第139話 自己紹介。

「……ここが、立川たちの家、ですか」

「そうよ」


 ボロいアパートだった。

 ワンルームなのだろう。


 とても30代の男女ふたりが暮らしているとは思えない。偏見だとは思うが。


「なおさん、なんであいつらはわざわざこの家に黒須さんを連れて来たんですか? ここに来る必要はあったのですか?」

「そこはよくわからないわ。それがわかれば苦労はしないもの」


 天使さんは不安げに僕の裾を掴んで未だ離さない。

 天使さんなりに現状を考えても誘拐と結論付けるだろうこの状況。

 普通なら、警察を呼ぶべきだ。


「じゃあお邪魔しましょうか」


 すでに誘拐犯が乗ってきたと思わしき車も発見している。

 なおさんは零番隊を配置に付けた。

 狭い所故に一緒に中に入る零番隊の人は数名。

 あとはベランダ付近に待機。


 立川たちを見張っている隊員も後々合流するともう少し増えるのだろう


「本当は蹴破ってもいいのだけどね」


 隊員の1人が宅配便の人のふりをしてインターホンを押す。

 ドアを蹴破って中に入るとかはさすがにドラマや映画だけだろうと思っていたけど、賃貸だからしなかっただけなのだろうか。


 なおさんなら本当にやりかねないんだよな……


「家主は今居ねぇよ。俺でもいッ!! てめぇ!!」

「お邪魔しまぁす♪」


 手下の1人を踏み付けて楽しそうに中に入るなおさん。


 入口早々にキッチンと狭い通路のため、一気には入れない。


「んだお前? デリヘルなんて、頼んでねぇ!ぞ?!」


 リビングに出てすぐにヤクザの男2人がなおさんに殴り掛かってきた。

 大振りな拳を微笑みながら受け流し、そのまま男は投げ飛ばされる。


「うちの娘を攫った王子様がいると聞いてご挨拶にでも思ったのだけれど、手厚い歓迎をしてくれて嬉しいわ」


 リーダーと思しき相手と対峙して微笑むなおさん、もとい月宮れお。

 リーダーの背後には猿轡さるぐつわで口を塞がれ手足を縛られている黒須さんがいた。


「黒須さん!」「黒須ちゃんっ!!」


 投げ飛ばされた手下を零番隊の人が抑えて結束バンドで拘束した。

 狭い室内で無駄のない動きだった。


「ちっ」

「あなた、山之組でしょう?」

「だからなんだよ?」

「あなたのところのボスとは知り合いなのよ」

「……何が言いてぇんだ?」

「だからどうしようかしらと思って」


 なおさんがリーダーの男にそう言って微笑んだ。

 ヤクザ相手にそんな笑顔ができる一般人を僕は知らない。


 なおさんの不気味さに何かを感じ取ったのか、リーダーの男は懐から取り出したドスを黒須さんの首に突き付けた。


「……動くなよ。じゃねぇとこの女がどうなっても知らねぇからな」


 手足を縛られている状況の黒須さん。

 そしてその黒須さんに短刀ドスを突き付けている男。


 それなのに、どうしてなおさんは余裕の笑みを浮かべているのだろうか。


「あなた、山之組の指示で動いているわけじゃないでしょう? お小遣い稼ぎかしら?」

「だったらなんだよ?」


 動揺を隠しきれていない男。

 たしかに考えてみれば、ヤクザが動いているならもっと大人数であってもおかしくない。


 だけど、今この場にいるのはこのリーダーの男より若干若い数名のみ。


「わざわざ闇バイトを使って人手を足したのも都合よく使う為。大学生相手なら報酬を踏み倒してもどうとでもなるし、 切っても傷まない尻尾なら便利よね」


 この男がどこまで僕らの事を知っているかはわからない。

 けれど、闇バイトの学生を使ってなおさんたちのリソースを割かせた事は結果的にいい案だっと言わざる得ない。


「立川志乃たちからなんて依頼を受けたのかしら?」

「お前に言う必要なんてねぇだろ? こいつがどうなってもいいのか?」

「素直に言っておいた方があなたの為だと思ったのだけどね」


 なおさんの微笑みが怖い。

 危機的状況であるにも関わらず、どうして笑っていられるのか。


「そういえばまだ自己紹介をしていなかったわね。わたしの名前は月下組の月宮れお。よろしくね」

「……月宮、れお……っ?!」


 男がその名を聞いて驚いた瞬間、拘束を自力で解いた黒須さんが男の手首を掴み投げ飛ばした。


「あら、知ってたのね。名前だけは」


 大の字になって床に倒れている男にしゃがんで微笑むなおさん。

 男は困惑と恐怖の入り交じった顔で口を震わせていた。


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