17_出会い

 入寮日こそてんやわんやしていたもののその後は特段何もなく、入学式の四月七日を迎えた。

 しいて言えば、蒼葉が都市の散策から寮に帰る度に不機嫌になることだ。本人曰く、『人権が保障されていない』とのことだった。従者の振りをし続けるのは相当なストレスになるらしい。

「それ、やめろって何回目だよ!」

『毎度のごとく、起きないお前が全面的に悪い。それに今日は入学の日だろ。』

「……今、何時」

 一匹と一人の喧騒が寮内で響いた。



「いや、誰もいないじゃないか」

 本来なら遅刻のはずだが、大急ぎで支度を済ませた僕らを待っていたのは閑散とした教室だった。そこで鞄の中に入れていた入学式の予定が書かれている紙を取り出す。

 すると予定時刻は一時間ほど後に設定されていた。蒼葉は上級生の集合時刻と間違えていたらしい。生徒全体に同じ紙が配られるため両方書かれていたのだ。

「蒼葉、これ!どういうことだよ」

 僕は該当する項目を指差して蒼葉に迫る。この紙の通りならあと三十分くらい寝ていられたのだ。ギリギリでないのなら朝から甘噛みされることも無かったのではないか。

 ちなみに本気で噛まれると簡単に僕の頭蓋は跡形もなく砕け散る。狼の咬合力は人のそれに比べると異常なのだ。

 紙を凝視していた蒼葉ははぁと息をついてやれやれとでもいうように首を振る。

『人間でもミスの一つや二つするだろ。間に合ったんだからいいじゃねえか』

 蒼葉は気になるところの匂いを嗅ぎながら、教室のあちこちを歩き回っていた。

「僕はしばらく寝るからな」

 僕は椅子を引き、座ってから机に伏した。それから腕を枕がわりに寝ることに決めた。



「ちょっと」

「……」

「ちょっと」

「……」

「…ねぇ、って」

パチン

 僕は額から突然の痛みを感じ、意識を浮上させる。伏していた顔を上げると少女と目が合った。そのままの状態で五秒ほどが経過する。

「そろそろ始まるから、起きたほうがいいわ」

『そうだぞ。起きろ』

「っ!」

 僕は次第に眠気が覚めて物事が認識できるようになるのと同じくして我にかえった。恥ずかしさから彷徨う焦点を窓の外に固定する。

 すると視界の端に去ろうとした少女の肩がびくりと震えるのが映った。「ウソ…」と口元が動き、目を輝かせながらこちらに歩いてくる。すると姿勢を屈めて蒼葉と対面した。


「ねえ、この狼『物憑き』かしら」

 さっきの声が聞こえたようで内からやってくる興奮を隠しきれていないのが分かる。しかし、どうしてだろう。蒼葉が興奮して自然力が振れている状態ではないし、自然力の波長が彼女に似ているわけでもない。この人は相当な感知能力を備えている可能性がある。

「灰色狼の蒼葉。結構口悪いけど性分だから気にしないで」

 僕は周りに人がいないことを確認してから呟くように言った。まだ始業二十分前だから目の前の女の子を含め教室には人が少ない。

 僕の声から蒼葉の希少性を察したのか、その人もできる限り声を抑えて話し出した。

「珍しいわ。私、狼のは初めて見たもの」

 彼女は以前にも『物憑き』と会ったことがあるような口振りをする。気になってその声に視線を送ると慣れた様子で蒼葉の背中を撫でていた。

「動物、慣れてるの?」

「ええ…」

 問いと共に撫でていた手を止めて、歯切れの悪い言葉と共に上瞼が僅かに下がる。何か過去にあったのだろうか。しかし、初対面でそこまで踏み込むことは憚られた。



 定刻になった。中には危うく遅刻になりそうな人もいた。確かに側から見るとだらしがない。余裕がある人からはこう見えるのかと新しい発見になった。そして五分ほどが過ぎただろうか。担当の先生が中に入ってきた。

「騒いでる奴は…いないか、子供っぽくねえなあ、お前ら」

 ボサボサの頭に眠そうな顔、髭こそ剃ってはいるが身だしなみには興味がなさそうなその人が教卓に着く。先生の理想像とは正反対だった。天才と変人が時に同一のものとして映ることがあるという、それを地で行っているような印象が感じられた。

「なんか反応してくれよ、寂しいじゃんか」

 生徒を一瞥すると「真面目だなあ…」とため息を零す。それから明らかにつまらないものを見るように眉根を寄せた。その態度への嫌悪感を露わにした生徒の一人が席を立ち、抗議を開始した。

「しかし先生。今は大地ノ民との戦争中です。社会はわたしたちを戦力として欲しています。そんな中、指導者たる先生が呑気にしているのはどうかと私は愚考します」

 気持ちが昂った中でも礼儀を踏まえ、さらに反論を「愚考」とした形に収めている。ここまできれいなものはその場で意識してできるものではない。身に染みているからこそできるのだ。


…おそらく貢族こうぞくのどこかの倅だろう。


 こういう人たちの中で三年も生きていけるのだろうかと不安を覚えた。僕は田舎の中の田舎、東の端の村の出身。ほとんどが都市部生まれの優等生。この学校に行くと決断したのは僕だが、身分や価値観の違いを今更になって自覚させられる。

「はぁ……あのなあ、常に気を張っててもいいことないぞ。特に戦争は長期戦だ。戦場で寝ることだって珍しくない。戦闘時以外は気を抜いとくぐらいが丁度いいと思うけどな、俺は。お前みたいないつも精神を張り詰めているやつから死ぬんだぞ」

 気づくと教室の雰囲気は先生から発された剣呑なものに飲み込まれていた。告げられた生徒は口元を戦慄かせ、わずかな抵抗なのか歯軋りをしてから席についた。僕が思考に耽っている時も続いていたとすると相当な不満を押し殺していることだろう。他にも苦い顔をしている生徒が多数見受けられる。

 しかし、僕は不思議とその弁論に違和感を感じなかった。瞬間、古い記憶が脳の奥でチリリと走った。傭兵の師匠が僕の住んでいる村から出て行く時の言葉が脳裏に浮かんだ。


 「縁、人って死ぬ時は死ぬんだ。戦場か病気か事故かそれ以外でもあるだろうな。だから、後悔が残らない死に方を考えなくちゃならない。縁、お前はどうやって死にたい?」


 生き方ではなく死に方を問われた僕はこの時なにも答えられなかった。けれど、そんな僕を見て師匠は笑いながら続けた。

 「まあ、わかんなかったら力抜くとこ抜いて、入れるとこ入れる。そんだけ考えときゃ死にゃあしねえよ」と。

 担任の先生には師匠に通ずるところがあるように感じられた。


「そんじゃ改めて自己紹介。俺はカイト。このクラスの生徒を生き延びさせるのが俺の役割だ。一年間よろしくな」


 鬱々とした空気が拭えないまま、カイト先生は淡々と入学式と今日の日程の連絡を行った。

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