黒蛇編
25_依頼
「やっと見つかった〜」
土曜日の早朝から僕はあるものを探していた。
『そういうのは前日に準備しておけよ』
「まさか僕と君の机の間に入っているなんてな」
僕が朝から探していたのは狩猟用の弓だ。学校側から貸し出しを受けることもできるのだが、こういうものは慣れ親しんだものの方がいい。一見同じような弓でも材木の性質や弦の張り具合で随分と使用感が変わる。
目当てのものを見つけると置いた記憶が蘇るのは何故だろう。もっと早く想起できていれば、楽に探し出せたはずなのに、と物が出てきた時にいつも考えてしまう。昨日の夜に状態を見てからここにしまっておいたのだった。
『おい、ヨスガ。急げよ。時間は迫っているんだぞ』
感慨に耽っていると蒼葉から声がかかった。顔を上げるとユウはすでに部屋の玄関口にいるのが目に入る。
今日は、「兎狩り」の日だ。寮の前で集合することになっている。元々、予定時刻の前に着く計画が、朝から弓探しをしたせいで予定時刻から少々遅れそうになっていた。
「遅れてごめん」
すでに僕ら以外は集まっていた。
村にいた頃は五人呼ぶと二人は遅れてくるのは当たり前だった。しかし、都市の住人は基本的に遅れてくることはない。時間に非常に厳格なのだ。村にいた時と感覚的に異なる時間の流れに僕は未だになれることができていなかった。
最も村にいたときも後手に回ってしまう癖はあったのだが。
「私たちが早く来てしまっただけよ」
「ってか、朝の時鐘鳴ってなかっただろ」
「…おはようユウ、ヨスガくん」
三人からの返答と時を同じくして時鐘が鳴った。それと共に建物に明かりが灯っていく。天誅の中心から響く鐘の音が都市の活気を呼び起こしているように感じられた。
「もうじき『
その声と共にナオトが頭の後ろに手を組みながら歩き出した。
「あまり急がなくてもいいわ。今は兎の依頼は山のようにあるはずだから」
「だが、割がいいのはすぐになくなると思う。特に金森商会が直接出しているやつとかは」
「金森さんの家のは報酬額も高めだし、猟区も広いよね」
するとクロエがピタリと止まる。次の瞬間、彼女は走り出した。
「私、金森家の依頼の用紙必ず手に入れてみせるわ」
そう言い残して行ってしまった。振り向いた顔には底知れぬやる気が感じられた。僕らが移動している時「そんなの知らないわよ」という嘆きが聞こえたような気がした。
同職組合の天誅支部に入ると中は人でごった返していた。玄関は交流場を兼ねており、朝から酒を飲む人、依頼の協力者を募る人、食堂に品を納品する人。実に色々な人の姿があった。
中でも驚いたのは掲示板の依頼書の取り合いであった。
依頼は誰でも受けることができる。依頼用紙を取ったもの勝ちだ。傭兵、ならず者、出稼ぎ…掲示板の前でより良いものを求めて、闘争が繰り広げられていた。罵声や怒号も時々聞こえ、少々治安が心配になった。
「こっちよ」
クロエの声が聞こえたような気がして、辺りを見回す。何度か同じ声が耳に入り、音源の特定に至る。部屋の隅で彼女は右手を大きく振っていた。左手には丸まった依頼書が握られていた。
「これ…金森商会のやつじゃないか」
ナオトは興奮を押し殺すようにして口にする。
希望の依頼書を手にすることが、どのくらい難しいことなのかは人混みと喧騒を見ていれば分かる。クロエもあの中に入って行ったのだろうか。
「私が頑張った…と言いたいところだけど、違うのよ。掲示板は地面まであるじゃない?あの中に入りたくなかったから、掲示板の端の方にいい依頼がないか探していたの」
クロエは未だに人垣が途絶えない掲示板前を人差し指で指しながら言った。
「まあ、いい依頼は平等に行き渡るように依頼板にまばらに散らされるからな」
ナオトが依頼文を読みながら、反応する。
「それでたまたま端の方にその依頼書があったのよ。私が読んだ限りだと別に特段変な…例えば極端に難易度が高いとかそんなこともなかったわ」
ナオト、チヅル、ユウとそれが周り、ついに僕の手元に来た。
依頼書 印『金森』 受領印( )
期間:
一泊二日(現地の別荘は自由に使ってもらって構わない)
報酬:
一人につき七十銅貨(七銀貨)
内容:
天誅南西部にある金森家の猟区内、兎の狩猟
春になり、兎も本格的に繁殖期を迎える。野放しにしていると個体数が大幅に増殖し、他の草食動物が死んでしまうかもしれない。また、貴重な農作物が食べられる危険性がある。よろしく頼む。
依頼文を見た皆は「なぜこれほどの依頼が誰の手にもついていなかったのか」を考えているようだった。その中でユウが胸の前で組んでいた腕を解いた。
「クロエの言った通りおかしなことはない。僕は正直、かなり良い部類だと思う。」
「でも、この『兎の討伐』ってやった証明ができない。ほら、一泊二日時間を潰してここで受領印を押してもうことだってできそうだよ」
僕はこの文書に狩猟した個体数、現地の確認などの依頼主に証明する方法が何一つ記載されていないことが引っかかってしまった。
「ヨスガ、それは信用の問題だ。流石に二日間やれば、一時的には数が減るだろ。依頼者側もそれは認識できるはずだ。それに」
ナオトの言葉をつなぐようにクロエが話し出す。
「それに、依頼が果たされていないと依頼主側が判断した時には職業連合の窓口に相談することができるのよ。それで受領した人を訴えられるわ。まあ、これを悪用する人も一定数いるのだけど…今回は金森からの依頼だから大丈夫そうね」
同職組合の仕組みを知ると僕の疑問は解消された。
それにしても都市機能には驚かされる。貨幣もそれの一つだ。辺境と違って流通がしっかりとなされているために価値が住民に浸透している。そのためにそれを使った取引が行われ、貨幣を管理する組織もある。
僕の住んでいた村は物々交換が主で、それは近くの街や行商人に使うものであった。取引に業者が関わることは少なく、個人間で行われることが多かったように思う。
「ヨスガくん、それ…」
僕が都市の凄さに感服していると、チズルは僕が手に持ったままになっていた依頼書を指さした。僕は彼女の方にそれを差し出す。しかし、それ自体を見たい訳ではないようで首を横に振る。
「裏に何か書いてあるよ」
「2」
言われるままに用紙を裏に返すと確かに左下に数字が書かれていた。
「…複数依頼を出しているのかもしれない。それが大きな問題になる訳でもないと思うけれど」
それ自体は珍しくないようであまり気にしている様子はなかった。ただナオトは「もしかしたら採集物で揉めるかもな」と零していた。
「もうそこまで行く馬車が来てしまうわ。行ってから考えましょう」
クロエはチヅルから紙を受け取り、依頼をしに窓口に行ってしまった。
「そんじゃ、俺らは先に乗り場に行ってるからな」
喧騒の中でもよく通るナオトの声にクロエが手を振るのが見えた。
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