第121話 見明熊子の心情。

「ああ! ムカつくっ」


 なんなんだよあの煮え切らない態度は!

 ムカついてしょうがない。


「……くそ。重てえ……」


 買い過ぎた食材の重さにすら腹が立つ。

 本部はほんとに天使ちゃんに対してなんとも思ってないのか?

 憧れてるんじゃなかったのか?


「なにが「師匠と弟子」だよっ。いっちょまえに」


 何度か料理を教えてもらっていた手前でこんな事を思うのもどうかとは思うが、それでいいのか?

 てかそもそも本部はほんとに天使ちゃんの好意に気付いてないのか?


「……天使ちゃんのアプローチが下手すぎるのか、それとも本部が重度の鈍感か……」


 焦れったい。

 いっそふたりがくっついてしまえば、自分にとっては楽だ。

 これ以上悩まなくて済む。割り切れる。


「……ほんとなんなんだよあいつ。普通の男子ならみんなこぞって天使ちゃんを好きになるもんだろ」


 中学から一緒だが、天使ちゃんはいつもモテていた。

 それでも中学の頃の天使ちゃんはまだ少し余裕がなかった。

 シングルマザーである天使ちゃんの家の事はあたしもよく知っているし、あたしだって似たようなもんだ。


「……それでも高校になってようやく……」


 高校生になって、天使ちゃんはより明るくなった。

 少しだけわがままだって増えたりもした。

 だから安心してた。


 天使ちゃんが本部から料理を教わるようになって、より笑顔は増えた。

 楽しそうに教えてもらった料理の話をいつもしてた。


「なのに、なんで隣にいて気付かないんだよ」


 知らないふりをする本部が気に食わない。

 ただのクラスメイトだと割り切る本部が気に食わない。


 本部だって、天使ちゃんと料理してる時とか、楽しそうだっただろ……

 沖縄の時とか、見てたけどさ。


「あームカつく」


 いっそ、天使ちゃんに本部を襲わせるか。

 いや、無理だな。初恋らしいし。

 そんな大胆な事を天使ちゃんができるとは思えん。


 かといって本部から襲わせるというのも無理だ。

 あいつは絶対そんなことしない。できない。

 たぶん天使ちゃんが全裸で寝てても襲わないだろうな。

 ヘタレというわけじゃないが、紳士とも違う。


「……なんかこう、安心できるというか」


 男として魅力がないとかじゃない。

 天使ちゃんが好きになってなかったら、あたしは諦めなくていい。


 べつに彼氏彼女したいとか、思ったことはない。

 けど、憧れてた。

 本部があたしの彼氏で、結婚して、ちゃんとした幸せな家庭に憧れてた。


「…………あたしだって、好きなのに…………」


 女子高生ならもっとワイワイキャッキャしてるキラキラした恋愛とかの方が良いんだろう。

 でも、あたしにはそんな恋愛は先が見えなくて好きじゃない。


 美心を産んで死んだ母親と、金だけ振り込んで外国から帰ってこない親父。

 キラキラした偽物なんかより、あたたかいこれからが欲しい。


「……ちっ。はぁぁ。天使ちゃんにあてられたか」


 天使ちゃんだって、ただ恋愛がしたいわけじゃない。それは知ってる。

 お嫁さんになりたい、だなんて今どきの女子高生は普通は言わない。


 天使ちゃんは良い子だ。

 亡くなったお父さんに天使ちゃんが手を合わせている時、いつもそう思う。


 だからあたしは、天使ちゃんを裏切れない。

 先に好きになったのは天使ちゃんだ。

 そしてその恋を知ってるあたしは、その恋を奪い取るなんてできない。


「……だから……」


 だから早く、付き合ってほしい。

 諦められるから。

 これ以上、苦しくなりたくない。

 本部にムカついたりしたくない。


「……あたしだって、好きなんだよ……」


 浮ついた恋愛ソングみたいで気持ち悪い。

 でも、そうなんだ。


 本部との10年後が見えた。

 こいつとなら、幸せになれると思ってしまった。

 美心とあたしと本部の3人で料理した時、思ってしまった。


「……あたしだって、幸せになりてぇんだよ……」


 もちろん、あたしがこのまま本部の事を好きでいて、一緒に居られるようになったからって、幸せになれるかなんてわからない。

 でも、その幸せな家庭のイメージが消えない。


 本部の顔を見る度にそれが何度もチラつく。

 その瞬間に、自分が女だと感じてしまう。


 あたしは大和撫子でもないし、仕事をバリバリこなすような女でもない。


 たぶん、飢えているのだろう。

 愛なんて言葉を思うのも小っ恥ずかしいけど、そういうもんに飢えている。


 でもそれは天使ちゃんも、黒須もそうだ。

 あたしたちはみんな飢えている。


 普通の家庭に。

 父親が居て、母親が居て。

 兄弟姉妹とたまにケンカしたりとか。


 美心とはケンカもするけれど、あたしが母親みまいなもんだから、なんか違う。


 あたしの隣に本部が居てくれたら、この気持ちも少しは楽になるのだろうか。

 もたれかかっても許されるだろうか。


 強い女にはなれない。

 なろうとするのが精一杯。


「……こういう時、大人はどうしてるんだろうか」


 帰ってこない問いを夕焼けをぼんやりと眺めながら呟く。

 不安定な精神に泣きたくなる。


「ただいま」

「くまちゃんおかえり」

「今晩御飯作るからな」

「うん」


 あたしは美心に微笑んで頭を撫でた。

 どうしようもない不安を呑み込んで。

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