追憶_栗野縁《荒神の夜》

なんだよ、アレェ!

 俺は恐怖に支配されて、本能的にそれから逃げていた。

 俺が縁が完全にやっつけたその時、黒い瘴気があいつから漏れ出た。それは不意にあいつの体を浮かすとそのまま纏いつき、化け物へと変貌した。

 俺は見た。口角が異常なほど釣り上がり、肩甲骨から漆黒の翼が生え、全体が羽に覆われている。手足には猛禽類を彷彿とさせる鋭い爪が生えている。そんな怪物が誕生するのを。

 その化け物は俺の眼前にふつと移動するとその気味の悪い口を近づけ、ニヒルな笑みを浮かべた。

 俺は怖気を感じ、それがいる反対の方向へ必死に〈身体能力強化〉の魔術を発動。そして、今に至るというわけだ。

 命の危険が迫っているからか、いつもより数段早く動けていた。そのおかげで化け物よりわずかに速い速度で逃げる事ができている。

 …あんなの手に終えるわけがない、村の兵舎に向かうしかないか

 俺はそう考え、それがある方へと舵を切った。

 …にしても、あんな化け物抱えていたのか、あいつ。関わると碌な事がなさそうだ。

 今度、関わりたくないリストに「栗野縁」の名を刻む俺だった。



「なんなんだよ…コレ」

 俺は眼前の光景に呆然としていた。兵舎の前には傷と血に塗れた衛兵が伏している。

 俺は村の兵舎に敢えて無断侵入した。少しでも触るとけたたましい音でなる鈴が数々とりつけられた警戒線、それを思い切り踏みしめる。

 わざわざ夜の番をしている衛兵に事情を説明している暇なんてなかった。

 しかし、集まった総勢三十人にも渡る衛兵は瞬く間に無力化された。

 魔術は効かない。受けた傷はすぐに治癒する。出鱈目に力を振るっただけでこの有様だった。

 衛兵が束になっても敵わなかった化け物は口から多量の唾液を滴らせながらこちらに歩いてくる。俺はその圧倒的な力を前に尻込みする。 

 なんとか逃げようと腕を動かすが、衛兵の撒き散らした血で手が滑る。

 足音が鼓膜で反響する。

「シャーーーーーーー‼︎」

 その叫び声と共に鉤爪のようになった腕が勢いよく振り落とされ、俺は目を背けた。衛兵と同じく切り裂かれる——そのはずだった。

 ガギンッ!

 刹那、響いたのは剣戟音だった。目を開けると長身の傭兵が剣を挟み入れ、化け物の攻撃とせめぎ合っていた。

「……少年、逃げ、ろ」

 俺はその言葉に従うようにその場から離れ、なるべく遠くへと逃げた。振り向かなかった。


もしかしたら、追ってきているかもしれない。


その可能性が俺を突き動かしていた。


*  *  *


『いやー、東の森に用があっただけなんだけどね〜。まさか、こんな化け物に出会うとは。見た感じ、人だね。これは骨が折れるぞ〜』

 半魔獣化。いかに戦場で経験を積んでいてもなかなか見れない代物だった。

「……どうする、美琴」

『助けるに決まってんだろ、ラードガー。コレ多分、器だぞ。こんなところで見つけられたなんてラッキーだ』

「……美琴の決定に従おう」

 そう言って、ラードガーは拮抗していた剣を振り抜き、後方へと飛ぶ。

『殺すつもりで行って大丈夫だ。あの瘴気が尽きれば人に戻る。それまでは無限回復だ。長期戦は覚悟しろよ』

 俺は、彼にそう指示する。

 本当は明日の早朝の馬車でこの村に着くはずだった。なんか気味の悪い自然力が大気に混じっていたのでより濃い方向へと進んでここに至ったのだった。

 実は、もっと早く戦闘に参加することは可能だったのだが、辺りに倒れている衛兵の応急処置にも手を回していたので、少年がやられる間際での乱入となった。

 翼に覆われた化け物は様子を窺っているが、こちらを敵視しているのは明白だった。執拗に狙われていた少年を逃したのだ。獲物を取られたと思っていても不思議ではない。

『こっちから仕掛けるぞ』

「…ああ」

 そういうとラードガーは能力を発動し、異形に突貫した。しかし、それは当然のように阻まれた。突き刺そうとした剣は化け物に右手に握られて止まっていた。そこでさらに剣自体に自然力を流し、鋭さ、強度を上乗せする。強引の攻撃を押し込むと抑えきれなくなった手が外れ、それの胸を深々と突いた。すぐさま、引き抜くと彼は後退する。

 化け物からはかなりの血が流失したが、その傷口もすぐに閉じる。

『基本、攻撃と離脱の繰り返し。時々魔術を使って陽動しろ。効きはしないが、目を引くことはできる』

「…わかった」


 戦闘は明け方まで続いた。ラードガーは相当体力を消耗したようで、剣を支えに立っているのがやっとという感じだった。

 足元にはうつ伏せのまま、ボロボロになった衣服を纏い眠っている少年がいた。

 …彼の何がうちに眠る禁断の扉を開いたのだろうか

 頭に疑問が浮かんだが、それよりもやることがあった。

『ラードガー、倒れている衛兵を治療するぞ』

「…わかって、いる」

 彼は大きく息を吐くと剣を鞘にしまい、のそのそと歩き始めた。


*  *  *


 後にこのことは村中に伝わり、大鳥の化け物の存在は周知のものになった。衛兵が語るおぞましい話は「森の祟り」とされ、村では森の平穏を願って「大鳥さま」を奉った。村人たちはこの日のことを《荒神の夜》とそう呼ぶようになった。あれから数年後の今日、「森で悪いことをすると大鳥さまがやってくる」という一種の御伽噺となっている。

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