44_二体の怪物

 過去の記憶の奔流から意識を取り戻した僕は例の如く、あの真っ黒な空間にいた。起き上がると、少し間を置いたところにぼんやりと光を感じる。いるのだ。ここは、「右手」の空間だ。

『…復讐か』

「違うよ。暫くだね、大鳥」

『…復讐か』

「違うよ、僕は友達を守るために君の力を借りにきた」

『…復讐か』

 その言葉とともに右手の気配は剣呑としたものになり、僕の精神を蝕もうとしていることは容易に想像できた。

「クドイな。悪いけど、勝手に力を借りるよ」

 僕はそう言って、何もないはずの虚空を掴む。そして、空間の一部を握りしめるイメージと共に空間そのものを抉り取った。真っ暗で何も見えないが、ここには大鳥に力の一部がある。

「借りてくよ」

 その言葉と共に目を閉じ、現実へと意識を浮上させた。



 僕はボヤけた視界で現実世界を認識する。二、三度瞬きをすると、山羊頭の獣人がこちらの眼前に接敵し、腕を振り上げるのが見えた。

 その攻撃に対して、僕はそこに生えているものに意識を向け、右肩甲骨を迫り出した。すると延長された骨と筋肉に信号が送られ、目の前は深い藍色に覆われた。

 ガガンッ!ガガガガ、ガンッ!

 硬質なものが粗い地面を削るようなそんな音が耳をつんざく。僕は獣人の腕が振り切られる前に、盾にしていた翼に大きな力を入れ、弾く。そのまま足に意識を移し、後方へと飛んだ。

 僕は大鳥の力を右上半身に纏っていた。右手も大鳥のそれに変化している。

 …蒼葉は『穹窿きゅうりゅう』を発動させたみたいだな

 視線を上に上げると、天井から魔術で作られた鎖によって玉がぶら下げられている。ちょうどあの玉が活動限界の十分、その三十秒前で破裂することになっているはずだ。それを確認すると再び戦場に目をやった。

 …僕の剣はさっきまでの戦闘でもう使い物にならない

 ただでさえ、『祠』へと逃げるまでの連戦でかなりの傷があった。いくら自然力で強化の効く白耀鉱石とて、皮膚が石のように硬い獣人との戦闘は酷だった。ましてや、学校支給のものだ。最高級の純度で作られたものではない。

 僕の変容を見て、相手は警戒していた。わずかに時間があることを僕は認識する。怪物化した右手に意識をやり、得意とする刃渡りを脳裏に浮かべる。

 すると次の瞬間、僅かな痛みと共に右手が変化を始める。次第に痛みは大きくなり、それとともに骨や肉、神経が新しく生成され、剣の形をなした。

「…くぅ。はぁ…はぁ」

 体力もかなり持っていかれるが、素手で獣人と戦うほど肉弾戦の実力は高くない。僕の戦闘力は剣あってのものだった。

『面白い体をしているな。まるで道化様のようだ』

『誰なの、そいつ』

 情報を引き出すべく、僕は念話に応答した。

『我らが王に誰とは…。いや旧人類は別の言い方をしていたな。…確か、影ビトだったか』

 …なるほど。道化様と影ビトは同一の存在か。それに僕の「大鳥」が似ているだって?

『道化様はどんな感じなの』

 僕は自身の力の正体に近づけると思い、興味のままに怪物に問うた。

『貴様ほど、苦心せずとも容易に変貌なさる…と危ない。道化様のことを聞かれると話し過ぎてしまう』

 獣人はそういうと、会話をやめて戦場を歩き始める。明らかにこちらの出方を伺っていた。

「…僕もそういう戦い方が好みなんだけどね。今は時間がないんだ」

 その呟きと共に地面を思いきり蹴り、僕は獣人へと接敵。勢いそのままに最速の突きを繰り出す。しかし、獣人は一瞬こそ気取られたもののすぐさま、その両腕を重ね、攻撃を受けた。

 その時、強い衝撃が両者の間に生じる。僕の今の状態は能力発動時の機動力を遥かに上回る。

「…ググ」

 吐息のようなものが獣から漏れる。力が拮抗する中、僅かに自身の方へと僕の剣を引き付けるとその反動を利用して大きく弾く。

 …肉質が硬すぎる。突きじゃダメだ。

 大鳥の力を利用しても簡単にはやらせてくれない。相手の体が力んでおらず、僕の攻撃が最大の威力で行われること。致命傷を与えるにはそれしかない。

 僕は空中の僅かな間で思考を完結させ、足が地についた瞬間、敵の方へと再び蹴り出す。

 …相手は思考体だ。僅かにでも考える間を与えるわけにはいかない

 獣人は僕が近づくや否や拳を前に突き出した。大鳥によりさらに明瞭になった視界でそれを認識し、体勢を急激に屈める。低くなった重心そのままに剣を斜め上に切り上げた。剣撃の勢いに従うように体を回転させ、姿勢を安定させる。そして、新たにできた傷口その最も深い箇所に突きを繰り出す。さらに一度引き抜き、より深くなった右脇腹を突いた。

 怪物の重心が後傾し、倒れそうになる。だが、相手は即座に左足を出して踏みとどまり、左拳を地を這う僕に向かって振り下ろした。

 さらなる攻撃をと思ったが、完全に体重の乗った反撃を前に僕は剣を引き抜き、僅かに距離を取った。

『ククッ。…なかなかやる。俺の国でもここまで強い奴はそういない』

 腹から流血した状態で獣人は話し出す。既に傷口は赤い蒸気を上げて塞がり始めていた。しかし、あの深傷だ。いくら獣人とはいえ、痛手になっているはずだ。

 僕はそう思い、大鳥に侵食されていない左目で能力を発動し、相手の自然力の総量を見る。

 …よし、明らかに減っている。あとは時間の問題か

 視界を滅する程にあった自然力量があのバジリスク並みになっていた。とはいえ、単身でバジリスクと戦うというのもなかなか骨が折れる。それに怪物の機動力は僕と同等だ。剣の間合いでなかったら、今頃負けていたかもしれない。

 瞬時に息を整えた僕は未だ回復に時間を費やしている獣人との距離を詰め、剣を顔の横に構える。相手もそれに気づくと回復行動をやめ、右腕で防御、左手でそれを抑える。首を狙った攻撃だ。

 

 僕はそう思わせた。


 刹那、獣人の腹部を鋭利な刃、その集合体が貫いた。そう、僕の右翼だ。力を入れれば、羽ごと硬質化し、武器として転用することができる。羽一本一本が尖鋭なナイフと化す。

 戦闘が硬直する。あまりの近さに息遣いが聞こえる。翼を大量の血が伝い、滴った。

 その時、天井から数多の水が降り注いだ。

 …残り三十秒か。

 なんとかなった、そう思い「大鳥の力」を解こうとしたその時、翼に力強い感覚を覚えた。 

 怪物は両腕の膂力を集約し、翼を自身の身から引き抜こうとしていた。翼をさらに深く差し込み、それを阻止しようとする僕だったが、かの力は凄まじく獣人は身体を震えさせながら、脱してみせた。

 刹那、地に足をつけた化け物はこちらに突貫してきた。先までの攻撃速度とは比べ物にならない。火事場の馬鹿力という奴だろうか。腹部を貫通していたはずの傷口が蠢き、修復していくのが分かる。しかし、それが決死の猛攻であることは確かだった。

 …こいつは僕を倒せない。けど…

 問題は時間だった。戦闘の中で加速する感覚で、残りの三十秒という時間を正確に測ることができない。僕は凄まじい速さで繰り出される攻撃を予測し、回避し続ける。

 …クソッ。一発が即死級かつ早い。一瞬の逃げ出す隙もない

 徐々に後退しながら、攻撃を受け続ける。超越した速さの猛撃に防戦一方になっていた。この近接状態が解消されると相手は倒れる、確かな確信があった。しかし、相手はそれを許さない。

 …時間がない。なにか、何かないか

 その時、思考より早く体が動いた。徐に左手が腰へと行き、ぶら下げられている剣の柄を握る。すると、逆手でそれを引き抜き眼前で順手へと持ち替える。そこで思考と体の動きが収束する。僕は翼を盾にして相手との間に差し込んだ。その刹那、左手のみに能力を発動。顔右横で剣を構えると、数撃を受け止めて痛みの走る翼を開く。

「おおっ!」

 目の前に迫る左拳を左肩で反らせ、雄叫びと共に左足を敵に向かって深く踏み込み、異音のほとばしる口の中へ剣を深々と突き刺した。さらにそれを捻ると獣人は完全に沈黙した。

 剣に確かな重みが伝わる。引き抜くと、重力に従ってそれは膝から崩れ落ちた。怪物は地面に仰向けとなる。遅れて身体から血が流れ、血溜まりが形成される。それを見て、敵の生命活動が終了したことを認識する。

「終わった…」

 その言葉を発した途端、全身から力が抜け僕もまた膝から崩れる。左手に持つ剣は乾いた音を立てて地面に転がった。

 …ドゥクン

 その時、全身を嫌な鼓動が襲った。僕はこれを知っている。その感覚を己が全ての力を持ってして拒むが、虚しくも右上半身だけでなく他の部位にも大鳥の力が広がり始める。

 …あと二秒早ければ

 そんな後悔が脳裏に浮かぶ。

『よくも私の力を勝手に使ってくれたな』

 その時、僕は「燭台を持つ右手」の幻覚を見た。しかし、それはいつもより鮮明で…何らかの動物の骨を被っている頭のようなものもうっすらと見えた。

『さあ、復讐だ』

 その言葉と共に視界が暗転した。


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