38_勃発

 翌朝早くに例の使者はきた。

「お客様、早朝に失礼します。要件がある、という方がいらしているのですが」

「通してください」

「かしこまりました」

 すると中居さんが横へと捌け、使者と思われる人物が顔を出す。

「久方ぶりですな、坊っちゃま。いえ、今は当主様でしたか」

「じい……」

 長身で線の細い老人の姿がそこにあった。今まで教育係を一手に引き受けてくれていたじいだ。今こそ朗らかな顔をしているが、戦場では『戦鬼』の異名を持つ現役の騎士。年と共にその戦い方は変化したものの熟達した剣術は未だ最盛と言われている。

 俺はこの人を見て安堵した。幼少の頃からの付き合いだ。一緒に不安も共有してくれる。

「御当主様、迎えに上がりました」

 次の瞬間、俺は目を見張った。片膝立ちで左胸に手を添えて頭を垂れるのは——昨日のあの、金沢だった。彼はわずかに顔を上げると、片目で目配せした。

「金沢お前……」

 余りにびっくりしたので声がオドける。まさか俺の護衛だったとは…。

「おや、坊っちゃま。すでに知り合っていましたか。こやつも同行します。私の弟子の中でも有数の手練れです。流派を離反して、まさか騎士崩れの傭兵になっているとは思いもしませんでしたが…。実力は担保します」

「ほら、さっさと支度すんぞ。案外、時間ねえんだからな」

 金沢は膝立ちの姿勢を解くと両手でパンパンと二度大きな音を鳴らして、行動を急いた。


「まさか金沢、じいの弟子だったとはな」

「昔の話だよ」

 どうやら、弟子呼ばわりされるのはあまり好きでないようで不貞腐れたように、馬車の窓に肘を突いて、口を尖らせていた。

「今でこそ、子供に甘いがな。昔は、それはもう厳しくてな。俺みたいに夜逃げするやつ多かったんだぞ」

「そりゃ、二十年も経てば人も変わりますよ、良成。強固な石もいずれは風化する」

「けっ!」

 金沢は未だに爺のことが苦手なようで、碌に反抗もせずに言葉を吐き捨てるに留める。昔のじいはそれほどに恐ろしかったのだろうか。

 俺は本郷家で教育を受け始めた頃からしか爺のことを知らない。俺の時は一つ、できることが増えたら、ベタ褒めされて育った。だから、爺のことを怖いなどと思ったことはなかった。まあ、剣の稽古で遊び半分でボコボコにされることはあったが。


「…そうだ、直人。今のうちに戦術の共有をしておくぞ」

 思い出したかのように金沢はいう。彼はダボっとした薄汚れたズボンからくちゃくちゃになった地図を取り出した。それを平面に戻してから、シワを申し訳程度に伸ばすとそれを自身の膝の上に置いた。

 「今が『淀町』の手前で、何もなければ北部戦線の基地『田口』に昼頃に着く予定だ。今回の敵総数は二千。対して俺らは八百程度だ。…少ないと思うかもしれないが、これでも王国全土から集めたんだ。主要都市に勤務する魔術師も学校自体を休校にすることで戦線に来てもらっている。それに能力の高い学生も今回は召集した。まあ、それは直人も知ってるだろうが」

「そりゃな、一応今、学生やってるからな」

 そう答えながら、徐に左胸に手をやる。しかし、目当てのものはない。それもそうだ。今はより防護力の高い『軍服』に着替えている。最近、着慣れていたからだろうか、学生服を着ているつもりで校章を探してしまった。俺は空を切るその手ゆっくりと膝上に戻す。

「戦術つってもいつも通りだ。開戦直後、敵側に大規模魔術で先制。それを潜り抜けてきた奴らを十人程度の小隊に分かれて向かい撃つ。チームワークが取りやすいよう実力ではなく、既知の人と今回は組んでもらった。後退、戦線復帰がしやすいようその周りも同じようにしている」

 常套だ。巨人は真っ向から向かってくること以外、脳が無い。先に数を減らせば、かなりいい戦況を作ることができるだろう。

「坊っちゃまは私と弟、良成、他は後衛を務める者を金森家から貸していただきました。坊っちゃまが戦場で暗殺されたら、堪りませんので」

 本当のところ、爺は本郷家から人選したかったのだろう。しかし、俺は本郷家でかなり疎まれてしまっている。それには出生が関係していた。

 俺は元々、本郷家で生まれたわけではない。十二歳の頃、村が予期せぬ形で巨人に襲撃され村人が全滅。俺を含め、森の奥地に遊びに行っていた友達だけが生き残った。

 魔術の才を魅入られ、孫も子供もいなかったジジイ(現本郷家当主)に俺は引き取られた。後に第三段階妖精『ペトラ』を発現。巨人を含む『大地ノ民』を滅殺するために、俺はひたすらに学んだ。結果的に同世代の本郷家の人は敵にすらならないくらいの知識と能力を身につけた。

 そして、『当主を継ぐのはその代の最強である』という古来から一族に続く風習があり、ジジイから「次期当主」の立場を賜ってしまったのだ。

 次期当主は現当主の一存で決めることができる。次期当主になると将来的に本郷の所有する「辺境の土地」、「騎士団」や妖精との交渉の末、得た「開拓権」などが譲渡される。それらがあるため、俺が任命されたときには本家からも分家からも非難轟々だった。最もそんな物に目が眩んでいる人が当主になった前例はないのだが。

 実力で黙らせはしたものの今も不満を持つものが多いと聞く。


「助かるよ、じい。今回も本郷とは…」

「もちろんです。他の貢族の仲間に声をかけて、私たちの陣営を遠くに配置してもらっています。問題は起こらないでしょう」

「とっとと解決しないと尾を引くぞ、直人」

「そんなことは分かってる。…とりあえず、今は戦争だ」

 金沢の言葉を俺は突っぱねた。瞭然なことを言われ、少し苛立ちを覚えた俺は一呼吸おいて焦点を今に戻す。

 本郷との確執が学生生活で結果を残し続ければ、他の貢族から評価が上がる。そうなれば、本郷家としても対応を変えざるを得ないはずだ。

 次は…六月のトーナメント『天竜祭』か。

 そこまでで俺は今後に関する思考を断ち切り、これから生き残ることだけを考えた。


 北部前線『田口』に着く寸前で馬車の車輪が嵌ってしまい、定刻につくことは叶わなかった。

「遅れました。本郷家の直人です。緊急招集で参りました」

 俺は天幕の前でそう言い、「入れ」の声を待ってから中に入った。爺と金沢は外で待たせてある。急いでいたので礼装に必要な大剣のみを携えてきた。

「よくきてくれた。私は今回の狩りの陣頭指揮を本郷家当主より承った森山克樹かつきだ。………プ、ハハハハッハ」

「なんでしょう。失礼に当たることでも」

 会うや否や大声で笑ってきた男は息を整えてからこういった。

「やぁね。あの村のヤンチャ坊主がここまで畏っているのを見ると、笑いが込み上げてきてしまってね。ウッウン。すまなかった。君にはなんの落ち度もないよ」

 手をこちらに向けてゆらゆらと振る素振りをしていた。その後、護衛とみられる人に森山は他の部隊の隊長を呼ぶように指示を出した。五分もすると各部隊の隊長が集まった。その中で年若い俺がいることで懐疑的になるものもいたが、森山の「本郷さんの代理だ」と言う言葉でとりあえず戦術の最終調整へ移った。


 これまでの戦闘と戦術を記録した『共通状況図』を元に人員配置を終えたころ、すでに夜を向かえていた。すると急激な空腹感に襲われる。そういえば朝食は愚か、昼食も食べていなかった。俺は自身の荷物を置いた天幕に向かい、前日に買っていた食料に手をつける。塩気、甘みが強すぎるようなものばかりだったが、余程疲れていたのか美味に感じた。

「当主様。ご飯ですよ」

 爺が持ってきたのは『干し肉と野菜のスープ』だった。正直、空腹を満たしたばかりで手が進まなかったが、こっちの方が俄然美味しかった。


 翌日。哨戒していた人たちの証言を元にして決めた時刻に人員を配置する。

「いよいよですな、当主様」

「ちゃんと寝たか、直人」

 そういう金沢は酒気を帯びていた。本当に酔ったまま戦場を駆けるつもりのようだ。単眼鏡で遠方に目をやる。哨戒班の報告には聞いていたが、それは一周回って圧巻と賞賛してもいいほどの怪獣オンパレードだった。

 巨人の肩に乗る小型魔獣、猪、闘牛、狼、熊、ピューマ、そしてバジリスク。それぞれがとんでもない数存在していた。敵は個体数の少ない魔獣をどうやってこの数、従えたのか。

 そんな疑問を抱いた刹那、自陣の遥か後方からさまざまな属性の大規模魔術が放たれた。

 …ペトラ

『いっけるよー!』

 魔術行使:「火」初級魔術〈身体能力強化/《真》〉

 バジリスクの時は突発的だったからできなかったが、前もって分かっていれば「身体能力強化」の限界を超えた強化も可能だ。二日間かけて、ペトラに然力を練らせていた。そして、背中から大剣を引き抜くとそれに灼熱を付与する。


——開戦だ


「んじゃ、行くかぁ‼︎」

「「「おう!」」」

 金沢の一喝に応答し、俺たちは戦場へ足を踏み入れた。

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