね、ラン。ありがとう」


 不意に、お嬢が言いました。


「あたしに付いてきてくれて。一緒に来たいって、思ってくれて」


 照れたような笑みは、お嬢にしては珍しいもの。

 目に焼き付けなければならない。

 そのはずなのに。


「ほんとうに、ありがとう」


 胸が苦しくなりました。

 お嬢の側に居たい。その気持ちは本物です。

 ですが、島を出ると決めたのは、お嬢が思うような理由じゃありません。


 アンタを誰にも渡したくない。

 許されるなら抱き潰したい。

 けれど愛しているだなんて、怖くて言えたもんじゃない。

 ランネルという人間は、邪で情けない、へたれた男。

 そんな真っ直ぐな感謝なんて、受け取る資格はないのです。

 だからって、本心を吐き出す勇気もないのですが。


「……オレのほうこそ、ありがとうございます。お側に居させていただいて」

「ん! 光栄に思いなさい!」


 大丈夫。

 オレは冒険を楽しんでいます。それは嘘じゃありません。

 食も景色も、人の暮らしも、どれも新鮮な驚きばかり。スティルベルと似通った都市国家ひとつでコレなのですから、お嬢と一緒に世界を旅すりゃ、想像もできないような体験ができるはず。

 

 だから、きっと、大丈夫。

 旅を続けてさえいれば、いつかは後ろめたさも消えるでしょう。

 お嬢の笑顔を心の底から楽しめるようになれる、はずです。


「それじゃ、オレは一足先に戻りますんで」

 

 ひとまず今は夢に潜って、余計な思考を忘れちまうべきでしょう。

 おやすみの挨拶を互いに交わし、来た道を戻っていきます。

 その途中のことでした。


「きゃぁッ!」


 鋭い悲鳴。

 次いで、小さな水音。


「お嬢?!」


 慌てて甲板へと戻ります。

 ですが、お嬢が居たはずの場所には、彼女の姿がありませんでした。

 代わりに立っていたのは、金の髪を持つ女海賊。


「ウィナ……?!」


 間違いありません。

 案内人を努めてくれていた彼女が、冷たい表情を浮かべて立っていました。

 その意味が分からないほど、オレは愚かじゃありません。


「アンタ、お嬢をどこにやった!」


 駆け出しながらの問いかけに、返答なんて求めていません。

 叩き潰してから聞けばいい。

 そのための一手は既に準備を終えています。


「《花掬いフロウ》!」

「ッ!」


 紋章術の風によって、ウィナの身体がわずかに浮かび上がります。

 拳たったひとつ分の、けれど十分過ぎる効果。

 どんな達人であれ、宙に浮かされ体勢を崩さないものはいません。

 相手が着地する間もなく、そのまま甲板に引き倒します。


「目的は何で、お嬢はどこだ! さっさとぜんぶ吐きやがれってのッ!」


 首に手を掛け、顔の横に拳を落とします。

 下手な抵抗をしようものなら、即座に頭蓋を砕き、首をへし折る。

 その意思が伝わったのでしょう。

 ウィナは抵抗の意思も見せず、唇を動かしました。


「……そうですわね、では、ひとつだけ教えてあげますわ」


 淡々と、まるで窮地を窮地とも思っていない様子で。


「あれ、何だか分かりますわね?」


 ウィナの視線の先に転がる小さな宝石。

 それが何だ、と思いかけて。

 彼女の神が誰なのかを思い出した途端、総毛立ちました。


「《鍛造フォルグ》」


 宝石が棘へ変じて伸び上がるのと、飛び退いたのはほぼ同時。

 負傷は肩を僅かに掠めただけですが、拘束を解いてしまいました。

 慌てて体勢を立て直し、ふたたびウィナへと飛び掛かろうと――


「遅いですわね」

「がッ……!」


 鋭い蹴りが、腹に。

 身体が鞠のように甲板を跳ね、帆柱にぶつかって止まります。

 暴れた息が口から外に。身体の痛みはとめどなく。

 それだけです。まだまだやれます。何のこれしき。


「お嬢を、どこに……!」

「熱くなりすぎですわ、すこし耳を澄ませればわかるでしょうに」


 立ち上がったオレの問いに、ウィナは呆れたように溜息をひとつ。

 ウィナに追撃する気はないようですが、んなこと関係ありません。お嬢の居場所がわからない以上……いえ、お嬢に危害を加えた以上、タダで済ませるなんてあり得ないのです。必ずや、その綺麗な顔をぶっ潰してやらねば。

 そうして構え直した時です。

 不意にウィナは、お嬢が居たはずの場所を顎で指し示して。


「行きなさいな。伝えるべきことは彼女に伝えてありますわ」


 それだけ言って、その場を去っていきました。

 闇に紛れてからの不意打ち、かと警戒したものの、それも違う様子。ウィナは姿を隠すこともなく、船から船へと飛び移り、やがて船街から降りて行きました。

 わけがわかりません。

 わかりませんが、考えている場合でもなく。


「お嬢!」


 痛む身体を動かし、ウィナの示した海を覗き込みます。

 

「ラン?!」


 真っ黒な海のなか、船のランプに照らされた、赤い頭が答えました。

 恐らくウィナに突き落とされたのでしょう。あの女、許しません。

 

「すぐ行きますんで、もう少しだけ辛抱を!」

「いやちょっと待ちなさい! アンタは――」


 最後まで聞くこともなく、飛び降りました。

 冷たい海を掻き分けながら、お嬢の姿を探します。

 

「お嬢! お嬢、どこですか! まさか溺れちゃいないでしょうね!」

「もう、あたしが溺れるわけないじゃない」


 お嬢は、オレのすぐ後ろで、余裕の表情を浮かべていました。

 そうでした。島国生まれのお嬢が溺れるなんてあり得ません。魚や貝を手づかみで取ってきて、ジレンの宿に持ち込むような人なのです。安堵のあまり、身体からきゅうと力が抜けて、目端に涙が浮かびました。


「よかった。ほんと、ご無事でぇ……!」

「まって、ラン、うごけなッ、危ないってば!」

 

 ぎゅうと身体を抱きしめます。

 暖かい。冷たい海のなかでも、お嬢の身体は暖かい。

 ちゃんと生きてます。息をしてます。触れられます。側にいます。

 ほんとうに、よかった。


「あぁもう! はやく離れ……、……なくていいわ」


 お嬢が急に大人しく。


「ラン、そのまま捕まってなさい。絶対に離すんじゃないわよ」

「お嬢? え、あ、やっぱり不安でした? だったらもっとぎゅうっと……」 

「なにわけのわかんないこと言ってんの。そうじゃなくて、アンタさ」


 お嬢は労るような表情を浮かべ、オレの身体をぎゅっと掴みます。


「平気になったの? 海」

「…………あ?」


 うみ。

 いつか、何日も何日も漂い続けた、海。

 行き先なんて決められず、潮に命を預けた時間。

 喉はカラカラ。体温なんて消え去って。

 じわじわ身体が冷たくなって。魚が肉を齧じり初めて。

 怖くて怖くて仕方がなかった、あの、うみ。


「ちょっと、ラン?!」


 きゅう、と意識が固まって、身体が動いてくれません。

 かつて流木にそうしたように、お嬢の身体へしがみつくのが精一杯。


 なんと情けないことでしょう。

 

 側でお嬢を守りたいとか、笑顔を向けていて欲しいとか。

 自分勝手な願いのために、騙して島から連れ出しておいて。

 ウィナには軽くあしらわれ、お嬢には逆に助けられるだなんて。


 オレはホントに、どうしようもない男です。

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