追憶_ 栗野縁《内に眠る化け物》

 忘れもしない十一月二十三日。その日は朝から薄暗い雲が空全体を覆っていて、雨が降りそうなくらいだった。僕はいつものように早朝の狩りを終え、学校に行った。いつも通り、人知れず書庫へ行き、教室で授業を受けた。


 異変があったのは帰宅後だった。いつもいる外の小屋に蒼葉の姿がなかった。だが、こういうことはたまにある。「腹が減った」とかで勝手に森に踏みって、草食動物を狩ってくるのだ。

 だから、いつものように待つ事にした。一時間もすれば帰ってくるだろう、そう思って。


 しかし、それだけの時間が経っても一向に帰ってこなかった。心配になった僕は、狩人の装備を身に纏い、森に足を踏み入れた。

 散策し始めて、十五分もしないうちに彼は見つかった。かなり森の浅いところにいた。

 だが、見つけたのは彼だけではなかった。

 遠野晴弘君とその取り巻きたちの姿がそこにあった。蒼葉は彼らが集う中心でぐったりとしている。

 一目散に近づき、彼を抱える。体は傷だらけで、毛には血が飛び散っていた。

 「蒼葉、おい。蒼葉!」

 その言葉に返事はない。これをやった犯人は明白だった。遠野くん達だ。殴られたり、蹴られたりしても何も反応しない僕に何をすれば嫌がらせになるのか、それを考えた結果だろう。

 息はあるが、無惨な姿になった蒼葉。そして、その周りにいる悪漢。その存在が僕に信じられないほどの激昂に至らせた。

「…ねえ、遠野くん。やっていいことと悪い事があるよ」

 僕は抱き抱えていた蒼葉を一度ゆっくりと地に置くと、怒気を滲ませた声が喉元から響く。

「やっと、その気になりやがった。そんなに強がってもお前には何にもできねーぞ」

 その言葉を皮切りに嘲笑が辺り一帯を包む。

 刹那、激情のままに拳を握り、遠野くんとの間にあった目算六メートルの距離を瞬時に詰める。勢いそのままに彼の顔面に振り抜いた。

 予想以上の衝撃が拳に込められていたようで、彼は地面に叩きつけられたのちに体ごと数度跳ね、沈黙した。

 僕は不思議に思って、右の拳を見やる。すると淡い緑の燐光が右手から発せられていた。

 …これが魔術?

 そんな疑問を抱いたその時。後方からの攻撃を感知する。取り巻きのうちの誰かだろう。僕は位置を反転し、彼の後ろをとった。そのまま脇腹に蹴りを食らわせる。蹴られた相手は木の幹に強打し、そのまま動かなくなる。

 …あと三人

 僕は辺りを見回したがすでに敵の姿はなかった。逃げたのだろう。蒼葉を弓弦に見せるために彼の元へと向かった。

 しかし、次の瞬間強い熱源が僕の体を襲った。

 ッッツ!

 咄嗟に右手を掲げ、防御したもののその圧倒的な熱量に皮の防具はすぐに焦げ落ち、僕の肌はじりりと焼け、火が全身に回り、物理的な攻撃とは比べにならないほどの痛みが体を覆う。

「…アッァアッ」

 全身がヒリヒリといたみ、呻き声しかでない。体が小刻みに震えている。

「ちょーしに乗るからだ。雑魚のくせに、俺に盾突きやがって。こういう奴には徹底的にやらねえとなぁ‼︎」

 そう言って彼は地に伏した僕に右手を掲げ、魔術を発動させる。彼の周囲に現れた三つの火の魔弾は変異し、その姿を槍とした。

 「火」中級魔術〈炎の杭〉

 さっきのもこれか。クソッ!なんでこんなやつに限って優秀なんだ。僕は理不尽な現実を吐き捨てる。

 次の瞬間、その杭は僕の体に放たれ、右太もも、左脇腹、左手前腕に突き刺さる。

「ぐあぁぁぁぁぁ‼︎かはっ、かはっ」

 悶絶を通り越した形容し難い痛みが各所に生じる。汚いのは火魔術であるため、一瞬で穴の空いた部分も止血されてしまうことだ。死にようがない。彼はずる賢いからそれも分かってやっているのだろう。

 そんなどうでもいい思考分析の末、僕は意識が失われるその瞬間を知覚した。

 …こんなクソ野郎にも負けるのか。あいつだけ、あいつだけは…。


 絶対にぶっ潰す!


 とてつもない力が眼輪筋に宿り、目が見開かれた。しかし、そこで僕の意識は途絶えた。



 次に覚醒した時にいたのは白く際限のない不思議な空間だった。脳をつんざくような激痛も消え、体の各所にあった火傷や穴などの外傷も消えている。

 瞬間、空間そのものが明滅し、白から黒へと様相を変える。

 真っ暗になったその場所で、蝋燭に光を灯した燭台を持った右手だけが現れた。

『其方、力を欲するか』

 暗闇はいう。僕はそれにこう返した。

「あいつをぶっ倒すだけの力が欲しい。蒼葉を、僕の家族をあんなにした奴を僕は絶対に許さない」

 怨嗟に塗れた私欲を僕はぶち撒けた。

『復讐か。よろしい。…私も、大好物だぁ!』

 ふと蝋燭の火が消え、辺りが完全な漆黒に包まれる。不気味で狂った笑い声が空間そのものを支配している、そんな感覚に襲われる。

 その時、さっきまであった『地』がなくなり、僕は深く、暗く、真っ黒いどこかへと落ちていった。

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