16_入寮
僕らはハクに言われたように城門から西方に進んでいた。中心地を抜けて住宅地に足を踏み入れる。朝、碌に荷物の確認をしなかったことが災いして
「…はあ。今日は災難だ。誰だよ、朝寝坊したやつ…」
随分と走った疲労も蓄積していて足が非常に重たい。さらに睡魔までやってくる。
『…お前だ。ばーか。…道、あってんのかよ』
蒼葉がそれに応じる。心なしか声にいつもより力が篭っていない。おそらく蒼葉も相当に疲れているのだろう。すると閑静な住宅街から離れたところにポツンと立つ大きな建物が見えた。
「あってるっぽいよ」
そういってまだここからは少し距離のありそうなその建物を項垂れる蒼葉に指し示した。
「お帰りなさい。…おや、誰かしら?」
寮の門をくぐりと道を掃除している人に話しかけられる。
「きょ、今日、入寮予定の栗野縁です。あと灰色狼の蒼葉です」
僕は軽く会釈をしてから、自己紹介をした。
「…珍しいねえ、森人さんかい」
身につけているものからそう読み取ったのだろう。灰色の無地の長袖に黒いズボン、それに茶色の皮コート。全体的に質素な見た目だ。
「そうですね。まあ、田舎育ちです」
地に伏す狼を見てほんの少し驚かれたようだが、丸眼鏡をしたその人は「ちょっと待っててね。名簿を見てくるからね」といって箒を持ったまま建物の中に入っていった。
『…なあ。まだ黙ってなきゃダメか』
「当たり前だ。師匠にも言われてるだろ。お前みたいに喋れる獣は珍しいって」
少なくとも学校への入学式が終わって、中央魔術学院の庇護下に正式に置かれてからにした方がいいらしい。蒼葉が「喋る」といっているそれは正確に言語化すると自然力を念に変換し、脳に直接飛ばすという過程を踏んでいる。要は魔術の一種なのだ。魔術の使える獣は「物憑き」と呼ばれて高い値段で売れる。
動物は調教すれば言うことを聞く。それによって実質的に個体ごとに突出した五感の一部を手に入れることができる。だから、それが露見すると攫われるリスクが付くようになるのだ。
しかし、僕が魔術中央学院生である時は少し話が変わる。仮に攫われたとしても学校の所有物を奪ったこととなり、学院側がことに関われることになっている。学院の先生は世界屈指の魔術師、生徒に至っても化け物揃いらしい。そのため、それが抑止力として働く。だから、まだ蒼葉は大っぴらに喋らない方がいい。
「はいはい、縁君に蒼葉ちゃん、ね。確認できましたよ」
いつの間にか名簿を確認し終えたおばあちゃんがこちらに戻ってきた。しかし、「ありがとうございます」といって通り過ぎようとした時コートの襟首を掴まれる。
「そのままで室内に入るつもりですか。自分をよく見てみんさい」
寮の玄関口からの薄明かりを頼りに全身を見る。すると先ほどまで暗くてわからなかったが、裾にかなりの量の泥が跳ねていた。蒼葉の足も少々黒くなっている。
「縁君、魔術の適性は」
「……水です」
少し口篭ってからそう答える。視線を下に向けると蒼葉が欠伸をしていた。
「そうかい。なら、ちょうどいいねえ。寮の裏で汚れを落としてきてから上がりんさい」
その人は僕らに手を振りながらスタスタと玄関口に歩いていって、屋内に入った。
「夕食温めておくから、早めにねえ」
寮の裏に回ろうかという時、その人は僕らに聞こえるように声をかけた。振り返ると戸口からその人の顔だけが見えた。
『なあ、いいのかヨスガ』
「何が」
『さっきのだよ。お前、魔術なんて使えないだろ』
「仕方がないだろ。まだ蒼葉が『物憑き』なのバレるわけにはいかないんだから」
そんな雑談をしながら、人一人通れるくらいの狭い通路を進む。道なりに行くと、急に拓けた場所に出る。おそらく、ここが寮の裏手だろう。
「蒼葉、水頼めるか」
『あいよ』
瞬間、蒼葉の体を中心に無数の光源が生まれる。それが集積して球の形をとり、水として現界する。水の玉が少しばかり畝り、それに写る空間が歪んだかと思うと細かい水飛沫となって霧散する。 ——僕らの服に水を浸透させたのだ。
服についた泥と水が混合して黒くなった水が再度、蒼葉の意思によって球となり集まる。
『ここ、土だからそのままポイでいいよな』
「…大丈夫だと思うよ。じゃないとさっき『裏で泥落としてこい』なんて言わないんじゃないかなあ」
『んじゃ、まあいいか』
多少、不安になる僕をよそに蒼葉が水の支配を解きそれは重力に従って下に落ちる。それによって水溜まりが形成される。
『ほっときゃ、朝には乾くだろ』
蒼葉はあっけらかんとした台詞を吐きながら、寮の正門の方へ戻っていく。
幸い、この後何を言われるわけもなく食堂に案内され、ご飯を食べた。
やはり、この首都『天誅』もしくはその他の大都市にあたる『
僕は今、先ほどから案内を受けている老婆と向かい合って座っている。食事中にいくらか会話をした時にここの寮母さんだとわかった。この学校の寮母は単に寮の管理をするだけでなく都市が襲撃された際に寮生を守る役割もある。つまるところ、魔術に長けた人であるのだ。
魔術師というのは強ければ強いほど感覚的にわかるものなのだが、この人については全くわからない。気取られないように自然力の発散を抑制しているのか。それとも感知能力を無力化する領域を張っているのか。あるいは僕が想像し得ないことをなしている可能性も…。
底の見えない寮母さんに僕は少しばかり疑り深くなっていた。
「全然、箸が進まないねえ。お一人さんだから結構凝ってみたのだけど。私が数を間違えてしまってねえ。あなたのは後から作ったのよ」
考えながら食べていたせいか食事があまり進んでいなかったらしく、ゆっくりと声をかけられる。考え事が先行して味まで気が回っていなかったのだが煮魚、ほうれん草のお浸し、野菜の煮物…確かに出汁が効いていて美味しい。しかも魚だ。食感を味わっていなかったのを後悔する。
魚はなかなか食べられるものではない。西方の都市でしか取れないため、東側に行くほど値段が高騰する。東の村出身の僕からすると物凄いご馳走だった。
「すいません。ちょっと考え事してて」
「やっぱり、私のことが気いになるかい」
瞬間、脈が速くなるのを意識する。寮母さんの鋭くなった目に僕の思考が射抜かれているような感覚に襲われる。しかし、それも一瞬で元の瞼が垂れ下がっている様子に戻り「なんてね、こんな老婆が気いになる若者はおらんよ」と言って席を立った。
「あ、そうそう。縁君は男の子だから玄関口から右に曲がった方の建物だからねえ。間違っても左に入るんじゃないよ。入ったら、反省文だよ。号室は玄関口に張ってあるから後で見てねえ」
食堂の入り口付近で僕に言葉を残して寮母さんは出て行った。
僕らは受付の人に部屋の鍵をもらい、割り当てられた号室を探していた。
「一…の十五、一の十五。あった」
部屋は二人一部屋だ。しかし、相部屋の人の入寮日までは広い部屋を独り占めできる。
僕は大浴場で入浴を済ました後、一日の疲れがドッときたのかひどい眠気に襲われた。それに抵抗しながらも自室も戻り布団を敷いた。
やっと、やっとだ。ここまできた。僕は興奮を噛み締める。
小学生のとき、魔術が思うように使えず諦めた『王国騎士になる』という夢が現実味を帯びてきたことを実感する。
師匠がいなければ、ここまで来ることはできなかったはずだ。
疲労がかなりあるのか、抗い難い睡魔が群れをなしてやってくる。僕は、それに身を委ねるようにしてその日は眠りについた。
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