第49話 餌付け。

「健くん、またね〜」


 純粋な子供のような笑みで見送ってくれた陽向さんを背に雑貨屋ひまわりを後にした。


「……余計に面倒なことになったな……」


 直人さんでも手を焼く黒須さんを相手に、僕に出来ることなんてあまりにも少ない。


 家事と勉強。それらを両立させ続けなければいけない上に、黒須さんの問題。


 もちろん、所詮は他人。義務なんてない。

 ましてや僕は心理カウンセラーでもない。

 僕が黒須さんをどうこうなんて土台無理な話。


「も、本部さん……」


 夕暮れ時、帰り道のあの公園。

 僕が黒須さんに殺されかけた公園だ。

 雑貨屋ひまわりからの帰り道のすぐ近くだった事もあり、黒須さんはそこのベンチで小さくなっていた。


「そ、その……」


 捨てられた仔猫みたいな顔だった。

 その顔を見て罪悪感を覚えた。

 僕が直人さんにチクったと思わせてしまった可能性がある。


 僕が直人さんと面識があると黒須さんが知っていたかはわからないが、発振器や盗聴器を仕掛けていたから知っていてもおかしくはないか。


 いや、でもさっき書斎で会った時の表情からは面識があったという事を知らないような顔だった気もする。

 書斎に隠し通路を作るような直人さんだ。盗聴器を無効化できるような仕掛けとかしてる可能性すらある。てかあの人はなんでもアリか、うん。


 とにかく今はしおれている黒須さんをどうにかしないといけない。


「黒須さん」

「……はい」

「週一の料理はなしにします」

「……」

「代わりに、毎日家にご飯を食べに来てください」

「…………え」


 脱力した黒須さんの瞳に困惑の色が広がった。


「えと……その」


 家族のいない黒須さんへの対処法なんてわからん。

 ただ、直人さんから頼まれて、今のままでどうにかなるとも思えない。

 かといって出来ることなんてあんまりない。


「嫌でしたか?」

「いえ……その、いいんですか?」


 ストーキングとか盗聴とかしてた人が、その事については困惑している。

 やっぱり黒須さんの脳内原理はよくわからない。


「はい。直人さんからも黒須さんの面倒を見るように頼まれましたし」

「お家に、という事は、千佳さんと真乃香さんにご挨拶しても良いという事ですか?!」

「うん、なんか違う解釈してるけど、僕の家に来て一緒にご飯食べるのはいいですよって話です」

「嬉しいです!!」


 僕の両手を握りしめ、嬉しそうに瞳を潤ませる黒須さん。

 てかさらっと千佳と真乃香さんの名前まで出てきてるし、たぶんだけどあの時公園で殺されかけて考えたさらなる被害への危惧は間違ってなかったかもしれないと思った。


 なにか選択を間違えてたらそうなっていた可能性を感じる……

 微妙に噛み合わない会話とかしてて、よくそうならなかったな。


「毎日本部さんの手料理を食べられるなんて私、幸せで死んでしまうかもしれませんっ!」

「いや、死なれたら困るんですが」

「そ、それは、もしか」

「いえ単純に面倒事が増えるので」

「まさかの塩対応っ」


 なんか急に元気になったな。

 山の天気はよく変わるって言うけど、その比じゃないな黒須さんの浮き沈み。


「でも毎日本部さんの料理が食べられるの嬉しいです。お嫁さんになった気分です」

「メンヘラな嫁はちょっと」


 絶対刺されるよな。

 一緒の部屋で眠ってたりしたら翌日葬式案件。


 まあ、黒須さんは僕が好きなんじゃなくて、依存してるだけだ。

 現状、唯一味を感じられる料理を作れるというだけで、他にも誰かがそれを作れるのであれば、僕なんかじゃなくてその人へ好意は向かうだろう。


 天使さん同様、黒須さんも僕にとっては高嶺の花。

 そして僕はただのモブ。


 黒須さんは僕に依存している限り僕を裏切る事はないだろう。

 だから、安心して僕は黒須さんに対してとして接していられる。


 住む世界がそもそも違う。

 今はただ、黒須さんは僕と同じところにいるだけ。


「毎日通うなら、自転車とか買った方がいいですかね?」

「そこはおまかせします。通いやすいように」

「では明日買ってきます♪ 月下組の組員さんの親御さんに自転車屋をしている方がいらっしゃるので」

「ああ、自警団の」

「そうです♪」


 これから餌付けして刺されないように頑張らないといけない。

 やる事を自ら増やしてしまったが、それでもこの前の夕焼けよりは少しはマシに見えた。

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