第82話 夜更かし。
エイサーを見終わった日の夜、喉が渇いて目が覚めた。
僕は相部屋である桃原を起こさないようにそっと部屋から出てキッチンへ向かった。
水を飲み、戻ろうと歩くと庭先に人がいた。
眠気が完全に消えるほどの恐怖が一瞬襲ってきたが、月明かりで艷めく長い金髪でそれが天使さんだとわかりほっとした。
「天使さん、どうしたんですか?」
「…………びっくりしたぁ…………」
「それなら僕も天使さんを見つけてびっくりしたのでおあいこです」
「それじゃ仕方ない。あたしも悪い」
そう言って天使さんは静かに笑った。
「なんかさ、空が綺麗だなぁって思って、見てたの」
「東京にいると、空を見上げる事も少ないですからね。ここは向こうより田舎ですし、星もよく見える」
「田舎だとバカにしたかったわけじゃないからね?!」
「天使さんはそういうこと言ったりしないのは知ってますよ」
「う、うん」
僕も東京にいると、見ているのは教科書とスーパーのチラシばかりで基本的に空を見上げる事は少ない。
梅雨に天使さんと見た虹が印象に残っているくらいなものである。
「本当はもう少し頻繁に沖縄に帰って来たいんですけど、未成年だと色々と厳しいですね」
「お正月とかは帰ったりしてないの?」
「真乃香さんが忙しいので難しいです」
真乃香さんの会社はそこそこ忙しい。
年末年始はとくに忙しく、休めても3日がいいところである。
「沖縄のこの家の事もあるし、僕と千佳はまだ子供だし、色々と我慢してるようではありますけどね」
「真乃香さん、本部くんにはすっごい甘えてくるよね」
「ああやってふざけてないとやってられないんでしょうね。大人は大変だ」
「本部くんだって、勉強も家事もしっかりやって偉いと思うよ。あたしは勉強苦手だし」
「勉強と家事しかすることはないですからね。他は必要がない」
勉強していい成績を維持して、家を守ってればとりあえず問題はない。
余計な事をしなければ、また直人さんに頼る必要もない。
と言ってもインスタなんてやってて黒須さんに殺されそうになっているわけだから、多少は余計な事をしてしまっているわけだが。
「でも本部くんは偉いね。ご先祖さまを大切にできるって良いことだと思う。あたしがやってるのとか、作った料理をパパにお供えするくらいしかしてないし」
「お父さんとしては、娘の手料理を食べられるんだからいいんじゃないですかね。泣いて喜んでるかもしれません」
「泣いてるかな〜。すました顔して「まあまあだな」とか言いそう。うちのパパ」
ノリノリで天使さんはお父さんのモノマネをしていてちょっと面白かった。
「僕には両親の記憶はあまりないから、そういうモノマネできるのがちょっと羨ましいです。顔すらうろ覚えなので」
「そっか」
遺影で見る写真はどこか他人にしか思えない。
記憶の中ですらぼやけている。
最後に見たのは車に轢かれて血だらけで倒れている両親の姿だ。
共働きでいつもおばぁちゃんが僕らの面倒を見ていた。
そのおばぁちゃんも亡くなって今は東京にいる。
「大人になって落ち着いたら、この家に帰って来ようと思ってるので、盆暮れ正月の仏壇のお世話は問題ないんですけどね。今は年一しかお迎え出来なくてすみませんっていつもご先祖さまには謝ってますよ」
「生きてるからね。そりゃまあしょうがないよ」
生きていれば色々ある。
責任すら取れない僕にはどうしようも無いことは山ほどある。
今の生活を維持するのでわりと精一杯。
「そっか。本部くんは沖縄に戻るんだね」
「そうですね」
「あ、あたしも大人になったら沖縄に住もうかな」
「気に入ったんですか?」
「うん。まあそう」
島ぞうりをパタパタさせながら下を向く天使さん。
その細く綺麗な脚からなんとなく目を逸らして僕はまた空を見上げた。
「戦闘機の音とかうるさいし、桜は1月に咲いて風情は無いし、セミはうるさい。観光なら良いかもですけど、住むとなるとおすすめはしませんね」
「だいじょぶ。本部くん居るし」
「僕がいて大丈夫になるとは思わないですけどね」
微笑みながら僕を見られても困る。
僕は直人さんみたく何でもできるわけじゃない。
できないことの方が多い。
出来てたなら、こうなってない。
「そろそろ寝ましょう。明日もありますし」
「もうちょっとだけ、一緒にいない?」
立ち上がった僕の手を握る天使さん。
握られた手を振りほどく気にはなれず、されどどうしていいはわからない。
「沖縄にはマジムンと呼ばれる妖怪たちがいるんですよ天使さん。知ってますか?」
「べべべ別に怖くないよ?」
「夜更かししてると取り憑かれるかも……」
「わ、わかった! わかったよ。もう……」
「それに、夜更かしはお肌にも悪いですからね。天使さんは女の子ですし」
真乃香さんとかよく顔パックしてるし、女のお肌は大事らしい。
「そ、そだね。うん。夜更かしはいけないね」
「はい。おやすみなさい」
「うん。おやすみ。本部くん」
小さく手を振って部屋に戻る天使さんを見送ってから僕も眠りについた。
握られた手のあたたかさはまだ残ったままだった。
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