第138話 小さな怒り。
車に乗り込み黒須さんを追跡する。
改造されたハイエースには小さいながら衣装部屋みたいな空間がある。
後ろには両手を結束バンドで縛られた男がいた。
パッと見は大学生くらいだろうか。
天使さんがその男を見てギョッとしたがなおさんがそのまま乗るように促していた。
最初に言っていた魚はこいつのことだろう。
あまり頭が良さそうには見えない。
おそらくただの使いっ走りか闇バイト参加者だろう。
「大学生くん。悪いけれどしばらく拘束させてもらうわ。警察に突き出されたくなかったら大人しくしててね」
「……」
不貞腐れているような態度の大学生。
見た目はどこにでもいるような普通の大学生。
そんな人が警察に突き出されかねない状況であるという事に天使さんは困惑している。
「……ねぇ本部くん、これ、大丈夫なの?」
「大丈夫かと言われると大丈夫ではないですね。色々と」
「この大学生くんは透花を
「…………」
爽やかな笑顔でそんなこと言っても怖いだけですよなおさん。
天使さんドン引きじゃん。
「追跡はどうなっているかしら?」
「ターゲットは目標地点に真っ直ぐ向かっているとのことです」
「そう。……思いの外、頭は良くはないようね。素人に毛が生えた程度か」
なおさんが零番隊と思われる部下と話している。
映画で見るような殺し屋的な雰囲気とまではいかないが、間違っても喧嘩して勝てるなんて微塵も思えない「只者ではない感」がする。
何度か月下組の人と会話したことはあるが、月下組の人はどちらかと言うとヤンキーとか、頼れる兄ちゃん的な人が多い。
けれどこの人たちは違う。
天使さんも怖がっているのか僕の裾を掴んで離さない。
「そうだ。健君たちにこれを渡しておくわね」
「こ、これは?」
「スタンガンよ」
「……」
「改造とかしてます?」
「ちょっとだけイジってあるから、気を付けて」
「ちょっとだけ、ね」
「気絶させれる程ではないから安心して」
防犯グッズとして優秀なスタンガン。
だがしかし、なおさん経由で渡されるとなると非常に扱いに困る。
本来のスタンガンは威嚇程度の威力しかなく、ドラマのように気絶させたりできるものではない。
音と電光で相手をビビらせて危険を回避する程度のものでしかないと聞くからだ。
「あ、あのなおさん……これからどこへ行くんですか?」
天使さんが不安げに行き先を聞く。
この状況でこんな物を渡されているのだ。
不安が募るのも仕方ないだろう。
僕も行き先自体知らないわけだし。
「透花の生みの親の家よ」
「……生みの、親……」
黒須さんの生みの親の元へ行くのに渡されたスタンガン。
不穏過ぎる。
「一応あなたたち2人はうちの子たちが護るから安心してくれていいわ」
「お嬢のご友人ですので、全力でお守り致します」
黒須さんをお嬢と呼ぶ零番隊の人たち。
世界が違いすぎて頭が追い付いていかない。
映画の世界にでも迷い込んでしまったようだ。
「れおさん、ドローンで撮影した敵の情報が届きました」
「ありがとう。確認するわ」
月下組、月宮れお。
それが直人さんの別の名前。
小説家でもなく、探偵助手でもない名前。
「……やっぱり山之組か。あそこは一応首輪は付けていたはずなのだけど……」
山之組? 首輪?
車のナンバーから特定したのだろうか?
わからないことが多すぎる。
「山之組の組長に連絡を取ってみますか?」
「現場を抑えてからでいいわ。もう遅いもの」
物騒な会話を平然としている……
組長とはこの場合はおそらく、ヤクザだろうか。
……今からヤクザ相手に黒須さん救出するのか?
本当に大丈夫なのだろうか?
直人さんは
黒須さんは合気道が使えるとは言っても、捕まって移動しているということは身柄を拘束されているだろう。
「立川たちに動きは?」
立川志乃。
黒須さんを産んだ女にして育児虐待の張本人。
「悠長にパチンコしているそうです」
「そう。随分といいご身分ね」
皮肉混じりになおさんは吐き捨てた。
その皮肉には静かな怒りを感じた。
音もなく静かに燃えている直人さんの心情。
直人さんの一挙手一投足に注意していないとわからない程の小さな怒りだった。
「立川たちが帰ってくるまでに透花を保護するわよ。じゃないと手遅れになってしまう可能性があるわ」
「かしこまりました」
緊迫した状況である事をより一層感じている隣の天使さん。
これからどうなるのか。
どうしたらいいのだろうか。
わかるばすもない問いが頭の中を巡りながら車は景色を変えていった。
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