第2話 好きと言えたら

 咲の話によると私は10年前に学校からの帰り道、信号無視をした車に轢かれて死んだらしい。


「どうしてそんなに冷静なの?」


 咲が不思議そうな顔をして聞いてきた。


「何が?」


「いや、だっていきなりあなたは既に死んでいますって言われても信じられなくない?」


「嘘なの?」


「嘘じゃ無いけど」


 咲はこういう嘘をつかない。それは10年以上の付き合いで十分に分かっている事だった。


「死んでるんだよ?なのに今、生きているみたいに私の前にいる。そんな状況どうして簡単に受けいれられるの?」


 私を掴んでいた手が先程よりも強く握られる。


「簡単…では無いけど、なんて言うのかな。

 咲は自分の生まれてきた意味、みたいなのって分かる?」


「わからない」


「だよね、私も同じ。今、こうして動けている理由なんて分からない。でも、これには何か意味があるんだって思いたい」


 どうして生きているとか、人は死ぬんだとかそういう根本的な原理なんて私には分からない。

 命が生まれる理由を解明するくらい、今の私の状況も複雑だという事だ。

 分かる人がいるなら是非とも教えて貰いたい。


「真衣って昔からそうだったよね。何かあった時はいつも冷静だった」


「そうだっけ?」


 そうだよ、と咲は懐かしい物を見るような目で私を見つめる。

 窓から差し込んでくる日差しがどこか懐かしい。

 咲と初めて会った日も、こんな暖かな光が漏れるような日だった。




 私の住んでいたマンションは駅から少し離れた立地で、価格帯が平均年収の夫婦にちょうど良い。

 5歳の時、隣の部屋に咲達の家族が引っ越してきた。

 咲の両親が引越しの挨拶のために家を訪ねてきた時、私は母親の後ろに隠れていた女の子に声をかけた。

 なんて声を掛けたのかまでは覚えていない。

 多分、自分の名前でも言ったのではないだろか。

 あの頃の私が初対面の人間に取れたコミュニケーションはそれくらいだろうから。

 母親の後ろから出てきた女の子は少し緊張した様子で私に笑いかけた。

 その笑顔は、私の心を動かすには十分過ぎる破壊力を持っていた。

 それからは毎日お互いの家を行き交うような仲になり、姉妹の居なかった私は家族が増えたようで嬉しかった。

 中学に入り、お互いが別の部活に所属しても、登下校は二人で行き帰りの約束をするくらい仲が良かった。




「真衣って好きな人いる?」


 予想もしない突然の問いかけ。

 部活の無い放課後、いつも通り咲のベッドに寝転んでいた時だった。

 これはもしかして恋バナ?

 咲とは今まで一度も恋愛についての話をした事はなかった。


「どうして?」


 敢えて答えは濁す。なんの意図があるのか分からないまま、私だけの情報を与えるのはフェアじゃない…気がした。

 少し言い淀んだ後に咲が答える。


「同じクラスの牧野君に告白された」


「おぉ、へぇ」


 ベッドにうつ伏せだった体を起こし、咲の顔を見る。

 その表情からは何も読み取れない。

 昔から咲は男子に人気があった。だから告白されるのは別に珍しくない。

 ただ、こうやってわざわざその事を報告するのは余りない事だった。


「もしかして…付き合ったの?」


 咲に彼氏が出来る。

 いつか、そういう時が来ると覚悟していたつもりだった。

 でも、いざその時が目の前に迫ってくると、どうしようも無い感情が湧き上がってくる。

 小学生の頃夢中になっていたゲームの、”目の前が真っ暗になった”と言うセリフが頭に浮かぶ。


「付き合ってないよ」


 瀕死からライフが満タンになった。


 じゃあ何でそんな質問したの?

 そもそも牧野って誰?

 もしかして別に好きな人がいて、協力して欲しいとか?


 聞きたい事は無限に出てくるが、それらを必死に飲み込む。


「どうして付き合わなかったの?」


「好きじゃ無い人とは付き合えないから」


 だったらどうして私にこんな話題を振ったのだろう、行く末の見えない会話が不安だ。

 私はベッドから降りて咲の隣に腰を下ろす。肩が触れそうな距離がもどかしい。


「咲って好きな人いるの?」


 咲の肩がぴくっと動く。その反動に少し驚き、隣の彼女を見ると耳輪が紅く染まっていた。


 肌が白いから血色の変化が分かりやすい。

 咲のこういう所、可愛いなと思う。


「いないよ、そんな人」


 偽物みたいな笑顔で私を見つめ返してくる。

 私は咲がするその表情に弱い。

 やっぱり嘘が下手だな。


「そっか」


 畳んでいた足を伸ばして立ち上がる。


「帰るの?」


「まだ宿題やってないから、また明日ね」


 言いたいことは沢山有った。

 でも何一つ上手く伝えられる気がしなくて、逃げるように咲の部屋を出た。


 数日後、私は咲がどうしてあんな質問をしてきたのか知る事になる。


 部活が終わり、いつも通り咲を正門で待っていた。

 制服姿の人間が、一つの門から吐き出されて行く様子を観察する。

 桜並木はとっくに散っていて、梅雨の前触れを感じさせる空気が肌を湿らせていた。

 部活を終えた生徒達が順々に去っていく後ろ姿を眺めていたら、目の前に教師が立っていた。


「何してる?下校時間はとっくに過ぎてるぞ」


 大柄の体育教師が威圧的な雰囲気で話しかけてきた。


「すみません、友達を待っているんです」


「友達…何部だ?」


「吹奏楽部です」


「おかしいな、今日は居残りの部活動は無いはずだが。先に帰ったんじゃないか?」


 咲が何も言わずに先に帰ることは絶対に無い。


「違うと思います。ちょっと探してきてもいいですか?」


 教師にそれだけ伝えて走り出す。


「おい!10分以内には戻ってこいよ!」


 吹奏楽部はうちの学校で練習終わりが一番遅い部活だ。

 だからいつも正門で私が咲を待っていた。

 教科書が2、3冊入った鞄を揺らしながら走る。

 昇降口から下駄箱へ向かう。


「靴、まだある」


 やっぱり咲は学校にいる。

 考えられる場所としては音楽室、トイレ、それか体調を崩して保健室にいるか、先生に呼び出されて職員室といった所かな。


 こうやって冷静に考えると最後の二つの可能性が濃厚な気がする。

 太陽の助けが無くなった廊下を滑るように走る。

 こんな薄暗い学校を一人で走り回るとか、咲という目標が無ければ絶対にあり得ない。

 早く見つけて一緒に帰ろうと心に決める。


 結果から言うと、保健室と職員室に咲の姿は無かった。

 トイレは全部探すのに時間がかかるから後回しだとして、取り敢えず音楽室に走った。


「さきー?」

「おーい、いるなら返事して」

「さきさーん」


 何度呼んでも返事は無い。

 四階の端にある音楽室は普段から鍵が掛けられている。


「ここにもいないか」


 諦めて階段を降り掛けた時だった。

 ドンドンッと音楽室の方向から何かを叩く音が聞こえた。


「咲?」


 音の鳴る方へ向かう。

 音源は音楽室の隣にある音楽準備室だった。


「咲、いるの?」


「真衣?」


 こもった声がそこから聞こえてくる。

 扉を開けようと試みるがそれには鍵が掛かっていた。


「咲!ここに居るんだね、良かった大丈夫?」


「うん」


「ちょっと待ってて先生から鍵借りてくる」


「ダメ!」


 咲の普段聞き慣れない声が私の行動を静止させた。


「咲?」


「えっと、ごめん。そこの小窓、鍵壊れてるからそこから入って」


 鍵が壊れているなら自分で出れるのでは?と思ったが言われた通り小窓から中に入る。

 音楽準備室は埃っぽい空気が漂っていて、所狭しと楽器のケースが並べられていた。

 しかし、部屋を見渡しても咲の姿が見えない。


「咲、どこにいるの?」


「ここ」


 声の元を辿る。


「これは…」


 大きな布のケースから声が出ていた。

 この大きさだと多分チューバだろうか。

 もぞもぞと動いている。

 チャックを見ると結束バンドで二つのチャックがロックされていた。


「待っててすぐ取るから」


 鞄から折り畳み式の鋏を取り出して結束バンドを切る。

 チャックを開けると中から痛々しい姿の咲が中から出てきた。

 髪は乱れ、制服には少し血の跡がある。


「何が有ったか話せる?」


 私は咲の乱れた髪に触れる。その髪を整える指は少し震えていた。


「同じ部活の子が、牧野君のことが好きだったんだって」


「何それ」


 そんな理由でこんな事が許されていいはずが無い。


「何時からこういう事されてたの?」


「真衣に牧野君から告白されたって言った三日前くらいから。ここまで酷くは無かったけど」


 咲は少し雑に笑った。

 その表情は気を抜けば崩れてしまいそうな程脆く見えた。


「咲が来てくれて良かった」


 震えた声も抱きしめられるように両腕で強く身体を包み込む。


「大人を利用しよう」


「え?」


 脈略のない会話に咲がはてなの顔をする。


「こう言うくだらない事する奴って自分より力持ってる人間に弱いんだよ」


「でも…」


「駄目だよ、逃げちゃ。私は咲にこんな事した奴らの事絶対に許さないから。徹底的に詰める」


「ふっ、何それ」


 咲がクスクスと笑う。そして泣いた。





「あの頃から、ううん、ずっと真衣は私のヒーローだよ」


 ウェディングドレスを着た人にそんな事言われると、勘違いしてしまいそうになる。

 相手は私じゃないのに。


「式は何時から始まるの?」


「12時からの予定」


 時計を見るとあと15分も無かった。


「そっか、旦那さんはここに来るの?」


「来ないよ」


 私は結婚式というものに詳しくないのでよく分からないけれど、式の直前は一人が普通なのだろうか。

 此処には私と咲しかいない。

 だから、私が本当に存在しているのかも確かめようが無かった。

 もし、私が咲にだけ見えている幻影だったとしたら。

 これが最後かもしれないと思う。


 こうやって触れられること、話せること、目を合わせて気持ちが通じ合う瞬間、きっと今が終われば願うことも忘れて永遠に叶わない。


「咲のウェディングドレス姿、見られて良かった」


 笑うと涙がこぼれてしまいそうだった。

 上を向いて必死にこらえる。

 だって、最後に見せる顔が泣き顔なんて絶対に嫌だから。


「ねぇ真衣、私たちずっと二人でここにいない?」


 咲が私の肩に頭を預けてくる。

 その言葉はとても魅力的だった。


「私もずっと二人でいたい。でも駄目、咲はちゃんと旦那さんと幸せになって」


 本当はずっと一緒にいたい。

 誰のものにもなって欲しくない。

 でも、それだと咲は幸せにはなれない。


「真衣はやっぱり優しい」


 12時を知らせる音だろうか、遠くで鐘の音が聞こえる。

 音に被さるように咲の声が重なる。


「これは、私が将来こうなりたかった未来なんだと思う。だから真衣がここに居るんだね」


 ―それってつまり結婚相手私ってこと?


「そうだったらいいな」


 ―照れるね、え?本当に?


「私、ずっと真衣のことが好きだった。

 本当に好き。これだけはどうしても伝えたかったの。自分勝手でごめんね、でも大好きだよ」


 ―私も


 遠かった鐘の音がどんどん近くなる。


「あと、私真衣に嘘ついた」


 ―え?なに?よく聞こえない


「真衣は…」




 私は初めて見る白い世界に飛ばされた。

 懐かしさと淋しさが混在する空間は、私という存在を呑み込んで行った。


 目が覚めるとそこは病室だった。

 身体には沢山の管が刺され身動きが取れない。

 朦朧とする意識と共に激痛が全身に走る。

 その反動でベッドが揺れた。


「真衣!!?」


 母の声がする。


「真衣!真衣!ああ先生、先生!真衣が!」


 そのクラッカーのような声が再び眠りに落ちようとする私を打ち消した。



 目覚めてから5日程経った頃、母から今まであった事を説明され、やっと私は自分に何があったのか思い出した。


 あの日、私は咲に言われた通り一人で先に帰宅しようとした。でも、どうしても最後の彼女の様子が気になった私は咲を待つ事にした。

 人気の少なくなった放課後、学校を後にした咲の後を着いていく。

 咲は車通りの多い交差点で立ち止まり、そこから信号が何度変わっても渡ろうとしなかった。

 30分程、信号機の下に立っている咲に私は痺れを切らし声をかけに行った。


 いや、違う行こうとした。


 そのタイミングだった、赤信号の中に咲が飛び込んで行った。

 私は慌ててその後を追った。

 その後、私達は車に轢かれ意識不明となったらしい。

 二人は直ぐに病院へ運ばれたが私は心臓に酷い損傷、咲は意識不明の心肺停止で最悪の状況だった。

 途中、奇跡的に意識を取り戻した咲は私の状況を知った。

「もし、真衣に必要なものがあったら全部あげて、私の全部あげるから真衣を助けて」

 それが最後の言葉だった。


 そして、咲の心臓は彼女の意志通り私の一部となった。


 病室から見る外の景色は変わらない。

 それでも空気は冬から春に移り変わる。

 胸に刻まれた大きな傷跡がまだ痛む中、私は心臓に手を当てる。


 心はどこにあるのだろう。

 脳?心臓?それともそんなものは存在しない?

 私は 咲 と大切な人の名前を呟く。

 頭の方から体が満たされていく感覚がした。

 そして、私は私の名前を呟いてみた。

 ドクン

 心臓が大きく跳ねるのを感じる。

 脈は早くなり、あぁと思う。


 咲が居ない世界で生きるなんて想像したことが無かった。

 私が生きる意味なんて…

 それでも心臓は鼓動する。


 ここにいるよって、そう言っているように聞こえた。

 胸に手を当てる。

 ここに咲がいる。


 うん、そうだね、


 ずっとふたりでいよう






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ずっとふたりでいようよ 香月 詠凪 @SORA111

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