37_灘勇市
カランコロン、カランコロン。
俺は馬車に揺られていた。王都『天誅』は人の行き交いが激しい。今日も早朝に寮を出たのにも関わらず、捕まったのは夜の便だった。
日中丸々、暇になってしまったので、それから広場の露天で物珍しいものがないか、とか。新しい裏路地見つけようかな、とか。そうだ、新しい図録版が出ていたな、とか。頭で思いついたら実行するという奔放な過ごし方をして夜を待った。
馬車の乗り換え駅のある『
市民の多くは傭兵が占めており、遠征してくる人向けに宿舎も充実している。これも有って、灘勇は宿の激戦区で独自のサービスをこさえている所も多いらしい。
かく言う俺も先ほど『天誅』で宿のパンフレットを買って、今日はどこに泊まろうかと思案していた。
「お客さん、着いたよ。お客さん」
不意に身を揺さぶられる感覚に襲われ、重い瞼を持ち上げる。どうやら、考えを巡らしている間に寝入ってしまったようだった。
「ここ、灘勇駅。料金、いただける?」
「あ、ああ…」
背袋の中から財布を取り出し、御者に金を払うと荷物を持って馬車を降りる。御者によっては寝ている客の身ぐるみを剥がすなんて話もよく聞く。予め決めていた宿『
今度から気を付けようと脳裏に止め、荷物の中からあの鼠色の洋封筒を取り出す。そして、明日の早朝、使者が送られてくる時間を確認する。
それを終えると今度はパンフレットを取り出して、近辺の露店を調べる。その中から保存食を売っている店に絞り、鉛筆で印をつける。明日は朝食を食べる間もないだろうと踏んでのことだ。夕食はここ、『鶯亭』でとることになっている。
「お客様、今よろしいですか」
「はい」
作業を一時的に切り上げ、返事をする。了承を得た声の主は襖を開けた。
「夕食の準備ができました。『
「わかりました」
そういうと中居さんは一礼した後に、襖に手を掛けなるべく音の出ないようにして戸を閉める。やはり、料金が高めなだけ有って、接客に余念がない。ここは料理も非常に美味しいと聞いている。早々にパンフレットを客間の机に置いて、俺は『紅翼の間』に向かった。
『紅翼の間』はその名の通り、壁が淡く暗めな紅色で全体的に落ち着いた雰囲気だった。着くと、まるで予定調和のように夕食が設えてあった。食台には鹿肉の厚切り、漬物、味噌汁、牛蒡の金平がそれぞれ適当な皿に盛られている。茶碗は裏向きで置いてあり、その近くに木桶がある。どうやら、ご飯はセルフサービスのようだ。
「いただきます」
俺は座布団の上に胡座をかき、早速食事を始めた。全体的に素材が良いからか、味付けは控えめで鹿の肉は新鮮かつ猟師の腕がいいのだろう、臭みがほとんどなかった。粗相のないように気をつけながら、最高速で料理を口に運ぶ。冷める前に一刻も早く食べてしまいたかった。
「
きた時には誰もいなかったはずだが、いつの間にか筋骨隆々の大男が隣に座って飯を食っていた。少々薄汚れた肌、体に刻まれた無数の傷、強者特有の雰囲気。間違いなく、灘勇を拠点とする傭兵の一人だろう。
「まあな。下手したら、最後の晩餐になるかも知れないからな」
傭兵と話すときに年齢は加味しない。実力至上主義である彼らには年功序列なんてものはない。敬語を話すと返って、変な奴だと思われる。郷にいれば郷に従え、だ。
「すぐに俺の職業見抜くか。面白いガキだな」
「そりゃどうも」
なかなか頭も勘も切れるらしい。俺はとりあえず、返事を返す。
「これから何処だ」
「『北部戦線』だ。傭兵なら知ってんだろ。あと二日後——」
「ああ、魔獣と巨人と獣人の大群が押し寄せてくる、だろ」
その人は俺の言葉を遮り、先に続く言の葉を述べる。すると自身の食卓から
「…前日は飲むなよ」
「飲むが?飲んでねぇと化け物相手にやってられっかよ」
ぐいと一気に飲んで、さらに
「俺は明日には出立する。買い物があるから失礼するぞ」
話しながら、食を終えていた俺は面倒臭くなる前に離脱しようと最もらしい(嘘ではない)理由をつけて席を立つ。
「待てよ、少年。名前は」
「んだよ、絡んでくんな」
「そんなんじゃねぇよ。てか、これくらいで酔うかよ。——俺も行くんだよ、『北部戦線』に」
「直人、本郷直人だ」
「……ほお、お前が。へぇ」
身元を明かすと、当然「次期当主」の肩書きも露呈する。その人は俺を睨めるように見回しした。
『本物だよ!』
ぽんっ!という音がしそうなくらい、ペトラがまるでびっくり箱のような登場をした。
「おうおう、これが第三段階の妖精か。こりゃ間違いなく
その人は大袈裟に驚いた動作をしながら、朗らかに笑って見せた。ペトラもご満悦だ。
「俺は
「ああ、よろしく頼む」
その言葉と共に差し出された右手に左手を重ねて握手をする。今度こそと部屋を後にしようとしたその時。
「少年、仲間には『当主様は気のいい奴だった』って言っといてやるよ」
振り向くと、こちらに背中を向けて左手をゆらゆらと振る金沢の姿があった。
食事をとって、夜も更けたがまだ街は明るい。傭兵は日勤も夜勤もある。店は人の交代を日夜行い、二十四時間やっている。それがこの街の普通だ。
俺はパンフで見繕っていた店の中から「干し肉」、「シカの燻製」、「川魚の塩漬け」、「ドライフルーツのミックス」、「ナッツ類」をまとめて買い込む。
その後、一度『鶯亭』に戻ってから自前の大剣をもち、鍛冶場に行って簡易的な調整を行う。この時に剣身に
それが終わると、再び『鶯亭』に帰り、背袋の中身を入念に確認してから、眠りについた。
…これから、戦争か。
俺もこの規模のものは経験したことがない。見知っているのは爺に教えてもらったことぐらいだ。しかし、今回は『当主代理』という立場もある。形式上と言われているが、柄にもなく荷が重いのではないか、と感じてしまった。
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