第56話 隠し味。
「ほんとに勝てると思ってなかったな、あたし」
夕暮れ時の道を本部くんとふたりで歩く。
スーパーまではふたりだけ。
「内心僕も焦りましたね。冨次先輩たちの技量とか見てて普通に勝負なんてしたら勝てないなと思ってましたし」
「でもよく包丁ダコ? なんてあるの見えたね。あたしは全然わかんなかった」
料理対決が終わった後も冨次先輩の手とか見てたけど、よくわかんなかった。
ネイルは可愛かったけど。
それでも料理しやすいように短く手入れされた爪とかはよく見えた。
「クセ、ですかね。スーパーで働く人の手をよく見ていると、魚の鮮度とかも多少は変わったりしますし、その人がどれだけ包丁を握ってるかもよく分かりますから」
「そうなんだ」
あたしは自分の手を眺めた。
あたしにはそんな風なタコはまだない。
料理をするようになってからまだ2ヶ月も経ってない。
たぶん今はこんなもんなんだろう。
「それに、タコができる場所によっても色々ありますからね。板前さんの手とか、見る機会があったら見てみるといいですよ」
「今度ママと行くことあったら見てみるね」
「はい」
「そうだ。本部くんの手も見せてよ」
「僕はタコなんてないですよ」
そう言いつつも手を差し出して見せてくれた。
あたしの手より大きくて、あったかい。
「なんか、普通だね」
「そりゃそうですよ。包丁使うのめんどくさい時とかは使わずに料理しますし。洗い物増やしたくないので」
「さすが専業主夫」
「冨次先輩は料理人。僕は専業主夫。同じく料理をする人でも色んな手があって、色んな料理がありますからね」
冨次先輩は凄かった。
お店で見るような料理だった。
あたしにはできないなって思った。
「そえば、良かったの? 部員になる事」
「だから幽霊部員でって条件付けたんですよ。部活動に参加する気は全くないです」
考えてみれば、あたしが勝手に挑発に乗ってしまってこうなった。
本部くんの料理をバカにされたのが嫌だった。
あんなにムカついたのは初めてかもしれない。
「というか、むしろ天使さんは調理部に入っても良かったんじゃないですか? 僕が教えるよりよっぽど良い料理作れますよ?」
「まあ、そうかもだけど」
負けて崩れ落ちた冨次先輩を見ていて、入ろうかと思った。
本当は本部くんとずっと一緒に料理がしたいし、これからも教えてほしい。
だから、あたしのはただの同情だ。
でも本部くんはあたしの言葉を遮って入部する提案を出した。
意図はよくわからない。
でも、あたしのした事を上手く丸めて収めてくれたんだと思う。
「たしかに調理部に入ったら料理上手くなるかもだけど、でもあたし、本部くんの料理好きだよ」
「そうですか。天使さんが入部してくれたら僕は退部するんですけどね」
「いやそこは一緒にしようよ」
「幽霊部員のままで居られるメリットが、規定部員数を上回ったら消えちゃいますし」
せっかくなら、本部くんと一緒の部活なんてのも良かったかもなって思ったのに。
「でも、なんで勝てたんだろうね?」
「そりゃ天使さんの隠し味が効いてるからですよ」
「隠し味? とろけるチーズくらいしか入れてないけど?」
「チーズもそうですけど、一番大事なものが入ってましたからね」
そう言って笑う本部くんの顔を見て思い出してあたしは顔が熱くなった。
一番食べてほしい人の事を思い浮かべて。
本部くんはあたしにそう言ったんだ。
たぶん、本部くんはあたしがママとかパパの事を思い浮かべて作ったとか思ってるのかもしれない。
実際思い浮かべたのは本部くんだった。
一番自分の作った料理を食べてほしい人はあたしの横に居て、一緒のキッチンで料理をして。
本部くんが見ててくれる安心感が心地よかった。
「天使さんのまごころが男性教員たちの心を掴んだ勝利なわけです」
「まごころ、うん。まあ、そうかな、うん」
本部くん、なんでそんなに微笑ましいなぁって顔をするの?
あたしが入れた隠し味はまごころじゃないよ。
恋心だよ。
……考えただけでやっぱ恥ずかしい。
「そういえば、本部くん。料理対決する前になんか言ってなかった?」
込めた恋心は全く届いてない。
てかそもそも食べてもらってない。
から回ってるのも恥ずかしくて話を逸らす。
「ああ、そうでした。この前の看病のお礼がしたくてですね」
「お礼とか良いのに。好きでやっただけだし」
見返りが欲しいわけじゃない。
ほんとに、ただ好きだから。そうしただけ。
これをある種の下心とも言うかもしれないけど。
「まあ、僕も助けて頂いたわけですし、なにかあれば言ってください。料理を振る舞うくらいしかできないですけど」
この間見明っちゃんとの話の後に一応は考えていた。
あたしは特別な好物とかはない。
わりとなんでも好きだし、そもそも本部くんが作ってくれるだけで嬉しい。
「本部くんの好物とか、食べてみたい、かも」
本当は、本部くんとデートとかしてみたい。
でも本部くんの料理してる横顔も見たい。
「僕の好物、ですか」
「うん」
「……それはちょっと難しいですね」
「なぜに?」
「沖縄料理なんですけど、ここじゃ食材が手に入らなくてですね」
「そっか」
もっと本部くんの事を知りたい。
そう思ったけど、それでは仕方ないか。
「毎年夏には沖縄に帰るんですけど、日持ちしない食材でもあるので」
「……ちなみに、どんな食材なの?」
「豆腐です。島豆腐」
「食べたことないかも」
「沖縄じゃないと食べれないですね」
そう言った本部くんは少しだけ寂しそうな顔をした。
懐かしむようなその顔は、見ていてあたしも寂しくなった。
「じゃあ、いつか機会があったら、食べたいな。本部くんの好物」
「それではすぐにお礼ができませんよ」
「だから、そのうち」
少しでも、本部くんとの先の繋がりがほしい。
お礼をしたいって気持ちを利用するみたいで嫌だけど。
本部くんはあたしの傍に居るようでいて、なんかいつも遠い。
たぶん、料理を教えるという繋がりがなくなったら、今みたいにはなれなくなる。
時々そんな感じがする。
「まあ、そのうち」
「うん」
あたしは、
ただの天使美羽。
ただの女の子。
「スーパー着いたね。いざお買い物たいむ!」
「ようやっとレタスが買えます」
「今日1日ずっとレタスレタスって言ってない?」
「そりゃそうですよ。レタスが安いのは大事な事です」
そう言ってお得な買い物事情を楽しそうに話す本部くんと一緒にあたしはお店に入った。
こうやって話してる時が、今日も続くことが楽しい。
今は、隣に居られればそれでいい。
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