旅と食

『冒険でいちばん楽しかったことかぁ。やっぱり、ご飯を食べる時かな』


 いつの日か、お嬢の祖父様赤毛のクルスが語っていました。


『味そのものはもちろんだけど、土地の特徴が見えるのも面白いんだ。お肉や野菜の種類から、香辛料の使い方。雪国で食べた白いシチューは暑い土地じゃあ作りづらいし、逆に向こうの人たちはヤシの食べ方なんて知らない。お皿ひとつを見るだけで、ちょっとした冒険なんだ』


 季候に文化、地形に宗教。土地のすべてが詰まった象徴。それこそが食であり、旅のなかでも、とびきり重要な娯楽のひとつ。涎すら垂らしそうな顔で、かつての食を思い起こすクルス様に、かつてのオレは呆れてしまったものですが――


「チーズって何ですかコレ、うっまッ!」 

「ねぇラン、この肉なんか柔らかいの! 脂もすごいし、鳥の肉とは全然ちがう!」

「こっちの魚も、地味な色のわりになかなか!」


 

  なるほど、たしかにイイもんです。

 こんなイイものをどうしてありつけているのかと言えば。


『ま、立ち話も何だろう? まずは舌を緩ませるとしようぜ』


 なんて提案に、腹の音で答えてしまったからでした。

 そうして訪れた酒場もまた、スティルベルとは違う雰囲気です。潮で削れた洞窟のなかに作られており、ランタンがなければ昼でも真っ暗なのではと思うほどに薄暗い。壁には昔の海賊旗などが飾られており、まさしく海賊の隠れ家といった印象でしょうか。

 一方で、客層は落ち着いた――とまではいいませんが、想像していたほどの野蛮さはありません。舶刀カトラスを佩き三角の帽子を被った、絵物語で語られるような海賊も居るには居ますが、せいぜいが数人といった程度です。


 そんなことよりメシの話。

 イスラフラッグの料理は見たことないものばかりで、とくにパンには驚きました。薄く引き伸ばされており、そのうえに具材を置いてから焼くのです。具材はチーズや肉、トマトとかいう赤い野菜、あるいは魚を乗せるものまでさまざまでした。


 ピザ、という名前だそうですが――なんとも食欲をそそること!

 パリッと焦げ目の付いた生地。夕陽のままのトマトの赤。誰が見たって喉鳴る脂。

 そして何より、雲のようにとろけたチーズ!

 

 ここまで濃厚な食べ物は他に知りません。どっぷりと舌に絡まる酸味と塩味。コクのある味わいに、癖になる独特の臭み。それらすべてが一体となって、ピザの味を支えていました。難点があるとすりゃ、熱すぎることくらいです。猫舌なもんで。


「はぁ。おい、っしぃ……!」


 お嬢も気に入ったようで、幸せそのものの表情をしていました。

 つまりピザは恋敵。一枚残らず噛みちぎってやらなきゃなりません。


「あッ、ちょっとラン! それあたしが狙ってたヤツ!」

「狙ってたなんて知りませんし? それにまだ残ってるじゃないですか」

「具が違うの! 寄越しなさいってば、こら!」

「ちょ、まッ、近いですって! 渡します、渡しますから!」


 なんて食事を楽しんでいると、グァルグ船長の豪快な笑い声が響きました。


「死なず沈まず、帰ってきたくなる味だろう?」


 頷かざるを得ない味でした。

 味の良さはもちろんのこと、目にしたことない食材だらけ。

 スティルベルは高温多湿な島国ですから、食材には自由が利かず、保存にも気を使う必要があります。対して、イスラフラッグは陸で他国と繋がっているうえに涼しい気候ですから、食の選択肢も広いのかもしれません。

 

 旅をしていけば、もっと色々な料理が食べられるのでしょうか。

 今後に期待が膨らむってもんです。


「……まったく、賑やかな余所者ですこと」


 呆れた様子で呟いたのは、先程大暴れしていた女海賊。

 先程までは、グァルグにべたべた張り付こうとしていた彼女ですが、いまは落ち着いている様子です。それでも、隙あらばグァルグの側へと椅子を寄せようとしているのを見るに、なんとも愛に貪欲な女性なのでしょう。まったく、見ていて恥ずかしいもんです。


「ウィナ、さっきも言ったがコイツらは……」

「俺の客だから丁重に、ですわよね。わかってますわ」


 彼女は不満を顔に浮かべながらも溜息を吐くも、主の言葉に逆らう気は無い様子。こほん、と咳払いを落として注目を集めると、美しい礼を示します。


「それでは、改めてご挨拶を。私はウィナ。ウィナ=コット=ペルラオルカ。海賊船ペルラオルカの船長にして、グァルグ様の部下ですわ。以後、お見知りおきを」

「エイルよ。こっちは相棒のランネル」

「どうも」


 軽い挨拶を交わす最中に気付きます。

 ウィナの視線が、お嬢に刺さりっぱなしなのです。敵意――とまではいきませんが、明らかに警戒している様子。こんな不躾な態度を取るなど、いったい何だというのでしょう。

 

「……貴方、スティルベルの有力者の娘、ということでしたわね?」

「ん? いやお嬢は有力者っていうよりも――」

「そうそう有力者の娘よ。ちょっと政治に関わってる人が父親なの」


 お嬢にぴしゃりと割り込まれました。

 どうやら、お姫様だということは秘密にしておきたい様子。オレとしても余計なトラブルを呼びたくありませんから、以後、お嬢の立場はぼかして話すことにします。


「グァルグさまとは、その、どこでお会いに?」

「ちょっと船に相乗りさせてもらっただけよ」

「……そう、ですの」


 ほぅ、と胸を撫で下ろす様を見て、先程の態度に合点がいきました。

 彼女はお嬢を警戒していたのです。

 恐らくは女として。

 まぁ、気持ちはわかります。惚れた男が愛らしい女性を連れ帰ってきたとなれば、恋する乙女としては警戒するもんでしょう。オレだって逆の立場なら警戒しますし、場合によってはその男を沈めます。


「……グァルグ、アンタとウィナってイイ関係なんですよね?」


 こそっとグァルグに尋ねると、彼は渋い顔を浮かべました。

 

「バカ言うな、ただの上司と部下だ」

「あれだけ好意を向けられておいて、なにもシてないんです?」

「それだけ好意を抱いておいて、なにもシてないヤツが言うことかよ」


 ごもっとも。

 ともかく、これで分かりました。

 ウィナはグァルグに片恋しているものの、袖にされているのでしょう。

 まったく、あれだけの美人を相手にグァルグも損なものです。枯れているのか、あるいは別の相手でも居るのか。なんであれ、お嬢でないならどうでも良いのですが。

 とはいえ――


「……さっさと諦めてくれりゃいいんだけどな」


 獣の背けた顔を見るに、攻めてりゃ落とせそうなもんですが。


「それでは、もうグァルグ様に用はありませんのね?」

「あたしからの用はないんだけど――」

 

 警戒を解いたウィナの問いに、お嬢は目を細めると。


「でも、なんだか世話を焼かれてるのよね」

「んなッ!」

「正直いうとね、あたしもちょっと気になってるの」

「んんッ?!」


 うめき声。前者はウィナ、後者はオレ。

 気になってるって、ナニがです?!

 

「アンタになんの得があって、これだけ世話を焼いてくれるの?」


 あぁ、よかったそっちの意味でしたか。

 いやぁ、殺さずに済んで助かりました。


「……イスラフラッグまで送ってくれたことまで、はわかるのよ」

 

 恐らく同じことを考えているオレたちをよそに、お嬢は目を細めます。

 

「そうせざるを得なかったでしょうしね。でも、その後はおかしいわ。街の観光に付き合ったり、こうしてご飯を奢ってくれてる理由は、なに? アンタにそこまでする理由なんて、無いと思うんだけど」

「一緒に航海した仲だから、とは考えないのか?」

「んー……アンタの場合は違うわね。なんだかギラギラしてるもの」

「直感だろ?」

「いちばん信頼できる根拠よ」


 自信に満ちた言葉に、船長はニィと牙を剥きます。


「スティルベルの情報が欲しいのさ」


 顔をしかめたお嬢を見て、グァルグが慌てて続けます。


「あぁ、嬢ちゃんの故郷に悪いことをしようって訳じゃねぇよ? ただな、スティルベルとウチの交易は始まって日が浅くてね。嬢ちゃんの立場から助言が欲しいのさ」

「商売のため、ってこと?」


 グァルグは頷きと共に居住まいを正しました。

 それから、真剣な声色で。


「……イスラフラッグはな、略奪から足を洗いつつあんのよ」

「海賊の国、なのに?」

「国だからだよ。地に足付けて暮らしてる以上、陸のしがらみは無視できねぇ。それに、世界のあちこちで新しい船が生まれてるだろ? 魔石で動く船だの、火薬で動く船だの。技術と資源のない俺たちじゃ、逆らえない流れが来るのさ」


 船乗りたちから聞いたことがあります。

 スティルベルの北にある竜の大陸。そこにある学術都市で生まれた技術が魔導学です。火を使わない灯りや、馬や風に頼らない動力など、新たな技術が生まれつつあるのだとか。

 遠い土地の話だと思ってましたが、そうでもないんですねぇ。


「時代の流れが変わる以上、波を読めなきゃ沈んじまう。だから少しずつ、略奪から貿易へ生き方を変え、ようやく可能性が見えてきたところさ。んで、その可能性ってのが――」

「スティルベル、ってことね」


 グァルグはにっと笑って頷きました。


「何度か訪れて分かったよ。あの島は、ちょっとした取引先で済ますには惜しい。そういう立地だってことは、嬢ちゃんだって分かってるだろ?」

「そうね。角の大陸との交易が盛んになるなら、ウチは玄関口になり得る。実際、ウチに商館を建てれないかって打診も増えてきてるし」 

「そのうえ発展途上なんで、恩も売りやすいときた。さっきの騒ぎもアンタらの海――オールム海の品だったから摘発したのさ。アンタらへの略奪を止めさせなけりゃ、まとまる商談もまとまらねぇ」

「あぁ、通りで。うちや近所の商品ばかりだったものね、さっきの」


 お嬢は腑に落ちたように頷きます。

 生まれ持った頭の回転の速さと、スティルベルの姫君として受けた高等教育。その賜なのか、お嬢はこうした難解な話題にも慣れています。

 オレはと言えば勉強するお嬢の横顔を眺めていただけなので、おぼろげな知識しかありません。それでも、ただの海賊よりは恵まれた環境に居たつもりですが――お嬢と対等に話す様を見るに、グァルグは頭が切れるようです。

 なんだかちょっと、ムカつくような。


「条件があるわ」

「言ってみな」


 グァルグは顎で先を促します。

 

「あたしの国の冒険者、赤毛のクルスの情報が欲しいの」

「三年くらい前に来たハズなんです」


 さすがに名前だけでは足りないでしょう、と口を挟みました。


「船のうえでも話した通り、クルスさんの捜索が当面の目標なんです。連絡ひとつ寄越さないもんで、冒険のついでに探しに行ってみようってハナシでして」

「まぁ、無事だと思うけどね。お祖父様がそう簡単に死ぬわけないし」


 お嬢の言葉は確信に満ちたものでした。

 世界で名を馳せ、英雄譚を山ほど残し、果てには国を興した冒険者。

 ……というのは、オレにはあまりピンときません。

 冒険者として名を残していたところで、オレが知るのはお嬢の手記や、老人たちの想い出語りのなかだけ。スティルベルの街に隠居していた、気の良いお人好しの爺さんというのが、赤毛のクルスの印象です。

 ですが、腕に関しては確かでした。

 何度か稽古をつけてもらいましたが、オレとお嬢が二人がかりで挑んだって、片手であしらわれるほどの。あの人がそう簡単に命を落とすわけがない、というのがお嬢とオレの共通認識です。


「こんな感じの真っ赤な髪をしてるんで、とても目立つと思うんですが」


 ぽふぽふとお嬢の髪を叩いて、船長さんに示します。役得役得。


「さてな、俺は知らねぇが。ウィナ、お前もそうだな?」

「……えぇ、知りませんわ」


 ウィナさんも頷きましたが、ほんの一瞬の間がありました。

 

「ほんとうですか?」

「近頃では、船の入りも増えていますもの。余所者の顔などいちいち覚えていられるわけが無いでしょう?」

「クルスさんのことですから、厄介事に首を突っ込んでると思うんですが」

「私たちはおかに時間のほうが少ないですので」


 動揺は一瞬のもので、彼女にはもう隙はありません。

 クルスさまに関する何かを隠しているのでは、とも思いますが、これ以上は無理でしょう。お嬢も追求するつもりは無いようなので、オレも黙ることにします。


「時間をくれるってんなら、こっちで調べてやってもいいぜ? これでも顔は広いんでね。海賊だろうが商人だろうが、この街を通る客たちに片っ端から訊いてみるさ」


 怪しいところもありますが、魅力的な提案です。

 赤毛のクルスはスティルベルからイスラフラッグへと向かった。

 それだけがオレたちの持つ手掛かりである以上、ここで情報が得られなければ、行く当てが無くなってしまいます。かといって、余所者であるオレたちでは情報収集も難しいでしょう。

 とはいえ、最終的な判断を下すのはオレではありません。

 

「ひとつ、聞いてもいいかしら」

「おぉ。俺に答えられることならな」

「アンタって、何者?」


 どういう意味なのでしょう。

 オレはてっきり、彼は商人なのだと思っていました。交易船に乗っていましたし、今の話題だって商売に関わるものでしたから。ですが、いまのお嬢の言葉からは、なにか確信めいたものを感じます。

 訝しむオレのまえで、彼は獣らしく牙を剥いて笑いました。

 

「ただの海賊あがりの商人だよ」

「そ。まぁ、べつに何だっていいけどね」


 お嬢はあっさり頷くと、挑発的な笑みと共に、獣へと手を差し出しました。

 

「その話、乗らせてもらうわ」

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