追憶_栗野縁《空白の三日間》

 目を覚ますと、僕は自分のベッドの上にいた。起き上がるのと同時にずきりと頭から痛みを感じた。

 えーっと。確か、蒼葉を探しに森に行って。怪我をしているあいつを見つけて。遠野くんたちと殴り合いになって。

 その後、あの真っ暗闇の中で燭台を持った腕に出会って…。

 どうしてもそこから先の記憶が途絶えていた。

『起きたか』

「蒼葉…」

 彼は傷も治癒し元気そうだった。正直、見つけた時の状態は芳しくなかったので地を普段通りに闊歩する彼を見て、安堵した。

『縁、ちょっと待ってろ。人を呼んでく——』

『おう、やっと起きたか少年、いや縁くんだったか』

「よすがーーー」

 ドタバタと階段を上がってきた久遠にぎゅうとキツく抱きしめられた。

「大丈夫?しんどくない?熱はない」

「久遠、仕事は…」

「それどころじゃないよ。縁、三日も寝込んでたんだよ。保護者としては心配だったの。休みも多めにもらったから。何かあったらってね」

 久遠はそう言うと抱擁を解いた。

「縁、あの日のことについてはそこにふわふわしている神山美琴さんと…。今入ってきた、この人。ラードガーさんから話があるらしいから、私は席を外すね」

 久遠はそう言って部屋を出ていった。


『やあ〜少年、元気になってなりよりだ』

 空中を浮遊する水の妖精はおじさん臭くそう言った。妖精がここまで流暢に話すことは少ない。明らかに自我が芽生えていることから第三段階の妖精だろう。その宿主であるラードガーという人物は相当な手練れであることがわかる。

「…それで、話ってなんですか」

 僕は切り出した。久遠曰く、あの日から三日も眠っていたらしい。傷をつけた覚えのない肩甲骨付近から痛みがすることも気になった。

『まあ、ちょいとびっくりすると思うが…』

 その言葉を端緒に僕はこの三日間あったことを聞いた。


『まあ、そういうことだ』

 僕は呆気に取られていた。自分が大きな翼を持った化け物になって、兵舎を襲っただって? 

 それに話によれば、駆り出された衛兵は皆重傷で魔術による治癒がなかったら、死んでいたかもしれないらしい。

 しかし、その時。黒白のぼやけた視界が脳裏を突いた。それはかなり高い視界から遠野くんを睥睨していた。その周りには黒い水溜まりが散見される。そして次の瞬間、僕は彼に容赦無くその右腕を振り落としていた。

「…何となく、思い出しました」

『そうか…それで、あの姿になる前、少年は何かに会わなかったか』

「…会っていたような気がします」

 一本の蝋燭が燭台とそれをもつ右手をボンヤリと照らす不気味な光景が想起される。しかし、その後何があったかは記憶に靄がかかったように思い出せなかった。

 僕、大鳥の怪物をラードガーさん達が一晩かけて制圧した後、起こったことは次のようなことだった。

 衛兵の証言で森の中から現れたことから森の祟りと畏怖され、あの怪物を「荒神『大鳥さま』」と呼び、神の怒りがおさまることを願い、祭壇で祀った。その依代たる僕は「現人神」と村人達に認識されているという。今朝も家の前に山ほどのお供物が置いてあったそうだ。

『まあ、人は自身の想像すら超えたものを恐れる性質がある。そんなに気にするな』

 田舎ほど常日頃の刺激が少なく、変化に過剰に反応してしまうらしい。美琴さんがそういうと、ラードガーさんが右手を僕の肩へと乗せ、うなづいた。

 彼は言葉数が少ないが、そのぬくもりで僕の心の中にある不安を退けてくれた。

『実際のところ、君の持つその力は器とそう揶揄されるものだ。何はともあれ、力を一度使ってしまうと、いつ暴走してもおかしくない状態になる。今の君は不安定だ。特に感情の起伏に反応しやすいから気をつけてくれよ』

「…美琴、修行」

ラードガーさんが何やら呟くと、美琴さんは大袈裟にパンッと手を叩くと僕の眼前に近づいて言った。

『そーだ、忘れてた。俺たちはしばらくこの村にいることにしたんだ。正確には君が力の状態が安定するまで。明日から制御の訓練を始めるから、よろしくな』



「グアァーーーーーーー!」

『ラードガー‼︎』

 美琴の声にコンマのさもなく、彼が生成した数十の水の魔弾が怪物に向かって行き、それを包む大きな球体を形成する。空気のないその空間に置かれた化け物はしばらくすると人の形を取った。

 ラードガーはそれを確認すると水の檻を解き、少年をゆっくりと地面に置いた。

「うっ、うぅ…」

『起きろー、少年』


 顔面に思い切り水をかけられた僕は意識を覚醒させた。

「また駄目だった…」

 僕は水浸しのまま俯いた。この一週間、これの繰り返しだ。当然、学校には行けようはずもない。

『そんなすぐにできたら、苦労しねぇさ。気長に行こうぜ』

 美琴さんは「しばらく休憩」と言って家の中に戻って行った。

 彼には僕を鍛えるお礼として、この家に住んでもらっている。長期滞在となると宿代もバカにならない。家には空き部屋がいくつもあり、彼にはその一室を使ってもらっていた。

「不思議な人だなぁ」

 僕は美琴さんを見る度にそう思っていた。

 聞くと、美琴さんは正確には第三段階に進化した妖精ではないらしい。第一次巨人大戦の最中の事故で、契約妖精だったラードガーさんと契約主である美琴さんが入れ替わってしまったそうだ。

 初めは双方苦労したようで、ラードガーさんは人の体で歩くことができなかったという。また、美琴さんという人格が妖精体に入ったことで、その体が自我を獲得したと誤認。その結果、第三段階の妖精と同じように『顕現』が可能になったと言っていた。しかし、とにかく浮くという感覚が分からず妖精にも関わらず、歩いていたらしい。

 …午後は能力使用の訓練だ

 僕は地面に寝たまま、そんなことを考える。疲労からしばらくは起き上がれる感じがしない。

 僕が怒りに任せて遠野くんを殴った時の僕の身に宿った力は魔術によるものではなく、自然力によって身体能力を増強したものであることがわかった。正直、残念だったが、「人の身で自然力を扱えること」は珍しい能力らしく後に「大鳥」の制御に役に立つと美琴さんは言っていた。午後はそっちの能力の訓練だ。

「僕の体、どうなっちゃうんだろ」

 「大鳥」に「能力の開花」。一度に起こった変化に僕はなかなか適応できないでいた。突然の変化に心がついて行っていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る