第75話 鬼電。

 なぜかお買い物に直人さんと陽向さんも加わりいよいよ賑やかになった。


「で、なんでわざわざ沖縄に?」

「陽向が行きたいと駄々をこねたんだ。最近バイトをよく手伝っていた透花が沖縄に行くためだとこっそり聞いたらしい」

「なるほど」


 はしゃぐ天使さんと陽向さんに引っ張り回される黒須さん。

 そんな3人を眺めながら僕らはコツコツと買い物を続ける。


「直人さん、さっきからスマホ、震えてません?」

「震えてる。なんならずっと震えてる。そして俺も震えてる……」

「直人さんも恐怖で震えるんですね」

「ああ。世の中には恐怖でどうしようもなくなる物事があるんだ……電話に出たくない」

「出た方が良いとは思いますけど」

「健君も中々に鬼畜だなぁ」


 ははっ。と笑う直人さんはスマホを取り出した。

 その手は小刻みに震えている。

 画面には「担当編集」と表示されている。


 ……編集者からの催促のやつだ。

 ほんとにこんなことあるんだなぁ。


 息を飲んで電話に出た直人さん。

 その瞬間、怒号が隣にいた僕にまで聞こえてきた。

 スピーカーにはしていないはずなのだが……


『ちょっと直人!! 今どこにいんの?! 何が「旅に出てきます。探さないで下さい」よ!! ふざけんてんの?!』

「あれだよあれ、自分探しの旅的な?」

『フラフラしてばっかのクセに何いってんのよはっ倒すわよ?』

「まあまあ、幼馴染なんだし大目に」

『大目に見て本締切まであと1週間なのよ? 今日中にでも原稿上げてもらってそっから直しでどんだけ時間掛かると』

「千夏ちゃぁ〜ん。ごめんね! わたしが直人くんに「沖縄行きたい」って言ったの。だから連れてってくれたの」

『陽向ちゃんもそこにいるのね……なるほど』


 駆け寄ってきた陽向さんが担当編集さんに声を掛けた途端に丸くなった……

 陽向さんは一体何者なんだ?

 直人さんも恐れる鬼の担当編集を一瞬で黙らせる可愛さの破壊力たるや。


「2、3日したら帰るから、千夏ちゃんにもお土産買ってくね」

『うん。ありがとう、陽向ちゃん』


 怒号の響く通話からのほのぼ百合百合空間へと変わる。

 陽向さん恐るべし。


『直人、陽向ちゃんに免じて許すけど、帰ってきたら速攻で缶詰だから編集部に自首しなさいよね』

「あ、はい」

『お土産、編集部にもね?』

「かしこまりました……」


 スマホをポケットに入れた直人さん一気にげっそりしていた。

 普段の悠々自適な態度や雰囲気とは違う人間臭い一面を初めて見られて面白かった。


 なんなら僕の背中でこっそりクスクスと笑っている黒須さんも中々に愉快らしい。

 黒須さんもこんな笑い方もするのだと発見した。


「なんかよくわからないけど、直人さんもとりあえず沖縄旅行楽しみましょっ」


 天使さんが気を使って直人さんを励ましている。

 フリーランスな仕事をしている人にとってはこういった休日の仕事の電話や連絡は大変そうだなぁと他人事のように思った。


「そ、そうだな、うん。沖縄だしね」


 直人さん、苦労してんだなぁ……

 目が死んでるぜ。

 生きるって辛いんだな。


「あ、直人くん、花火買いたい」

「ああ、好きなだけ買っていいぞ、陽向」


 楽しそうに直人さんが持っているカゴに花火を入れていく陽向さん。

 マイペースだなぁ。


「陽向さん、可愛すぎる」

「直人さんの陽向さんに対する愛を感じますね」

「嫁だからな……」

「あ、直人さんが遠い目をしてる」

「私は後で直人さんがより怒られるように盗撮しておかねば」

「黒須さん、さらっと盗撮始めるのやめてね?」


 大量の花火を抱える陽向さん。

 純新無垢なその笑顔を直人さんはどこか悲しそうな目をしつつ微笑んだ。


「でもなんか、こういうのいいなぁって思うな。あたし」

「具体的には?」

「こういうのも、結婚の良いとこじゃない? ちょっと憧れる」


 優しい笑みで直人さんと陽向さんを眺める天使さん。

 あたたかい家庭というものに対する憧れなのだろうか。


 自分にはそれが想像できなかった。

 いつかの自分の隣にいるかもしれない誰か。

 そうなれる日が来るとは思えなかった。

 それでも、そうなったらいいなぁなんて、なんとなく思った。

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