海上の落伍街

『情報が入ったらすぐに教える。それまでは、我らが陸の船を楽しみな』


 なんて言葉と共に、船長と分かれて半刻後。

 料理をたっぷり堪能してから、オレたちは街へと繰り出しました。

 時刻は午後。太陽は空の開けた海側へと移り、岩屋根に遮られることなく街を明るく照らしています。暗がりに差し込む光も美しいものでしたが、これはこれで悪くありません。

 波を伴音に歌う鳥。水面のきらめき。磯の香り。

 慣れた空気を味わいながら歩いていると、見慣れぬ建物に辿り着きました。

 建物というか、船というか、町というか。


「……船でできた町、ですかね?」


 唖然と眺めるその場所は、船であり町でもありました。

 帆船を船橋で繋ぎ合わせて作り上げた、言うなれば船の島。

 そのうえに、人の営みが根付いているのです。

 船帆を支えるロープには、ずらり干された洗濯物。甲板に並ぶ床屋台には、塩や干物や果実といった、日常に寄り添う品だらけ。釣り糸垂らす男の背中に、駆けずる子供がぶつかって、魚の代わりに捕まりました。

 屈強無骨な海賊船が、なんとも形無しな有様です。


「ねぇ! ここって、どういう場所なの?」


 この場にグァルグ船長は居ませんから、オレたちは当然ふたりっきり――

 なぁんてことはありません。


「船街、と言いますわ。役目を終えた船に人が住み着き、今やこの有様ですの」


 応じたのはお邪魔虫二号。もとい、女海賊ウィナ=コット=ペルラオルカ。

 グァルグ船長が自分の代わりに付けた案内人です。

 ようやく二人きりになれると思ったのに、あの獣はホント余計なことばかりしやがります。まぁ、土地勘もなく街を歩くのは危ないと聞きますし、有り難くもあるのですが。


案内人ガイドなど少々不服ですが、やるからには完璧にこなさせて頂きますわ!」

「不服でしたら、二人っきりにしていただいても一向に構いませんが?」

「こちとら、貴方がたを案内するよう頼まれているんですのよ。この私にグァルグさまの願いを無下にしろと?」


 ウィナが眉を吊り上げて睨んできます。

 負けじと言い返してやりたいところですが。


「こら、ラン。せっかく案内してくれるのに、なーに失礼なこと言ってるの?」


 強く言おうにも、多勢に無勢なのでした。


「悪いわね。ランって以外と人見知りで」

「べつに貴方が謝る必要はないでしょうに。この男が失礼なだけですわ」


 

 このふたり、意外と気が合うようなのです。

 最初こそ、ウィナはお嬢を敵視しているようでしたが、今は落ち着いています。お嬢は良くも悪くも裏表のない性格ですから、警戒するだけ無駄だと悟ったのでしょう。

 お嬢もお嬢で、ウィナを気に入っている様子。自分に劣らずぶっ飛んだ性格をしているうえに、実力までも確かとなれば、お嬢の目に留まるのも当然のこと。お嬢は先程から、ウィナの近くに寄っていって、積極的に声をかけていました。


「ね、ここの特産ってなに? うちじゃ育たないものもあるわよね?」

「貴方がたの島と同じく、海産物が中心ですわね。それ以外ですと、街の外でオリーブやレモン、トマトなどの栽培を進めていますわ。とはいえ、近隣の国々には遠く及ばない規模ですが。略奪業で生きてきた弊害ですわね」

「ふぅん。どれもスティルベルじゃ聞かない農作物ね?」

「気候が違いますもの。あとは、海底魔石や宝石の採取でしょうか」

「あ、それはうちでもやってるわ。ティールの紋章持ちが居ると楽なのよね!」

「地にまつわる事柄となれば、ソーラジェーラもお忘れなく」


 と、こんな具合です。

 自国の文化に興味を持ってもらえるというのは、やはり嬉しいものなのでしょう。ウィナは面倒がりつつも、断ることなく答えていました。高圧的な女性かと思っていましたが、意外にも面倒見も良いようです。

 お嬢に構ってもらえないのは残念ですが、笑顔ですから良しとしましょう。

 珊瑚と真珠がはしゃぐ姿は目の保養にもなりますし。


「なにぼーっとしてんの? はやく行きましょ、ラン!」

「はいはい! いま行きますって!」


 さて、船街に話を戻しますが、ここは何とも興味深い場所です。

 ある船は市場船。甲板の露店のみならず、船室のひとつひとつが店になっており、食料品から鍛冶製品まで、なんでも揃った総合商店。

 またある船は宿屋船。眠れりゃ満足の旅人は、荷物を抱いて大部屋で雑魚寝。警戒心と貨幣があるなら、個室や相部屋にも変更可能です。オレたちの場合は、グァルグが手配した個室に案内されました。残念ながら、相部屋ではありませんでしたが。

 ほかにも居住区やら調理場やらもあって、なんとも飽きない場所でした。


「目が回るもんですねぇ、異国ってのは」


 ひとしきり見て回ってから、休憩にと船の縁に座り込みます。

 銅貨で買った果実の汁を喉に流しつつ、涼しい潮風に吹かれていると、頭がゆっくり冷えていきます。観光、というのは楽しいですが、なかなかに疲れるものです。こんな経験、お嬢に拾われた七年前、スティルベルを巡ったとき以来でしょうか。

 なんて思いを馳せていると、すぐ隣に人の気配が。

 

「主人を放って休息とは、部下の風上にも置けませんわね?」


 ウィナが船の縁に身体を預けつつ、こちらを見下ろしていました。


「放ってなんかいませんよ、ちゃんと目は向けてますって」


 オレが顎で指し示した先。

 お嬢は船街の子供たちと遊んでいました。

 いやまぁ、遊んでいる、というか仕事の手伝いなのですが、傍目にはそうとしか見えません。一緒にロープを登って洗濯物を取り込んだり、生足を木桶に突っ込んで、はしゃぐように洗濯物を踏み洗いしたり。なんとも楽しそうなものです。

 

「いい場所ですね、ここも」


 潮風が運ぶ子供の声に、はたと言葉が溢れました。

 スティルベルの外にも、お嬢が笑える場所がある。

 それが嬉しく、同時に安心してしまったのです。

 

「えぇ、そうですわね。いまは平和なものですわ」

「いまは? 昔はどうだったんです?」

「元々、ここは船の墓場でしたの。スラム、という言葉はご存知で?」


 オレは首を縦に振ります。

 貧民窟、あるいは落伍街。

 悪く言ってもよいならば、落ちぶれた者たちの街、という意味だったような。


「船街は、略奪制限により役目を奪われた船を用いた居住区であり、船を提供した海賊たちの住まう場所。となれば、治安などあってないようなもの。人の売り買いなど当たり前、海には膨らんだ死体が浮かぶ、それはもう恐ろしい場所でした」

「国の方針が変わったからこそ、ですか」

「生き方を奪われたからこそ鬱憤が爆発したのか。腐りきった国を見たからこそ変革を決意したのか。今となっては、確かめる術もありませんわ」


 うまく想像できません。

 スティルベルで生きた七年間は、まさしく平穏無事なもの。事件など、島民たちの小競り合いや、島の魔物が暴れる程度が関の山。淀み腐った社会だなんて、冒険譚より空想し難い、悪夢のような話です。


「私も、その時期にこの国へ来ましたが、それなりに苦労しましたわ。なにせ、これだけの美しさですもの」

「……自分で言いますか、それ」


 突っ込みましたが笑えやしません。

 恐らくは、それなり、なんてものじゃなかったはず。

 治安の悪い国において、美は剥き出しの金貨と同じ。

 見目麗しい彼女が海賊たちにどう映ったかなど、簡単に想像できます。

 

「けれど、グァルグさまが来てくださった」


 ウィナがぽつりとつぶやきます。

 その瞳が向く先はオレではなく、空にはためく髑髏の旗。

 彼女は自分に言い聞かせるように、想いを波音へ溶かしています。


「海賊たちに囚われ、慰み者に堕ちようとしていた私を、彼は救ってくださった。そして今、我らが船の舵を切るべく、その身を帆にして駆けている」


 滲み溢れた彼女の心は、あまりにも直向きで。

 色めき立つよな言葉なのに、茶化せるような色はなく、


「叶うならば、お支えしたい。この身が錆びて朽ちるまで、誰よりも近い場所で」

 

 まっすぐな想いだけが、波が浜砂に染みるように伝わってきました。


「……これ、もしかして惚気られてます?」

「のッ?! ちがッ、わ、私はただあの方を敬愛しているだけですわよ!」

「いやいや、無理があるでしょう。あんなに盛った態度を見せといて、気づかないなんて馬鹿ってもんです」

「んな、なぁッ?!」


 真白い肌が赤に染まります。

 オレと同じ年頃のくせに、生娘のような恋をしている様子。

 これはなんとも面白い。からかい甲斐がありそうです。


「ちゃんと言葉で伝えました?」

「なにをですの?!」

「好きとか愛してるとか、お慕いしております、みたいなのですけど」

「そんな歯の浮くような言葉、言える訳がないでしょう!」

「だったら、さっさと言っちまった方が良いんじゃないですかねぇ。肝心なことを言わないまま、他所の誰かに攫われちまったら虚しいでしょう?」

「そんなことッ……!」


 その言葉に、ウィナは反論を呑み込んで。

 

「……そんなこと、わかってますわよ」


 しおらしく頷いてしまいました。

 流れで放った言葉ですが、どうにも刺さってしまった様子。

 いささかの気まずさを感じると同時、苛立ちも覚えます。

 惚れた腫れたの話が行動なしに叶うことなど有りえません。好きだ好きだと態度で伝えているのは結構ですが、それだけを見せてあとは相手に求められるのを待つというのは、意気地なしどころか卑怯者にも見えてしまいます。あまり、気持ちのよいものではありません。

 これがいわゆる、へたれ、というヤツでしょうか、と考えて――

 

『へたれ弟子め。さっさとくっついちまえば良いのによ』

 

 もしかして、ジレンから見たオレもこんな感じなのでしょうか。

 いやいやいやいや、まさかまさか。

 オレはここまで酷くありませんし。

 ……酷くない、ですよね?

 

「ねぇ、ラン!」

「へぁッ?! あ、はい、なんですかお嬢!」


 声にびくりと振り向くと、お嬢がこちらに手招きをしていました。

 片手には赤毛のクルスの手記。足元には船の子供たち。

 

「お祖父様の話をするわ! 誰より自由な冒険者、クルス=シーカーの冒険譚!」

「あぁ、魔物役が欲しいと。子供向けに話すんですね」

 

 お嬢は本当に、人と打ち解け合うのが早い。

 苦笑しつつも立ち上がると、ウィナもまた、お嬢に視線を向けていました。


「クルス=シーカーの孫娘? つまりそれは、スティルベルの……」

 

 そういえば、有力者の娘、という体で伝えてましたっけ。

 ここらの木っ端海賊が悪い気を起こすとも知れませんから、隠すことには賛成です。けれど、ウィナに関しては平気でしょう。彼女の上司であるグァルグが事実を知っている以上、隠す意味がありません。


「まぁ、あまり口外しないでくださいね」


 楽しげに待つお嬢と子供たちを待たせるわけにはいきません。

 ウィナに背を向け、お嬢の元へと向かいます。

 ふと、心地よい潮風が吹いて。


「……そうですか、あの女が」


 思い詰めたような呟きが、風に混じって聞こえたような気がしました。

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