方法。

 ある少女は死んだ。

 天使によって毒を盛られ、多くの人間に嘲笑されて処刑された。

 しかし、少女はそのことを忘れてしまったようだ。魔王の手によって。

 魔王は――破壊神は奪うことも力の一部にあった。可能性の削除が彼女の役割であり、多くのあり得た世界を破壊し、進むべき未来を決めていた。独裁者にはうってつけの力だ。だが、彼女は役割に沿って行動を起こす存在であり、そもそも独裁者ではなかった。

 処刑されたことによって黄泉へ来た少女から記憶を奪ったのは破壊神としての役割に沿っていなかった。目的があり、その裏には真意を隠す。本来ある神とやらにそれができるなら、彼女はその一歩手前にいるのだろう。

 そのことを魔王は後ろめたく思いつつ、己の欲望のために人間を犠牲にするのだ。その報いを受けるときは魔王にも必ず来るだろう。立派に人間と同じ所業ができているのだから。

 人間の文明をよしと思わず阻止した、破壊した。今度は彼女の番だ。

 神とやらが人間を弄ぶのを許さない存在がただ一人、この世界に存在する。彼は必ず現れる。そして彼女を永劫認めることは無い。

 黄泉は薄暗く、炭鉱のように掘って作られた構造をしている。この先は本物の永遠であり、戻ろうと思う気持ちもかき消されてしまう。

 進む先に何があるか、少女が知ることは無かった。魔王は黄泉に来た少女をわざわざ入口まで運んだのだ。黄泉に来たことだけは変えられないが、魔王なりに人間への配慮をしたとでも思っているのだろう。


――ここは。


 少女の意識が回復したことを悟り、魔王は少女から離れた。人間も天使も嫌いである魔王は、己のことを知られたくないようだ。灯りがギリギリ魔王の顔を照らさない位置で魔王は少女を言葉巧みに騙す。嘘がつけないなら誘導するのだ。


――貴様の記憶は私が持っている。それと引き換えにお前をここから出す。


 当然、少女は驚くだろう。魔王は思っていたが、気が付いて座り込んだままの少女にはいまいち効果が無かったようだ。少女は返した。


――死んだというのに、今更ここから戻っても何もすることが無い。


 魔王は戸惑った。

 誰にだってやり残したことがあり、竜を派遣すれば「死にたくない」などと願うのだ。少女にだってあるはずだ。だからこそ。


――貴様は隠れて生きてきた。生き延びる願いを持っていたからな。

――それは思い違いだと思う。


 少女は、子供ではない。大人になって数年経っていた。これまでの法則から外れた事象が魔王の目の前で起きていた。魔族の力を持ちつつ、大人になった者が。

 禍津神になる者は決まって魔族と融合した魂が、成体になるまでに力の負荷に耐えられず暴走し誕生する。人間の愛などというエゴによりひた隠しにして生きていたとしても禍津神は必ずそのエゴを裏切る。なぜなら、そのことに深い悲しみも覚えているからだ。

 神とやらになってしまえば魔族も天使も手が付けられない――困ったことに干渉できなくなってしまう。彼らがいたとカウントもできず、ケアもできなくなる。魔族の王も天使の王も盲目になり文字通り、見て見ぬふりをする結果となってしまった。

 エゴによる愛すらも失った者、一人孤独に逃げ続けた者も例外なく本物の独りになってしまった。哀れだと言えるか、と聞かれれば少女は首を横に振った。


――あなた達が気にかけようと手を差し出し続けている時点で彼らは救われている。もしそれでも救われないというならば、あなたがここにいるのは間違いだ。

――それは何故だ。


 少女は視線を落としつつ立ち上がった。身なりを整えつつ、魔王の方を見ていた。


――あなたが話したことが本当に現実で起きていて、助けを求めているのなら。今、彼らは本当の独りだ。あなたが見なくなったから。だから、私はあなたの代わりになれと言う。


 図星を突かれ、魔王は一歩下がってしまった。少女は身震いこそするもののその場を動こうとしなかった。


――無謀だと、不公平だと思わないのか。

――あなたが言ってどうするの。


 それから沈黙が続いた。少女は魔王との取引を公平だと思っていた。魔王はそのことで戸惑っていた。だが、少女の言ったことは間違いない。

 黄泉から還る。死とされていた存在が、未知の者によって生ある者へ戻される。そのこと自体が不可逆反応でしかない。神も何も関わらない自然の摂理がまかり通るならば、少女が人間として蘇るのは違反でしかない。

 もしできたとしても少女の理性は破壊され出所もわからない、記憶も戻らない禍津神として、攻略も殺害もできない何かとして出現するのが妥当だ。それならば蘇ったのは抜け殻と魂だったものになり、少女ではなくなる。


 魔王がしたかったことは何だろうか。本当に魔族の子供への罪滅ぼしだろうか。罪悪感でさえも偽装できる。あったと思わせる現実が彼女に幻覚を見せている。それは誰の仕業だろうか。


 それができる存在がただ一人、存在する。


 少女が口を開く。


――あなたの条件を呑む。私は彼らを殺しに行く。


 少女は後ろを向き、入口の方に待ち構えている大口を見る。完全な断絶が誰の目で見ても明らかである。その潔さに魔王は思わず声を出した。


――待て。


 それに振り返った少女に魔王は続けた。


 禍津神を殺害するには手順がいる。

 彼らの声を聞け。彼らの痛みを思い知れ。

 そうして出た彼らなら躊躇なく貴様に襲い掛かる。

 彼らがまだ忘れていないならば、それを讃えろ。

 思い出が風化する前に、確定させる必要がある。

 それが、彼が人間にしたことで、その人間は幸福になれたと伝えろ。


 魔王は伝えた。彼女にしかできないことを。

 飛び降りた少女を見送ることはしなかった。

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