二十一
弾を詰めたライカは、レージィを部屋へ呼び戻して怪物を見る。彼は未だ佇むそれに対する疑問をライカに投げかける。
「待ってくれているのか?」
ただの獣というには大人しく、人間めいた振る舞いをする。
あれが望むのは、正々堂々の勝負というものだろうか。
「多分ね。でも、付き合ってやる義理は無い」
ライカの返答は冷淡だ。ほんの僅かにでもあれに父の意識が残っていたとして、そんなものは最早彼女に何の関係も無い。あれはもう父では無いのだから。
それにあくまでこれは『狩り』だ。互いの意志と意志、力と力をぶつけ合う『戦い』などという趣味の悪い行いとは、根本から異なる。
「ここから撃ちまくるよ」
あれがこちらに突っ込んでくるには、あの巨体で並ぶ石柱の隙間を通り、部屋の入り口が設けられた石壁を壊す必要がある。これらを突破されるまでに、ありったけの弾を叩き込む。
ライカはゴーグルをかけ、射撃体制を取る。
まず一発、一番狙いやすい胴を撃ってみる。着弾した。怪物は呻き、こちらを睨み付ける。
「効いてるのか?」
「問題無い。貴方も撃ってみて」
恐る恐る、レージィが怪物へ発砲し、およそ見当違いな場所に着弾する。産まれて初めて感じる銃の反動と、至近距離で起こる銃声による耳鳴りに戸惑っているようだ。
「落ち着いて狙いな」
静かに声をかけてやる。最初から当てられるなどとは思っていない。
怪物は咆哮を上げ、体勢を変えた。こちらへ突っ込んでくるつもりだ。
再びライフルで狙い、脚に当たる。
姿勢を崩して頭から硬い石畳に倒れ込み、それがまた大きな隙となる。
「怒るかな」
「ここまでされたらそりゃあ、ね」
生前は誇り高い人だった。もしその彼があの中に少しでも残っているのなら、この上無い屈辱だろう。
レージィの二発目が当たった。鹿撃ち用の散弾が、肩の肉に無数の穴を空ける。
「悪くない」
散弾の小さな鉛玉では身体の表面を傷付けるのがやっとだ。だがそのずたずたの表皮からなら、こちらのライフルに詰めた弾はよく染みるだろう。
レージィが渡しておいた弾を詰めている間、ライカは射撃を続ける。次の一発が散弾に付けられた傷跡に吸い込まれ、一際大きく叫んだ。
構わずに連射し、発砲音と甲高い操作音が響き続ける。いつもとは違う弾のせいで狙いと着弾のずれが若干起こるものの、要は当たりさえすればいい。
「大きい的だな」
装填した強装弾を含めた弾倉の十発全てを撃ち込んだ。鉛の雨というやつだ。
かつて見た父の姿。その記憶を歪に塗り替えて、彼はそこに跪いている。
それでもまだ倒れる気配を見せない。それどころか射撃が無くなったおかげでようやく立ち上がり、こちらへと向き直った。ここからが本番だ。
「もう次は間に合わない。あれの準備をして」
弾を込めようとするレージィを制し、二人はまた部屋の中へと退く。
やがてついに、それが動き始めた。手足のそれぞれの長さは釣り合わず、それらがまるで赤子の駄々のように振り回されている。しかしその速度は大型の肉食獣のものだ。
その姿に、人間であった頃の面影などもはや欠片も残らない。異形が重さを伴ってこちらに突進する。
「よし、じゃあやるよ」
「ああ」
二人は先に示し合わせた通り、小部屋で待つ。背嚢と鞄は身につけて、すぐにここを離れる準備は出来ている。
他人と共に狩りをするのは初めてだが、存外に良いものだとライカは感じた。連帯感などという浮ついたものでは無い。再装填の隙、索敵、射線の確保といった一人ではどうしようも無い部分で痒い所に手が届く。その分だけ精神的な余裕が作れるという、戦術的な利点だ。
この二人でなら出来る策も、利点の一つ。
怪物が加速する。石柱を掠め、二人の目の前に迫る。
入り口が空けられた壁のすぐ向こうに到達した時、網の端を掴んで部屋の横幅いっぱいに離れた二人は顔を合わせる。
「三、二、一、今っ!」
ライカの掛け声と同時に、壁が破られて大小様々な瓦礫が二人へ叩きつけられる。それにどうにか耐えながら、二人は網を持ち上げる。
時間が止まるような一瞬。手が触れるような距離をあの怪物が通り過ぎる。そしてそれが掲げられた網へと飛び込む。
「手を離して!」
叫ぶ。あの重みを受け止めた網を掴んだまま巻き込まれれば、脱臼どころでは済まない。
怪物は自分から網にかかりに来た。暴れれば暴れる程に絡まるそれに身動きが取れなくなる。
それを確認し、ライカは手にしたマッチを箱で擦って投げる。
上手く網に引火した。染み込んだランタンオイルを伝い、炎は瞬く間に広がる。
やがて太い体毛に燃え移り、怪物の全身を焼いてゆく。
「貴方が何のためにここに籠っていたのかは知らないし、私たちを誘い込んだ理由も知らない」
燃え盛る異形にライカは淡々と語りかけながら、弾丸を一つ一つ装填し直して後に金属音を響かせる。
「子供達を餌に、私をここへ呼び込もうとした? それとも、私と正面から戦いたかった?」
一発撃ち、排莢する。薬室から白煙が上った。
剥き出しになった皮下組織や筋肉を直接焼かれるのはさぞかし痛いだろう。怪物はただ喚き散らしらながら高温に苦しむ。当然だ、炎に巻かれて無事な生物など居てたまるか。
「悪いけど、そこまでお人好しには育ってない。私は、私がただ貴方を殺したいからここに来ただけ」
言葉を理解しているとは思っていない。それでも、彼女はそう伝えずにはいられない。
また引き金を引いて、レバーを動かす。残弾は四。
「まだ起き上がるぞ!」
レージィが悲鳴のように叫ぶ。
「薬はまだ効かないか」
これだけ撃ち込んでも、燃やしても死なない。あの事件の時よりも更に強い、異常な生命力。なるほど、古代人共が必死に研究した訳だ。
それはともかく、ここで打てる手は尽くした。次の手と場を考えなくては。
「一旦逃げるよ」
側のレージィに声を掛ける。目は血走り、暑くもないのに額からは汗が流れている。
「逃げる!? どこに!」
「他の道は全部行き止まり、そのうち追い詰められる。だったら、元来た道を引き返すしかない。あっちの道は入り組んでるから、最悪撒く事だって出来る」
「でも狼が居るぞ!」
「こいつよりかは楽だ。突っ切ればいいんだから。それに、手はまだある!」
最後の頼みは、フラントに持たされた爆薬だ。威力も、今も使えるかも知らないが、これであの怪物を生き埋めにしてやる事が出来るかも知れない。
二人は崩れた壁を踏んで小部屋を脱し、元来た道へ走る。
しかし、何を思ったのかレージィは最後の一発をくれてやろうとしている。
「おい、逃げるって言っただろ!」
ライカは叫び、促す。しかし一瞬見えた彼の横顔にあったのは、昏い憎悪。
そこに、かつての自分の姿を重ねてしまう。
「うわっ!」
しかし異常な瞬発力で燻る炎と共に起き上がったそれは、すぐに加速してレージィに迫る。
危機を認識して足を動かす頃にはもう遅い。爪で身を守った怪物に、彼は突き飛ばされた。
「ぐっ」
情けない声を上げてレージィは床を転がり、散弾銃はその手を離れた。
「この、使えない!」
先を走っていたライカは引き返し、その肩を担いてやる。
「ほら、行くよ!」
頬を叩く。反応が悪い、軽く脳震盪を起こしている様子だ。
怪物が炎を消そうと悶えた。その隙に、暗闇へと駆け込んだ。
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