二十
「遅いぞ! 走れ!」
詰所を離れたフィードとフィンカ、その他二名は湖に沿って旧メーアバウム邸への道を抜けて更に森を走る。
低木などは少なく今日は天気も悪くはない。視界は良いが、腐葉土や泥炭に足を取られるため移動には体力を使う。
「速過ぎる! 犬に着いていける訳が無いでしょうよ!」
ライフルを担いでもたもたと走る部下が、息も絶え絶えに叫ぶ。見ると、その贅肉が走るのを邪魔している。日頃の訓練を疎かにした結果だ。
一方でフィンカは、彼らとは正反対によく走る。日頃詰所で大人しく寝ている分の脚力をここで発揮しているかのようだ。先へ先へとアイゼン達の臭いを辿り、立ち止まってはまだ来ないのかと急かして来る。
そのフィンカが、一層速度を上げた。
「居た!」
駆ける先に、詰襟姿のアイゼンが見えた。
速度の乗った大型犬が彼の胸に飛び込み、痩せた身体が後方へ勢いよく倒れる。
「よしよし、元気しとったか」
地面に身体を打ちつけて頬を舐め回されながら、アイゼンはフィンカの全身を撫でる。
「フィンカ」
追いついたフィードが呼ぶと、フィンカは即座に彼の元へ戻って座った。
「先生。ライカは見ましたか」
場所はメーアバウムの屋敷からかなり東、山岳から流れてくる川に近付いている。この辺りにあるのは大昔の砦の跡だけの筈だ。
「いや、見てへんなあ。ただ、狐か狼の足跡は見た。何かを引きずった跡もちょいちょい残っとる」
先のライカからの情報を考えるに、恐らく狼だ。アイラとハリーが受けた忠告は正しかったらしい。
「彼女が子供や敵の場所を知っていて、先行している可能性があります」
「嘘やろ? どこ?」
「古い地下坑道です」
「地下って、ええっと、ああ! 思い出したわ、だいぶ昔に聞いた事あったわそんなもん!」
アイゼンは汗ばんだ自らの頭をぱちんと叩く。
やはりそこは、誰にとってもその程度の知識しか無い忘れ去られた場所のようだ。
「隊長は入り口に心当たりがあるみたいで、聞き込みの後で馬に乗って来て合流すると思います。それとは別の線として、俺たちはフィンカに先導させて探そうと思います」
この為に、先日ライカに借りた厚い本をわざわざ持ってきた。フィードにも分かるくらいには彼女の香りを纏っているものだ。
それをフィンカに嗅がせると、また一直線に走り出す。
「よっしゃ、頼むぞフィンカ! 見つけたら後でええ肉食わせたるからな!」
上機嫌なアイゼンの声が、静かな森に響く。
「また塩辛いの食べさせちゃ駄目ですからね!」
「アホか! 医者がええ言うたらええねん!」
フィードの提言は雑に押さえつけられた。横暴な言い方だが、嫌な説得力がある。フィードは納得しかけ、慌てて首を振ってまた走る。
「なんやアレ、仰山おるなあ」
一行は立ち止まり、東の高台に見える城址を偵察していた。木陰から双眼鏡を覗くアイゼンが訝しげに呟く。
狼の群れを見つけた。数は五から六。下手をすれば今居る部隊の頭数より多くなるかもしれない。そのどれもが眠らずに辺りを見ている。寝床での休息ではなく、来る外敵に備えた警戒だ。
そこでフィードはようやく、ある違和感に気付く。
「狼が『追う』事はあっても『護ってる』ってどういう事だろう」
狼の狩りは普通、動物を長時間追い、弱った所で捕まえるというものだ。今のように待ち伏せの体制を取っているのは珍しい。
自分達の子供でも匿っているのか。それとも捕まえた獲物を逃すまい、取られるまいとしての行動だろうか。
「分からん。俺は動物の専門家やない」
アイゼンは首を振る。他の隊員に聞いても分からないと言う。
そうして対応を考えていると、馬の蹄の音が近付いて来た。ラゼルが追いついて来たようだ。
「お疲れ様です。合流したという事はやっぱり、ここですかね」
大小様々に荷物を負わせた馬を停めたラゼルの顔を見ると、左の頬が青く腫れている。余程良い拳を貰ったと見える。宣言通り、フラントから『殴ってでも』情報を得てここに来たらしい。
「何かあったのか」
「あれ見てください」
フィードが双眼鏡をラゼルに手渡し、城址の様子を見せる。彼は一言驚嘆を発し、それを返す。
「あの偏屈爺様曰く、まあ間違い無く嬢ちゃんはあそこに入っていったらしい。だったら俺らもとっとと城跡を制圧して、地下の入り口を探さんといかんな」
ラゼルは思惟を巡らせている。この場での指揮権は彼にある。その面持ちの中に、七年前の失態を繰り返すまいという強い意思が見えた。
「あの子、あの群れの中を抜けよったんか?」
「あるいは入っていってから『偶々』出口を塞ぐ形で居座られたか、ですかね」
「そんな事あるもんかね。恐らく、まだ入って二時間も経ってない。偶然にしちゃあ出来過ぎだ」
ならあの狼達は、ライカが穴蔵から出て来るのを待っているのか。
「ただの狼やないんやろなあ」
「まあ持っとるだろうな、例の病気。目が赤くなっとった」
「勘弁して欲しいわ」
例の、歩く死人の病だ。死体に病も何も無いような気はするが、あの現象を説明するのにはその言葉が丁度良い。
またこの辺りで見つかる『歩く死体』の殆どには、狼に喰われた後に動き出したと見られる痕跡がある。あれらが例外であるという期待はしない方がいい。
「こっちは風下だな?」
「そうですね。匂いではまだ気付かれてないと思いますよ」
耳で感じ取れるのは、山から来る若干の向かい風。敵はフィードやフィンカよりも勘の鋭い野生生物の群れだ。先手を打たれ難いのは僥倖と言える。
「ここを臨時拠点にして、フィンカと馬と、食糧と救命用具一式を置く。それから二人待機させる。遠くからこっちを確認して、必要そうなら出てきてくれ。それからもし二刻、いや一刻半、誰も戻れない状況になった場合は詰所に戻って隣町に応援要請を出せ。責任は俺とフィードが取る」
ラゼルは、アイゼンと共に居た方の二人の兵士を指差す。朝から捜索をしていたと考えると妥当だ。一方のアイラとハリーは目を合わせて肩をすくめている。
「馬には、前々から用意しておいたホローポイント弾を積んで来た。今回はそれを使う。
出来る限り茂みや物陰を避けて広い場所を固まって進む。それぞれの死角をそれぞれで補って、とにかく傷を貰わんように動いて駆逐するぞ」
「了解」
声を揃えて答えたフィードとアイゼンにつられて、他の人員もばらばらに返答する。
死体が起き上がって人を襲う以外は凶悪事件など起こらない、平和な町の兵達だ。ある程度中央で訓練を積んでいたアイゼンやラゼルは目をぎらつかせているが、他は皆明らかに怯えていた。
「戦い、か」
フィードは呟く。彼とて、この程度で竦むような人間ではない。しかしこのようなものをライカに押しつけていた体制は、やはり変えるべきだとも思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます