猫は見ていた、そして呆れた

 スティルベルの港街は虹色をしています。

 色を成すのは、塗料で染まった家屋の壁や、路地の露天の日除け布。潮風による劣化を避ける為だとか、移民の街故に好む色が違ったからだとか、理由は色々あるのでしょうが、なんとも鮮やかな景色でした。

 

 とはいえ、見慣れた美しさだけで晴れる気分でもなく。

 頭のなかでは、結婚、という単語がぐるぐると廻り続けていました。

 他国との結びつきを強くするためなのか、あるいはお嬢を冒険に行かせないために縛りたいのか。その理由まではジレンも把握していないようでしたが、縁談話そのものは確かな情報なのだとか。

 彼いわく、相手は小国の王族サマ。名前までは教えちゃくれませんでしたが、一体どこの馬の骨なのでしょう。ケダモノのような男だったら、いっそ仕留めちまいましょうか。棍で頭を砕いてやって、遺体は海に捨てちまえば――



「――ねぇ! ねぇちょっと、ランってば! もう、聞いてる?!」


 気がつけば、お嬢の顔が目の前に。

 えぇと、どういう状況でしたっけ。

 宿酒場での食事を終えて、いつもどおりの街歩き。困っている島民がいれば手を貸して、そうでなければ久々に手合わせでもしましょうか、なんて話していたところだったような。


「あ、あぁ、そりゃあもちろん。近所の猫が孕ませられてお祝いしないと何とかかんとか? それともリンディがやぁっと結婚したんでしたっけ?」

「やっぱり聞いてないじゃない、まったくもう!」


 可愛いらしいぷんすか顔が、心配そうな表情に変わります。


「どうしたの? 心ここにあらず、って感じよ。珍しいじゃない」

 

 縁談話について、お嬢には何も伝えていません。

 もしもお嬢がなにも知らないのであれば、話せば事態が動くでしょう。いつも以上の親子喧嘩が起こるのは勿論のこと、その結果次第では、年頃の女に付き従う盛りのついた男なんて、側に居られなくなるかもしれません。

 逆にお嬢が知っていたとすれば、余計に最悪です。オレに相談がないということは、欠片も男として見られていないことの証左ですから。確かめるなんて、とてもとても。

 


「……あぁ、こんどジレン秘蔵の酒が飲めることになったんですよ。それが楽しみで楽しみで、ついつい恋い焦がれちまってて」

「アンタって、そこまでお酒好きだったっけ?」

 

 お嬢はまだ納得していませんでしたが、それ以上追求してきませんでした。


「それより、さっきそこでベルゴが話してたんだけど――」

「ベルゴって男ですか?」

「船乗りの男の子よ。島民の名前くらい、全員覚えておきなさい」

「無茶いわないでくださいって。小さい島でも千人近くは居るんですから」


 辺鄙な島国スティルベルも、近頃は人が増えてきました。赤毛のクルスが旅の最中で知り合った人々や、大陸間交易の新たな拠点となるのではと目を付けた商人といった人々が移り住みにきているのです。

 そのすべてを把握するなど、簡単に出来ることではありません。

 なんだかんだと、お嬢は島のみんなが好きなのでしょう。

 

「それでね。街で迷子が出たらしいから、暇つぶしに手伝ってくるわ」

「人探しですか、だったらオレも……って、ちょっと待ってくださいって!」

「アンタは適当に休んでなさい!」


 言うや否や、お嬢は止める間もなく走り去って行きました。


「……気を遣われちゃいましたかね」


 悩む姿が疲れているようにでも見えたのでしょう。

 気遣いを無駄にする訳にもいかず、去りゆく赤髪を見送ります。

 さてはて何をしたものかと、当て所なく街をぶらぶらと。

 ふと、港を望む塀のうえに、一匹の黒猫が目に入りました。


「となり、失礼しますね」


 尻尾の返事を聞きながら、塀に頭を突っ伏します。

 いつもなら、暴走するお嬢を追って駆け回り、島に持ち込まれたトラブルに殴り込み、その後始末に頭を下げに回っているというのに、いまはまったくやる気がでません。このまま腐って、貝にでもなっちまいたいほどです。


「……オレはどうすりゃ良いんですかね」


 猫に人の言葉がわかるわけなく、答えはなにも返りません。

 代わりに聞こえてきたのは祝い声。

 声の出処は港街の一角。一組の若い男女を、人々が取り囲んでいます。

 猫は目をその光景を見て、目をまん丸にしていました。


「あぁ、大陸教会風の結婚式ですね」

 

 北のガルデラ大陸にある、輝神クラウを崇める組織――大陸教会。

 そこの信徒たちには、婚姻に際して行う面倒な儀式があるのです。


「見届人の前で愛を誓うんですよ。絶対に幸せにする~とか、命ある限り守り抜く~とか。そんな風に新郎新婦を晒し上げて酒の肴にする儀式だったかと」


 眼下で執り行われているのは、まさにその式。

 頭に花飾りを付けた女性の手を跪いた男性がぎゅっと握り、『蒼神ティールのような献身と輝神クラウのような暖かな愛を、この海にちきゃおうッ!』と噛んでいました。それを見て、見物人たちは爆笑しながら酒を呷り、花嫁は悶える相手を励ますのです。

 間違いなく晒し上げ。絶対にやりたくありません。


「スティルベルを国家と承認してくれてる国には教会系もありますし、なにより移民の国ですから、大陸文化も多いんですよ。たしかファルサさまの時も教会式だったとか、ジレンが言ってましたっけ」


 つらつら解説したところで相手は猫。相槌なんて尻尾だけ。

 虚しくなりながら式を見ていると、またも新たなトラブルが。

 噛み噛みだらけの不甲斐なさによるパニックと、励ましてくれた花嫁への愛しさ故にか、新郎が新婦にぐわっと抱きついたのです。

 新婦は顔を真っ赤にして、本日からの旦那に頭突きをひとつ。痛みと羞恥に涙を浮かべる旦那の姿に、妻は指差し大笑い。そうして夫婦は揃って笑い、今度こそ近いの口付けへと至りました。


「犬も食わないなんとやら、ってヤツですか。まったく羨ましいもんで」


 見ているだけで腹いっぱいの、甘くて食えない痴話喧嘩。

 その様子をお嬢に置き換えてしまい、また気が重くなってきました。


「お嬢が嫁入りする時も、あのやり方なんでしょうかねぇ……」


 零れた溜息が掛かったのか、猫は面倒そうに身じろぎをひとつ。

 

「そりゃあ、お嬢が結婚だなんて認めたくはありませんよ?」


 黒猫の頭を撫でながら、一緒に式を眺めます。

 

「でもね、ファルサさまが言うことも事実なんです。だってお嬢はあの性格。冒険なんてものに出たら、何でもかんでも首突っ込んで、死んじまうかもしれません」


 お嬢の強さは認めますが、世界の脅威はそれ以上。

 自然の驚異に法の理不尽。天運ひとつに見放されただけで、命はあっさり終わります。平和なスティルベルとて、街から離れりゃ魔物が居ますし、漁で溺れ死ぬ人だっています。

 オレだってそうでした。

 島に流れ着いてなければ、あるいはお嬢に見つけてもらえなければ、それで終わっていた命。旅に出たって何とかなる、なんてどの口が言えるというのでしょう。

 

「記憶も立場もないオレじゃ、あの人を幸せに出来るわけないですし。ファルサさまの説得だって、そう簡単に出来ることじゃありませんし」


 お嬢がいかに嫌っていようと、姫の立場は力です。自由と引き換えにはなりますが、生きるに困らないでしょう。ファルサさまの檻のような愛だって、言い換えれば砦なのです。決して悪いだけのものではありません。


「それにお嬢は、島のことだって大好きです。そうじゃなけりゃ、とっくに飛び出してるに決まってます。冒険と同じくらい大事なものがあるんなら、外に出る必要なんてないじゃないですか」


 島民全員の名前を覚え、各々の状況を気遣い、必要に応じて力を貸せるほどには、お嬢は島を愛しています。もちろん、気晴らしの冒険者ごっこ、というのが根っこにあるとしても、彼女が島に尽くしていることに代わりはありません。

 冒険に出たいってのは本心でしょう。

 ですが彼女は、島の中にも夢を持てるはずなのです。

 

「それに、ほら。気持ちを伝えるとか、どうやりゃいいのか、わかりませんし」


 告白をして嫌われたら、海に沈むしかありませんし。

 気まずくなったら笑顔すらも見られなくなりますし。

 そんなの絶対、ごめんですし?

 

「へたれ弟子だの何だの言われますけどね。キミはどう思います?」

「にゃぅ」

「そこは返事を返すんですか……」


 言葉などわかりませんが、叱られたような気がしました。

 猫のくせに生意気な。

 

「いいんですよ。オレはお嬢の従者ですから」


 口ではどうこう言えたって、潮風はいつもより辛い味。

 でも仕方がないんです。

 この島に居たほうが安全ってのは事実ですし。

 記憶も立場もないオレに、お嬢を幸せにする力なんてありませんし。

 オレがファルサ様を説得できるとも思えませんし。


 だけどオレは、お嬢のことが――


「どうすりゃいいんですかねぇ、ホント」

 

 ぐるぐる心が絡まって、足が根に変わっていくような心地。

 それでも空は広く、果ての先まで雲が揺蕩っています。

 あぁ、もう、いっそのこと。

 

「……お嬢と一緒に、遠くへ行っちまえたなら」

「いま、なんて?」 

「ふぁいッ?!」

 

 慌てて振り返ると、すぐ間近にお嬢の顔が。

 驚いたような、訝しむような、真ん丸の瞳でこちらを見ていました。

 つまりは、今の言葉を聞かれちまってたわけです。あんな誤解を招きそうな言葉――本心ですが――を聞かれたとなれば関係が変わりかねません。それが良い方向に転ぶと限らない以上、認めるわけにはいきませんでした。

 

「あ、アンタ、いつのまに戻って……! いや、別に深い意味はねぇですよ?!」


 慌てて否定したせいか、驚いた猫が逃げて行きます。 

 けれどお嬢は変わらずにオレに圧をかけていました。翡翠の瞳はじぃっとオレの目を見たまま、瞬きひとつしていません。ただそれだけでオレが後ろに後退ると、ぴったりと同じ動きでお嬢も追いかけてきます。

 その瞳が徐々に不機嫌になっていくのを見て、オレは観念して繰り返しました。


「……お嬢と一緒に、遠くに行っちまえたら、って」 


 竜の尾を踏んだ心地です。大袈裟と言われるかもしれませんが、まったく大袈裟じゃありません。なにせ命が懸かってます。嫌だとか、怖いとか、ランとはそういうのじゃないから、とか。そんな態度を取られた日には、即座に舌を噛んで死ぬのです。

 それでも、勇気を出して、ちらと見ます。

 驚いたことに、お嬢の機嫌はぐるっと反転していました。

 曇った顔が晴れやかに変わり、にんまりと輝いていきます。


「やっとアンタもその気になったの?」


 ……え?

 あれ、これ、いやいやまさか。

 もしかして、オレの気持ちが通じてます?

 しかも喜んじゃってます?

 一緒に逃げだしちゃいましょうとか、そういう流れになっちゃいます?

 だとしたら、オレとしては大歓迎で。


「つまり冒険したいってコトね?!」

「そんなこったろうと思いましたよ!」


 まるっきり男として見られてませんからね、オレは!

 

「なによ、違うの? また期待させるだけさせて、お預けってコト?」


 お嬢がまた唇を尖らせますが、拗ねたいのはこっちの方です。

 アンタが嫁に行っちまうから焦ってるのに、冒険なんて。

 …………冒険?

 あぁそうか。

 その手がありました。


「いやいやまさか。今度の今度こそ本気ですよ」

「ほんと?!」

「えぇ。いつもみたいに、やっぱり止めときませんか、なんて言いません」


 お嬢は目をぱちくりさせると、身体をぶるぶると震わせて。

 

「やっっ、たぁーーーッ!!」


 諸手を挙げて喜びました。そりゃあもう、島中に響くような声で。

 

「でも、でもでもでもなんで?! あたしがいくら誘っても、いっつも大事なトコではぐらかしたり、危険だなんだって説教してたのに、なんで急に本気になったの?!」

「えぇ、と。ジレンに諭されまして」

「でかしたわジレン! これでやっと、冒険に出られるのね!」


 もちろん、そんな事はありません。

 お嬢が島から出れば、縁談話はなくなります。居ないんですから、結婚なんてできるわけありません。お嬢の夢も叶いますし、他所の男に盗られることもなくなりますし、一石二鳥です。

 ですがやはり、気になることもありました。


「いちおう確認したいんですが、ホントに良いんですね? 危ないことも沢山あるでしょうし、島のみんなにだって会えなくなります。ジレンの美味いパンだって、次に食えるのはいつになるかわかりません」

「それがイヤなら、冒険に出たいなんて言わないわよ」


 なに言ってんの、と睨まれます。

 確かにごもっともですが、本当にいいのでしょうか。


「だけどアンタは、島のために我慢してきたんでしょう?」

「は? なんで?」

「ありゃ?」


 はて、と鏡合わせのように、互いに首を傾げます。

 

「え、あ、いやその。そうじゃなけりゃ、とっくに島から飛び出してるでしょう? クルス様やラインの野郎と同じように」

「そりゃあ、島のみんなにも迷惑を掛けることになるけどね」


 いちおうお姫様だし、と挟んでお嬢は続けます。


「それでもあたしは、自分の人生を生きてみたいの。あたしがあたしであるために、与えられたままの生き方なんてしてやらない。あたしらしさを知るために、世界をこの目で見てみたいのよ。お祖父様がそうしたように!」

「だったら、なんで今まで?」

「なんでって……」


 めずらしいことに、お嬢は言い辛そうに目を逸らします。

 

「あたしが決められなかったのは、ぜんぜん、まったく、別の理由よ」

「だから、その別の理由、ってのは?」

「……え、っと。まぁ、そんなのどうでもいいじゃない」


 露骨にはぐらかされました。

 オレが追求するまえに、お嬢が口を開きます。


「それとも! ここまでその気にさせといて、いまさら撤回するつもり?」


 怒っているような悲しんでいるような、子供じみた瞳がそこにありました。

 ここでオレが怖じ気づけば、きっとお嬢は傷つくでしょう。

 オレにとっても、最後のチャンスに違いありません。ここで答えを誤れば、お嬢が決めかねている間に縁談話が進むでしょう。そうなれば、お嬢の笑顔はどこぞの男に奪われて、一生手が届かなくなってしまいます。

 風はずぅっと塩辛く、心が波打つ荒れ模様。凪も晴れ間もない一生。

 そんな人生を認められるほど、オレは誠実じゃありません。

 愛してるとか、側に居て欲しいとか、なにも伝えられちゃいませんが。

 それでもオレは、アンタの笑顔を見ていたい。

 

「……どこへだって着いていきます。オレはアンタの従者ですから」


 精一杯の勇気を出してそう告げます。

 にぃ、と浮かんだ太陽のような笑みに、すこしだけ心を締め付けられました。


「それじゃ、さっそく準備しましょ!」

「準備って。まだ行き先も決まっちゃいないんですよ?」

「行き先は決まってるわ。角の大陸の北端、イスラフラッグよ」


 港に泊まった船のひとつをお嬢が指します。

 その船には、髑髏の旗が揺らめいていました。

 略奪と航海の国。海賊たちの島。無法なりしイスラフラッグ。

 最初の目的地にしては、いささか以上に物騒な土地に思えます。

 なぜ、と思いかけましたが、すぐに見当がつきました。


「クルス様が向かった場所ですね。足取りを追いかけるんで?」

「そ! 冒険のための冒険も素敵だけど、やっぱり目的はあった方がいいでしょ? お祖父様を捕まえて、手紙のひとつでも書かせるの。そうすれば、お父様だって安心するでしょうし」

「そのファルサさまに出立のご挨拶などは――」

「しないわよ! ジレンにだけ挨拶して、こっそり出ていっちゃいましょ」


 そうと決まれば買い出しよ、とお嬢は弾むような足取りで歩きだします。

 なんとも迷いのないことです。

 うだうだじめじめ悩んでいたのが馬鹿のよう。湿った空気はからりと晴れて、いまやオレまで上機嫌。もしもの不安なんて消え去って、これからの旅路とそこで見える笑顔に胸が弾んでしまっていました。


「ホント、楽しそうですねぇ。不安とか心配とか無いんです?」

「砂粒ひとつくらいはあるけど、そんなことより楽しみなのよ」


 どこまでも澄む青空と眩く輝く太陽。

 そんなまばゆい世界すら、霞む笑顔がそこにありました。

 

「アンタと一緒の冒険は、きっと世界で一番だもの!」

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