第51話 専業主夫は戦う前から戦っているのである。

 家庭科室までの廊下。

 やる気満々の天使さんと冨次先輩がバチバチと火花を散らしながら歩いている為、まだ残っていた生徒たちがちらほらとこそこそ話をしているのが目に入った。


 ……どんどん嫌な方向へと進むこの展開に胃が痛くなる。

 専業主夫だからと無理矢理自分を鼓舞したが、そんなことをしたってレタスは買えないのだ。

 いやほんとレタスって高い時は高いんですよ。

 真乃香さんマグロのカルパッチョ好きだし、サラダ作りたかったし。


「天使さん」

「なに? 本部くん」

「……大口叩いてましたけど、天使さん、勝てるんですか? あの人多分かなり料理できますよ」

「え」

「右手の人差し指の付け根から第2関節の間に包丁ダコができてました」

「タコ? え、可愛い」

「いや、そんなもんじゃないですから」


 野球部が素振りを日々することによって掌がゴツゴツしてくるように、料理をしていてもそうなる事はある。

 板前はこの部分に出来たりとか包丁ダコができる場所は人や料理ジャンルなどによっても変わったりする。


 冨次先輩は手のケアは日々しているのだろう。

 そこまで目立たなかったがそれでも料理している人の手だった。

 僕じゃなきゃ見逃しちゃうね。


「……天使さん、サシでやったらたぶん勝てませんよ……」

「…………だ、大丈夫だよ〜本部くん居るし。お師匠が居ればきっと勝てる!」

「……だといいですけどね」

「作戦会議はもう終わったかしら? それとももう入部希望の書類に名前を書いていてもらっていたりして」


 したり顔ですでに勝利を確信している様子の冨次先輩。

 天使さんより胸はないのに堂々と胸を張っている。

 相当の自信なのだろう。


「冨次先輩、そちらさんから勝負を仕掛けてきたという事は、お題はこちらが決めても良いって事で宜しかったですか? まあ、まさか部長である冨次先輩がそんな事も譲歩できないとは思いませんけど、一応確認をと思いまして」

「ええ。構わないわ」

「そうですよね。良かった。料理人はサービス職業。お客様の要望に応えるのも料理人の腕の見せどころですからね」

「ふんっ。当然じゃない」


 よし、言質は取った。

 こちらが自由にルールを決めていい。

 これはかなりのアドバンテージになる。


「天使さん、憶えていて下さい」

「ん?」

「専業主夫の戦いはもう、戦う前から始まっているんです」


 チラシを見て安い商品を探したり、天気やテレビの情報でどれだけ他の客が動くのかも考えて我ら専業主夫は日々の買い物といういくさを生き抜いているのである。


 買い物経費、栄養、時短、効率。

 これらをいかにこなすか。

 家庭を護る者として、こうなったら全力で勝ちにいく。


「さぁ。着いたわよ」


 家庭科室の扉を開け、顎でくいっと「入れ」と促す冨次先輩。

 ルールを決められるアドバンテージがあるとはいえ、ここは僕と天使さんにとっては敵地アウェイである。


 冨次先輩のホームであるという事を考えると、こちらは相当不利になる。

 いつも使っている調理器具が無かったりする場合もある。


 一流の料理人は自分の包丁を他人に触らせなかったりもするほど人によって料理器具の扱いや管理はシビアだ。


「ルールを決める前に調理器具と食材の確認だけさせて下さい」

「好きにしたら?」


 急遽決まった料理対決だからか、そんなに大量の食材があるわけではない。

 レタスを買いに行きたい僕としては、今から対決用の買い物してから料理なんてしたくない。

 この中にある食材たちでお題を絞るしかない。


 調理器具は平凡。

 IHでの調理は未だに苦手な部類ではある。

 包丁の刃を指先で触ってみると手入れはされているらしく切れ味は良さそうだ。


「ちゃんと研いでるんですね」

「うちの調理部の仕事の一環よ」


 あまりにも切れ味の悪い包丁だとトマトはぐちゃりと潰れるし、肉だって切りにくいし怪我をするリスクも別で増える。

 それなりに家庭科室を扱うにあたっての仕事はこなしているのだろう。


「だいたいわかりました」

「え、本部くん名探偵なの? なにがわかったの? 殺人事件とかあったの?」

「いえ、そうじゃないですよ」

「おおまかな状況確認はできたという事です」


 現場の管理状況などは把握できた。

 問題は冨次先輩たちの技量である。


 もし冨次先輩が格段に料理が上手いだけなら、こっちとしては2人ペアで料理をするというルールにすれば向こうの部員が冨次先輩の足を引っ張ってくれる。


 冨次先輩の他には2人の部員がいる。

 さっき冨次先輩を追いかけてきた女の子ともう1人は黒髪ボブの地味めなメガネ女子。


 他2人の部員は冨次先輩ほどの自信はないように見える。というか料理対決をすることになったのを今知った為か困惑気味である。

 いやこっちの方が困惑してますからね?

 いきなりだし。


 と言ってもやるしかない。

 レタスの為にも。

 僕は鞄から腰巻きエプロンを取り出して付けた。


「では、ルールはこうです」


 高飛車な赤髪シェフ様に、専業主夫の力でさっさと終わらせよう。

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