追憶_栗野縁《際限なき欲望》
『内なる獣を解き放つ』
口上と共に大鳥の力を体に顕現させる。瞬時に肩甲骨から骨が延長され、筋肉がそれを包み翼が生える。僕はその状態できっちりと理性を保っていた。
あれから二年。もう小学校も卒業というその時期に僕は大鳥を身体に抑え込み、能力の一部を引き出せるようになった。しかし、時限付きだ。たったの三十秒。それが大鳥の力を使える今の限界だった。それが終わると大鳥に理性を侵食され、瞬く間にあの化け物に変貌してしまう。
それを知っている僕はすぐに大鳥の状態から人のそれに戻る。
『いーじゃん。上手くなった。まさか能力の引き出しまでいけるとは思わなかったぞ。見た感じ、大鳥の抑止も安定しているし…、合格だ』
空中にぷかぷかと浮いている美琴さんが嬉しそうに笑っている。彼は妖精としての特性を活かし、僕の中の大鳥そして自然力の流れを見ていた。どうやら大鳥に囚われる時、体内の自然力に大幅な乱れが起こるらしい。その兆候が僅かでも観測できれば、ラードガーさんが止める手筈となっていた。
「よしっ!」
僕は拳を握りしめた。心底嬉しかった。大鳥の抑止がだんだんと出来るようになったのはつい半年前だ。それまでは兆しの一つすら現れなかった。大鳥になってはラードガーさんに拘束される、その繰り返しだ。すでに試行回数は万を悠に超えているだろう。心は折れそうな時も、訓練が辛くて辞めたい時もあった。本当にここまで頑張った自分を褒めてやりたかった。
「それじゃ、師匠。行きますよ」
「…こい」
大鳥の試験に合格した僕は、ラードガーさんと戦闘を始めた。手には樫の木で作られた木剣が握られている。この木剣は特別製だ。どうやら、「自然力を意図的に扱う」能力は人に限ったものでは無いようで、確率的に生きるものの中で発芽するらしい。人なら能力者、動物なら魔獣。木とか、苔とかの自然物の中で能力を持つ種は黒い色をしていることが多いため、黒種と呼ばれるそうだ。
僕が師匠からもらったこの木剣は黒種の樫の木で作られたもので、僕の自然力を流し込むと硬度の強化、自然力の発散が起こり、朧げな紫の粒子が発散する。余程のことがない限りは折れないと聞いている。
「っせい!」
〈抜刀術:神威〉
僕は先手を放った。神威は剣撃の威力に重きを置く抜刀術だ。他には早さを重視した〈神速〉がある。
しかし、力強く打ち込んだが身を討つ前に師匠の剣に阻まれた。
「…いい、感触だ。縁、それで終わりか」
僕は拮抗していた剣を相手側に押し込み、返ってくる反動と共に後退する。僕は最もしっくりときている剣身を下に向けた脇が前の形を取り、一刀一足の間合いで静止した。
師匠は中段の構えをとっていた。
森の枝葉が風に煽られる音、両者の呼吸音だけが空間を支配する。極限の集中から生まれた緊迫感で呼吸が早りそうになるのを必死に抑える。
…まだ、まだだ。
しじまの間が流れる。ひたすら相手の動きを注視していた。僅かにでも動けば、運動によって起こる自然力の流れを感知。その後の動きを予知し、反撃を仕掛ける。
その瞬間、両者の目に一枚の葉がひらひらと落ちてくるのが映る。それが地に触れたその刹那。
師匠も僕も全く同じその時に動き出した。師匠は瞬時に僕との間を詰めると、真っ向から剣を振り下ろす。単純だが、洗練されたそれに僕は間一髪、木剣を切り上げて対応する。上からの攻撃を下で受けては押し負けてしまうのは自明だ。僕は師匠の剣の腹の部分に自分のそれを滑らせて、剣撃をいなす。そして、そのまま背後へと周り、その背中を目掛けて袈裟斬りを打ち込む。
…入った‼︎
僕は半ば確信していた。しかし、それは起こらなかった。師匠が僕の攻撃を予測し、体だけをずらして、振り下ろされる軌道から脱する。そして、僕は自身が先ほど行ったのと同じように背後に回り込まれ、肩めがけて木剣が打ち据えられた。
肩に走る鋭い痛みと共に勝負は決した。完敗だった。
「…やっぱり、師匠には敵いませんでしたね」
僕は地面に足を放り出す。呼吸は仕合以前と比べて明らかに荒れていた。
「…だが、いい線は行っている。このまま修練を続ければ、いい腕になる」
「…ありが…とう…ございます」
息切れの中、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。深く息を吸い、吐くを繰り返して呼吸を整えていく。
『じゃあ、縁。お別れだ。命題だった大鳥の抑止は出来るようになった。俺らは明日、ここを出立する』
「唐突ですね」
『前から決めていたことだ。こう見えても忙しくてな。これから、東の森の調査に向かう。こっちが
僕が学校に行っている時は村の書庫にある記録を読み漁り、時には夜が更けてから外に出かけたりしていると久遠から聞いていた。それも仕事の内だったのだろう。
『後をどうするかは縁次第だ』
あと?後とは何か。僕は疑問を抱いた。大鳥の抑止が終わったのだから、これまでの生活に戻るのだろうとそう思っていた。
それが伝わったのか、美琴さんは腕を胸の前に組んで話し始めた。
『なあ、縁。お前、とりあえず中学は彫刻学科に行くんだろ』
「はい」
事実、近隣の村の子どものほとんどが集まる隣町『
『その後だよ。本当は普通科に通いたいんだろ』
「それはそうだけど…」
僕は言葉を濁し、視線を美琴さんから外して俯いた。無理なものは無理だろう。
『あるんだよ、一校だけ。お前でも通える普通科の学校』
その甘美に響きに僕は顔を上げた。もし本当にあるならば、一度は…。
「…美琴、持ってきた」
すると師匠が美琴さんの後方から現れた。そういえば、先ほどから姿が見えなかった。彼は手に握られている紙を僕に差し出した。
それは「王国立中央魔術学院」のパンフレットだった。
『ここへの入学の仕方には二種類ある。筆記試験は必須だが、その後は魔術を軸にした試験と特別試験と呼ばれるものがある』
「…特別試験?」
『即戦力の水準に達した生徒だけが合格とされる試験だ。試験内容は時間内で特定の目的地までの到達。魔術の甲乙は関係ない。到達できれば、合格だ』
「じゃあ…、その試験さえパスすれば僕でも普通科に入れる」
『まあ、舞台となる森は危険度が高い。上級の冒険者でも尻込みするぐらいだ。今の実力じゃ到底敵わないが、三年間やれば十分に可能性はあると思うぞ』
僕は話を聞きながら、パンフレットを見回した。すると、卒業生の実績に目が止まる。
「王国騎士への推薦…」
その人は学校推薦で、この王国最高職業の一つ『王国騎士』についていた。
『なりたいのか、騎士に』
僕はこくりと頷いた。王国騎士の具体的な給与はわからないが膨大なものというものは知っている。それが持つ栄光も相まって、小学生男子が一度は必ず夢に見る職業だった。実際、僕も小学一年の時の夢はこの『王国騎士』だった。
『推薦枠取りたいんだったら、相当強くなきゃダメだぞ。年に四回ある交流祭で常にベスト8には入るぐらいの実力が必要だ。ま、よく考えるんだな』
『なあ、縁決まったか』
出立の日の朝、ラードガーさんが荷物を馬車に積むのを手伝っていると美琴さんに声をかけられる。
「正直、なんとも。あの時は衝動で行ってみたいと思いましたが、一日空けて考えてみると…、よく分からなくなりました。別に騎士でなくてもお金は稼げますし」
『う〜ん。お前あれだな。何だかんだ、理性的なやつだな』
「日常的に神様扱いされてたら、村人がいかに狂気に満ちているかは分かります。それを見ていると返って、頭が冷めて…昔より色々なことが見えるようになりました」
僕は荷物を馬車の後方に送りながらそう答える。
神と崇められるようになった日から村人の対応はそれまでと様変わりした。僕をみる村人は避けるか、合掌するか。それが村の方針だった。
触らぬ神に祟りなし、だ。
村内で直接関わる人なんて露天の人と鉄穴の爺だけだ。弓弦ちゃんともなかなか会えない。僕と会っているところを村の誰かに見られたら、親に絶縁されてしまうという。
学校には行っていたものの先生から出席を取られることもなく、勝手に書庫に入り、授業を聞くだけ。僕は学校と家の往復をこの二年間ひたすら繰り返すだけだった。卒業証明書は家の郵便受けに先日入っていた。
『まあ、そんなに気にするなよ。
それは美琴さんと師匠がやってくれたことだった。そんな大仰な情報操作に
「……はい」
『あんまり吹っ切れてない感じだな。…これは俺の考えだからよ。あんまり当てにしないで欲しいんだが』
美琴さんは自身の頭の後部をさすりながら、話した。
『縁、人って死ぬ時は死ぬんだ。戦場か病気か事故かそれ以外でもあるだろうな。だから、後悔が残らない死に方を考えなくちゃならない。縁、お前はどうやって死にたい?』
僕は不意に死に様を問われ、慄いた。しかし、逡巡の間に脳裏に王城から町を見下ろし、悦に浸る僕の姿だった。王城なんて一度も見たことはない。しかし、そこがその場所であることは感覚的にわかっていた。
…僕は、自分が関わる人を守りたい、そう思っているのか
その想像はとんでもない大きさは自分でも吹き出しそうになる。しかし、お金を稼いで久遠に楽させる、という目的も捉え方を変えれば「久遠を守る」という言い方もできる。
『おーい。縁、おーい』
僕は美琴さんの方を向いた。
『どうかしたか。今のお前、だいぶ気味の悪い顔していたぞ。…でも、何か見えたみたいだな』
「……はい」
その後、昼頃に師匠たちは荷造りを終えて、この村を出立した。
師匠が発った後、僕はこの学校に入るために努力を惜しまなかった。確かに彫刻師として大成して、金銭を手に入れることはできただろう。しかし、あの時見た風景は僕に経済的な力だけではなく、身体的、そして人間的力を求めている。僕はそう思った。
隣町の学校に行っては森を介した裏道で能力を発動し、鍛錬兼帰宅を行う。午後の狩りに行き、その後の時間を大鳥の制御、剣技の上達、勉強にそれぞれ時間を充てた。
そうして三年の月日が経ち、僕は王国立中央魔術学院に入学した。
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