第21話 本当の旅立ち

 馬車に大きな樽が運び込まれる。重そうな大きな袋も積み込まれ、馬車の両脇にも樽が括りつけられ、馬車の屋根にも荷物が積まれる。

「すごい荷物ですね」と姫巫女装束の俺が言えば、「馬車の旅支度としては少ない方ですよ」と勇者装束の姫様が言った。

「黒鉄の馬を使えるので馬の餌を持たなくていい。聖泉石があるので水を持たなくてもいい。それだけでもかなり荷物が減るのです」

「姫様。王妃様の指無し手袋と、左手のお守りと絵具をお持ちしました」

 マイアさんが白いレース生地を畳んだものと、小さめのコンビニ弁当くらいの大きさの宝石がちりばめられた箱を勇者姫様に差し出す。

「あったか。よかった」

 姫様はまず、レース生地を手に取って広げた。広げられたのは、ホームベース型の透け感のあるレースの生地が2枚

「ユウキ様、手袋を外して、手をお貸しください」

 言われるままに手袋を脱いで左手を出せば、姫様はホームベース型の生地のとんがり部分についている糸のループを俺の中指に通した。レース生地を手の甲側に回して、手の甲と手首を包むように掌側で生地の四隅についている白蝶貝のボタンと糸ループを止める。

「ん? ぴったりだな。直してくれたのか?」

姫様がマイアさんを振り向くのに、「ユウキ様の寸法は把握しておりますので」とマイアさんはすました顔で言った。

 両手の甲から手首の先までを大きな花があしらわれたレースが飾る。

 これ、一穂いちほが結婚式のときにつけてた、フィンガーレスグローブだ。あれは、肘まであるロングタイプだったけど。

「食事のときにも手を優雅に見せる指無し手袋です。これから先、領主から宴席に招かれることもあります。歓迎の宴と、使徒討伐後の祝宴は、その後に補給の便を図ってもらうためにも避けられません。そういう席に行く前に着けてください」

「いいですね。花の柄が目を引くぶん手は華奢に見えます」

顔を上げると、姫様は宝石がちりばめられ、銀で象嵌された、とても高価そうな箱をマイアさんから受け取っていた。

「それは?」

「魔術を練習するのに必要なものです」

 姫様は柔らかい目で箱を撫でながら言うと、ふとマイアさんを振り向いた。

「これでは人目を引きすぎるな。中身が入るくらいの袋を持って来てくれ」

「はい」と返事をしたマイアさんは、すぐに小金の袋くらいの巾着袋を持って戻ってきた。

 姫様は箱の中身をその袋に移し、そばにいた侍女に「ジェイド殿に渡してくれ」と預けてから、宝石の光る綺麗な箱の蓋を閉じた。

「子供の頃は、お前がこれを持って来るのが待ち遠しかったな。『次はどんな魔術を練習するんだろう?』と胸を高鳴らせて待っていたものだ」

「姫様は魔術の覚えが早うございましたから、教える方も楽しゅうございましたよ」

 マイアさんが言う。

 元・姫様の母親である王妃様付きの侍女で、姫様の養育係を経て、今は姫様の筆頭侍女――マイアさんは姫様にとっては、子供の頃からずっとそばにいてくれた人ということなんだろう。

「マイア。これをお前に」

 姫様は宝石箱と言っても通用しそうなその箱を、マイアさんに差し出した。

「これは、王妃様よりいただいたものではないですか!」

 驚くマイアさんの手をとり、姫様はその手に美しく彩られた箱を握らせた。

「だからだ。母上と私、二人に仕えたお前だからこそ、これを受け取って欲しい」

 姫様は目を細めて笑った。

「私にはもう、必要がないものだからな」

「姫様……」

 箱を両手で持ちながら、マイアさんが目を見開く。

「魔女を倒したら、私は……」

 それ以上は言わず、姫様は箱ごとマイアさんを抱き締めた。

「長生きしろよ。お前が死ぬまで魔女が復活することがないように、きっちり倒してきてやるからな」

「魔女を倒すことより、生き延びることを優先してくださいませ。人間、生きていてこそです」

「私は勇者だ。そうもいかんさ。皆のために、刺し違えても魔女を倒すのが役割だ」

「そんなこと……! そんなことは、普段偉そうな顔で威張り腐っている男どもにやらせれば……」

「マイア」

 姫様の言葉に、マイアさんは口を閉じた。

 姫様はマイアさんの肩に両手を置き、自分よりも小さな体のマイアさんの顔を覗き込んだ。

「男も女も関係ない。私は勇者だから行く。それだけだ」

 きっぱりとそう言う。

 マイアさんは箱を抱き締めたままうつむいて肩を震わせた。

 しばしの沈黙の後、絞り出すようにマイアさんは「たとえ」と口を開いた。

「たとえどれほど遠く離れても……わたくしは姫様が生きて……生きて、幸せになることを、心より祈っております……」

「わかっているよ」

 姫様はそう言って、もう一度マイアさんを抱き締めた。

 その声はとても優しげだった。

 


「勇者が……魔女と刺し違えて死んだことがあるんですか?」

 見送るマイアさんたちの姿が、開け放った馬車後部の扉から見えなくなった頃、観音開きの扉を閉めた姫様に、俺は聞いてみた。

「ありません」

 きっぱりと言って、姫様は「ですよね? ジェイド」とジェイドさんに話を振った。

「さよう相違ございません。勇者は魔女を倒したのち、黒鉄の馬を駆って王都に凱旋します。その際に、後の勇者と姫巫女のために、神殿神官による聞き取り調査がなされますが、『問答無用で攻撃してくる魔女を切り捨てた』等の、極めて簡単な内容しか記録に残っておりません。勇者は魔女に対して圧倒的な強さを発揮するようですな」

「安心していただけましたか?」

 俺の向かいの席に戻り、姫様は綺麗に綺麗に笑った。

「はい」と返事をしながら、俺は何か納得できなかった。

 じゃあ、何で、あんなやり取りを、姫様とマイアさんはしたんだ?

 まるで、もう二度と会えないと思ってるような――。

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