二十四

 激しい耳鳴りに襲われながら、ライカはどうにか立ち上がる。

 二つの爆発に見舞われて燻り、黒く焦げ付いた怪物がついに倒れた。近寄り、その死を確認したのちに呆然と立ち尽くす。

 後ろでは咳き込みながら立ち上がる物音が聞こえる。

「何をした。ライカ」

 誰かが喋った。よく聞き覚えのある太い声だ。ゴーグルを外し、声のした方を向いて答える。

「爆薬を使った。崩落するかもしれないから逃げた方がいい」

 爆薬が劣化していたせいか、崩落までの爆発には至って居ない。しかしそれも時間の問題かも知れない。天井からは細かい砂塵が降っている。

「そうじゃない。あの子を撃ったんだな?」

 視線を落とす。背中を血で染めた子供が倒れている。

「感染してた。錯乱して逃げようとしたから撃った」

 撃たれる直前までのレージィの行動は間違いなく、変異の兆候を示していた。

「だからって」

 フィードは食い下がる。彼に何が分かると言うのか。状況も、知識も、何も分からない他人の癖に。

「あの子を町に帰して、また七年前と同じことをするの?」

 感染した者を町に入れる事、その恐怖を知らないとは言わせない。

「まだ何か手があったのかもしれない!」

 いつに無くフィードは厳しい目をこちらに向けている。そんな手があれば、とっくにこちらで試しているというのに。

「今その手は無いよ。多分、アイゼン先生でも同じ事をしたと思う」

「違う。あの人はそんな事をしない!」

 もう少し物分かりが良い人間だと思っていたが、フィードは否定、と言うよりは拒否を何度も繰り返す。

 また、彼が口を開く。

「それに、お前にそんな事をして欲しくはなかった」

 その言葉を聞き、ライカは深く息を吐く。暗く、混濁した思いに火が灯る。

「あなたは」

 なんて身勝手な希望だろう。自分の好いた者に、自分の正しさを押し付ける。

 ずっと、彼に抱いていた違和感に、ようやく気付いた。

「私に、何を求めたの? どうあって欲しかったの?」

 身体の芯から怒りと言葉が込み上げる。しかし激しさは無い。ライカのその顔は、この上無く『悪い』微笑みを作ってフィードに投げかける。

「私に、何をして欲しかったの?」

 紅い瞳で、彼を見据える。

 理解してくれと、頼んだ覚えは無い。正しくあれと、言われる筋合いも無い。

 ただ、果たすべき事を果たしただけ。その彼女に、これ以上何を求めるのだろう。

 向かい合う二人の間に初めて、見えなかった断絶が見えた気がした。

「おい!」

 フィードの後ろでのそのそと起き上がっていたアイラが叫び、ライカは背後の物体が動くのを感じた。

 振り返った先では、死んだ筈の怪物が、這いつくばったまま爪を突き上げようとしていた。

 咄嗟に身体を捻ったおかげで狙いは逸れたものの、太い爪の一本がライカの横腹を外套越しに突き、裂いた。

「この……っ!」

 ライカは怪物の頭に弾丸を撃ち込む。

 額は落ちた果実のように割れ、剥き出しになった脳から血が脈打ちながら溢れ出る。

 ライフルを跳ね上げてレバーを上下させ、弾薬を送り込む。

 続けてもう一発。得体の知れない体液が飛散する。

 三発目、また頭を撃つ。頭蓋骨が弾ける。

 反動を受け止める度に脇腹から血が滲み出るが構いはしない。残った弾丸を全て、父の成れの果てへ叩きつける。

「貸して」

 ライカは慌てて加勢に来たフィードの銃を奪い取り、代わりに自分の銃を押し付ける。

 そのまま、引き金を引く。重い銃に、重い反動。ボルトを引いて、押し込む。もう自分が何をしているのかも分からない。何も聞こえない。

 何度も死体を撃つ。フィードの銃の弾も切れる頃、糸が切れたかのようにライカはへたり込んだ。

 そんな彼女を、伸ばされた太い腕が掴んで引っ張る。

「崩れる!」

 フィードが彼女を抱き抱える。彼の服が、血で染まる。

 大小様々な石が視界の中に降り注ぐ。やっと崩落が始まった。

「アイラ! 子供と彼女の荷物を!」

 彼が叫ぶ。走るその腕は暖かい。失われてゆく血と引き換えに、その温もりをライカは噛み締める。


 崩落は、怪物が居た辺りを呑み込んで収まった。想定以上に硬い土だ。無駄に数百年残り続けた空洞ではないらしいが、油断はできない

腕の中で、ライカは絶え絶えの声をあげる。。

「滞留しているメタンガスなんかに引火してまた崩れるかも知れない。だから、私を置いて先に逃げて」

「ふざけるな。一緒に帰るんだ」

 フィードはそれを一蹴して走る。

「この傷で町まで? 持つ訳無いよ」

 腹膜まで破れ、腸も傷付いているかも知れない大きな傷だ。加えて既にかなりの量の血を失っている。この状態では十分と持たない。

「それに、分かってるよね。あいつらに怪我させられるとどうなるか」

 先程レージィに何が起こったのかを、知らない訳では無いだろう。それでもフィードは彼女を捨てて行かない。

「うるさい、アイゼン先生が外に居る。そこまで行くんだ」

「なんで」

 何故そこまでするのか。恋人でも家族でもない人間に。

 その答えは、すぐに彼の口からもたらされた。

「お前に、生きていて欲しいから」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。やがてその言葉は噛み砕かれて理解される。

 死なないで欲しいと、口にするのは容易い。だがこうして行動を伴われると、逃げ場が無くなってしまう。

 泣き出しそうになる。それでも、弱みは見せたくない。

「生きて、どうなるの」

 ライカは彼に、聞いてみる。

「今は分からなくても、明日になれば分かるかも知れない。だから生きるんだよ」

 その答えは下らない、先延ばしの理屈。

「子供みたいだね」

「何でもかんでも分かった振りをして、何も出来なくなるよりは良いさ」

 馬鹿馬鹿しい。普段の彼女なら笑って聞き流す言葉が、どうにも傷に響いて仕方ない。だったら、そんな希望に縋ってみるのも悪くはないのかも知れない。

 ライカは途切れそうな意識の中、必死に堪えて言葉を絞り出す。

「このまま動いても出血で死ぬ。だから、まずこっちで勝手に処置をする。あなた達は先生を呼んできて、担架でも持ってきてくれればそれで良い」

 フィードが立ち止まる。

「それで良いんだな」

「医者の言うことは聞いた方が良いよ。誰も死なせたくないんなら」

 まずは傷を塞がないと始まらない。失血も怖いが、腹腔内に血や消化管の内容物が溜まっている可能性もある。加えてこの不衛生な場所。例の病気だけでは無い、別の変なものが身体に入って化膿してしまえば助かるものも助からない。

 フィードは少し考えてからライカをそっと床に下ろし、壁に背を預け、少しでも楽に手を動かせるようにする。

 アイラを呼び止め、ライカの背嚢を受け取った。中には処置の為の道具が詰まっている。

 息も絶え絶えにそれに手を伸ばすライカを抑え、フィードは包帯や小箱、瓶を出して彼女の手元に置いてやる。

「俺もここに居る。アイラ、行って先生を呼んできてくれ」

 フィードはライカの正面に腰を下ろし、ランタンを置いた。

 アイラは頷き、自分のランタンとレージィの死体を抱えて走ってゆく。

「これくらいは良いだろ」

「ありがとう」

 先程レージィにやった通り、傷口を洗浄、消毒して糸で縛らなければ。と言うよりは、ここではそれしか出来る事が無い。加えるなら上から包帯を巻いてやるぐらいか。

 短時間で似たような状況になってしまった。違いは、自分で自分を処置しなければない事。

「ごめん、服を切るの、手伝って」

 外套を脱いだ後フィードに鋏を手渡し、黒いインナーシャツを切って貰って横腹の患部を露出させる。

 脂肪が少なく細い身体だが、傷はまだ手の付けようが無い程には開いていない。直撃を避けた瞬間の判断と、兄の形見の外套のおかげだろうか。

 蒸留水を使い切って傷全体を洗い流す。中に残ればこれも炎症の元になるが仕方ない。その後でアルコールで患部の表皮部分のみを拭いてやる。

 次に裂けた腹膜と、その上の肉を縫い合わす。内臓の感触が近い。膜を引っ張って結紮する。

 そして体全体を捻り、傷口を狭めて鉗子で固定する。今は一針ずつ糸を結ぶ時間も無い。編み物のように一気に内側の肉を縛って無理矢理繋ぐ。

 当然、痛みは尋常では無い。気が狂いそうな刺激に、脳が何度も悲鳴を上げる。

 意識が遠のく。誰かが呼ぶ声がする。まだ表皮部分は開いたままで、処置は完了していない。

 手が触れる。暖かい、大きな何かが彼女を掴んだ。

 自分での施術というものがここまで困難なものとは思いもしなかった。酷い痛み、見え辛く触り難い患部、暗い上にぼやける視界。その全てが彼女の邪魔をする。

 深い眠りに落ちてゆくような感覚。同時に、痛みが引いてゆく。

 これが死ぬという事なのだろうか。

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