十九

 休息に入って腰を落ち着けたライカは、しばらく考え事をしていた。

 考え事と言っても、なにかはっきりしたものではない。輪郭がぶれた、過去とも未来ともつかない記憶の整理だ。

 しかし、夢は見なかった。当然と言えば当然だ。こんなところで眠れるほど彼女は無神経では無い。ただランタンの炎を見つめ、自身の思考と向き合っていただけだ。

 これまでずっと、『死者を眠らせる仕事』は好きでも、『死者を狩る仕事』は嫌いだった。だが今日この日のために、それを続けた。この日を待ち望んで殺し続けた。

 いよいよだ。成すべきことはもうすぐそこにある。

 隣で眠る少年を見る。なんて事はない、この町の住民らしい野暮ったい顔つきをしている。彼らがここまで来てしまっていた以上、いずれフィード達も調査に来るだろう。あの地下研究室の存在を隠し通すのは難しそうだ。

 それも考えて苛立ち混じりのため息をつく。ぐるぐると思考を纏めては散らかしているうちにふと、我に返った。

 今、外は昼を過ぎた頃だろうか。時計を取り出して開く。ここに立ち止まってから一時間程が経過している。

 そろそろ行かなくては。

 リューズを回し、動力を追加してやる。若干、どこかが引っかかる感触がある。

 この時計も、兄の遺体から拝借してから七年が経った。そろそろオーバーホールが必要なのかも知れない。遠方の伝手を辿るのは面倒だが仕方ない、壊れるよりはいい。

「起きな。そろそろ行こう」

 眠るレージィを片手で揺する。彼は少しぐずるも、目を開いた瞬間に今の状況を思い出したらしい。慌てて体を起こした。

「もうすぐ、広い場所に出ると思う。何が来るか分からないから、あなたは後ろを気にしておいて欲しい」

「何か居るのか?」

「居るよ。とびきりの奴が」

 寝起きにこんな事を言われ、レージィは息を呑む。彼には気の毒だが、首を突っ込んだ以上は手伝って貰う。雑用ないし盾くらいにはなってくれるだろう。


 程なくして、二人は地下墓地へと到達した。

 古い製法のコンクリートを積み、モルタルを塗り固めて造られた、無骨でありながらも壮麗な旧帝国様式の建築。ライカには見覚えのある光景だ。その威容に、後ろのレージィが呆気に取られている。

 半球状に整えられたその広い空間には、日光が差していた。部屋の中央、真昼の直上に昇った太陽が見える縦穴の真下には水場が設けられており、雨水などはそこへ落ちてくる。今は自然に張った水に藻や落ち葉が浮いている。

 また他にもいくつか地上への小さな穴が列を成して置かれており、星天、ないし惑星図を模しているようだった。あれらは装飾としてだけで無く、時計としてもある程度機能しただろう。

 斜めに掘った穴の途中にいくつか別の水路を設ける事で、日光を採りながらも余程の量ではない雨水を排水出来る設備も備えている筈だ。地下建築を好んだ旧帝国の設備ではよくある知恵らしい。

 この大きな部屋からは放射状にいくつも部屋が連なり、それらが全て納棺室となっていた。

 ライカの祖先はその部屋の殆どを片付けて寝台や機材、資料などを運び込んで研究室として使っていたという。

 部屋の反対側、地図でいう西側には一際大きな出入り口が見えた。ぼんやりと頭の中を漂うだけだった記憶が繋がり、溢れ出す。

「懐かしい」

 あの家の近くから、地下に入って通ってくる大きな道だ。出口はもう塞がれてはいるが、腕に刺された針の数だけ記憶の中に残っている。

 二人は太い石柱の向こうの入り口から小部屋の一つに入り、内部を調べる。棺を置く壁面の空洞には、所狭しと紙束や薬剤の入っていた瓶が並べられている。屋外と大して変わらない環境に長年放置されていたもので、状態はどれもかなり悪い。

 ライカはその紙束のうち一つを手に取ってみる。どうやら旧時代の文献の写本のようだ。今では使われていない文字で埋め尽くされている。

 古い言語だろうと、読もうと思えば読めなくはない。うっすら読み取れた内容は、古代人達の死後の世界についての考察。

 今はそれを読み耽る時間は無いし、下手に持って帰ろうとすれば崩れてしまいそうだ。一旦ここに置いてゆくべきだろう。

 ここは元々、廃坑に建てられたこの地方の王族或いは有力氏族の墓だったとかつて父から聞いた。

 生きていた時代も、背景も、何もかもが違う人々が思い描いた死後の世界。そしてそれらに触れる心地良い時間。なんとなくそれらを見ていた幼少の頃とは違う。懐かしくもあるが、それ以上に新鮮だ。

 その郷愁をふいにしたのは、人の死体の呻き声だった。

 小部屋の更に奥の部屋から、青年が一人現れる。目に生気は無く、服はあちこち破れ、その下の肉ごと鋭い歯で噛み千切られた跡がある。

「お友達?」

 ライカは背後のレージィに問う。彼が目一杯に顔を歪ませ、ゆっくりと首を振る。

「兄ちゃん」

 なるほど。どうやらあれが彼の兄、ドーラらしい。

「そう」

 呟き、スリングを回してライフルを構える。

 眉間に狙いを定めた所で、後ろから伸びた手によって銃身を掴まれる。

「まだ。まだ、助けられるだろう! 動いてるんだから!」

 レージィだ。やはり兄の死は受け入れられなかったらしい。その顔に浮かぶのは、懇願と当惑。そして彼に対するライカの怒りも、とっくに閾値を越えている。

 頭に登った血に身を任せてレージィを振り払ったライカはライフルから手を離し、背嚢から散弾銃を抜く。そして前方へ向けて引き金を引く。

 いつものライフルとは比べ物にならない反動を抑える。ドーラの腹が引き裂かれ、吹き飛ばされる。

「来い!」

 直後、ライカは殆ど背丈の変わらないレージィの首根っこを掴んで死体の元へと歩く。

 覗き込んだその死体は、脊椎をへし折る程の衝撃を受けたにも関わらず、まだライカ達に襲い掛かろうと上体を動かしている。

 顔面を撃つのは敢えて避けたお陰で、原型はしっかり残っている。その上でライカはレージィに、眼前の光景を突きつけて問う。

「見ろ。まだ『これ』はお前の兄か?」

 彼は、何も答えない。

「答えろ!」

 もう一度叫び、その首を強く揺する。

「違う」

 ライカに掴み上げられたままのレージィは嗚咽しながらも、どうにか言葉を発した。

 それを聞き、ライカは手を離して散弾銃を彼に預ける。そして、荒くなった呼吸を整えてライフルの先をドーラの額に置く。

「後で、ちゃんと弔うから」

 兄弟へ向けて、子供を宥める母のように呟く。そして再び引き金を引くとドーラは倒れ、沈黙した。

「こんな所に寝かせたんじゃ踏んじゃう。可哀想だから、一旦あそこのベッドに乗せるから手伝って」

 部屋の隅の朽ちかけた寝台を指差すライカの言葉に、レージィは黙って従った。

 横たえた遺体の白濁し切った目を、ライカは手のひらでそっと閉じてやる。

後で弔う。その約束で彼女はまた、生きて帰る理由を増やしてしまった。レージィは兄であった死体を見下ろし、ただ涙を流している。その思いの全ては分からない。ライカは彼らの過去など何も知らないのだから。


 先の銃声をきっかけにしたのか、あちらこちらの部屋から声がした。

 人間の呻き声は二人分聞き取れた。しかしもう一つ、それらに紛れて何者かすらも分からない不気味な猿叫もある。

 この悪夢の途上のような声の主が恐らく、ライカが長年追い求めた『敵』だろう。

「次は何? どうすればいい!?」

 泣きながら、レージィが尋ねる。

 考えるまでも無い。ライカはさっさと指示を出す。

「奥の部屋には何も居ないか確認してきて。安全だったらここで待つ。下手に出て囲まれるより、狭い場所で迎え撃った方がまだマシ」

 相手が何人、何匹居るかも分からない以上、ここで立て篭るのは間違いではないだろう。

 敵が持つ脅威はその俊敏さと生命力、それから感染力。

「この場所の事、よく知ってるのか」

 レージィが問う。先程からのライカの様子から気付いているかも知れない。

「ちょっとだけね」

 下手な事は喋れない。この場所について、まだしらを切れる余地は出来るだけ残したい。

「これとランタン、貸すから。弾は鞄のどっかに入ってる」

 ライカはレージィが手にしている散弾銃と、火のついたランタンを指差す。そして背嚢を下ろす。

 日光が多少入っている外の大部屋とは違い、ここと、奥の部屋はかなり暗い。

「銃なんて、初めてだぞ」

 レージィは震える手で背嚢から弾を取り出し、四苦八苦しながら散弾銃を弄って銃身を折る。先程使った方の弾と、まだ撃っていない方の弾が同時に排出される。慌てて片方を空中で掴み取って戻し、もう一つの穴にも弾薬を装填する。

「向けて、当てる。難しい事はない。銃身は熱くなるから気をつけてね」

 単純な構造の銃だ。最低限の注意さえしていれば、どんな馬鹿でも扱える。

 やがて大部屋側の暗い穴から現れた死体は二体。いずれも若い男児。損傷がかなり激しい。骨が見え、今にも千切れ落ちそうな部位まである。ただし、出血による汚れはやけに少ない。

 恐らく彼らは、死んで起き上がった後も尚、狼達の餌になっていたのだろう。

 レージィの顔は強張っている。泥を洗い流した涙の跡がまだ残る。

「大丈夫?」

 敵の前だ。目を合わせる暇は無いが、彼にそっと尋ねてやる。

「ああ」

 裏返りそうな声で答えた。この様子なら、今は問題無いだろう。

 ライカは今のレージィよりも小さかった頃、動き回る死体に弾丸を当てた事がある。あれに比べれば、腐敗の始まった死体の相手など容易い。それがよく知った顔でなければ。

「反動がかなり大きい。怪我しないようにね」

「分かってるって!」

 忠告に対し、やや怒り気味で返される。漁師の子とは言え殺し合いや戦争、そういう命のやり取りとは無縁のただの子供だ。それが突然こんな場所に放り込まれれば、不安で憤りもする。

「じゃあ、始めるよ」

 ライカはライフルを手にし、部屋の外へ向けて構える。レージィはそれとは逆の暗闇を照らして中へ入ってゆく。

 外の死体の歩きは遅い。あれらは問題にはならないだろう。厄介なものは別に居る。

 鈍重に。まるで、王とその従者のように現れたのは巨大な怪物と、真っ赤な目をした狼だった。

 怪物の方はもはや人の原型を留めておらず、四肢と崩れた頭があるだけだ。かつては腫瘍で膨れていた顔や身体の皮膚は破れて斑模様に壊死し、筋組織が露出する潰瘍状になっている部分が目立つ。

 深い体毛に包まれ、筋肉、というよりは肉腫の塊のような身体が蠢く。細胞の異常な増殖に、骨の方が悲鳴を上げていそうだ。

 あの事件の頃とはまた別の生物のようだ。最早、元が何者であったか外見からでは推察するのも不可能だろう。それでも、伸びて歪に捻じ曲がった右手の五本の爪が、ライカの記憶を揺さぶってくる。

 忘れるものか。家族を、皆を殺した爪だ。

 それの、残されている左側の眼球がこちらを見る。ライカのものと同じ、紅い色だ。それが、僅かに細くなったような気がした。

 その怪物が、おもむろに左手を持ち上げる。そして、すぐそばに控える狼の頭を撫でた。

 愛でるように、慈しむように。狼も、目元を下げて、その手のひらを受け入れる。なるほど。あれが、新しい家族だったか。

 あれらに指示を出し、子供達と、ライカをここへ誘い込んだのか。狼は、何かを承知したと言うように吠え、ライカ達が来た道へと走ってゆく。

「ふざけるなよ」

 それを見ているうち、怒りが腹の底から噴き出してくる。先程のレージィに感じたものとは比べ物にならない、何年も煮えたぎって焦げ付いていた怒りだ。


 ライカが部屋の入り口から少し出て、石柱に寄り添ってブレを抑えながら歩く死体の一方を狙い撃つ。距離がそれなりにある上、遅いとはいえ動体だ。光源の少ない場所で当てるのは難しい。

 一発外し、アンダーレバーを動かして排莢する。もう一発。外す。排莢。三発目にして、ようやく胸に入った。うまく肋骨をすり抜けてくれたのか、死体は静止して倒れる。

 次の死体を狙う。その間、あの怪物は不気味な程静かに佇んでいる。

 ちらりと怪物を見ると、笑っていた。獲物を見つけた獣の釣り上がる口角ではない。例えるなら、子供が遊ぶのを見守る親の微笑み。

 見覚えがある。森でミオやレイオと戯れあっている所へ顔を出しに来た、父の面影が見えた。全身を悪寒が走る。

 ここで、レージィが奥から何かを抱えて戻ってくる。そして怪物を見て身体を強張らせる。

 すぐ気を取り直してライカの横顔を見た彼が、不安げに尋ねてくる。

「あんた、怒ってるのか?」

 随分と人の機嫌に敏い子供だ。

「そんな事はない」

 ライカが淡白に返答しても、彼は訝しげな顔をする。こちらにはこちらの『家の事情』がある。深入りは避けて欲しいものだ。

 もう一つの動く死体を撃つ。今度はすんなりと当たった。レージィが顔を背ける。

「ごめんな、ごめんな」

 どこへともなく、レージィが謝る。友人の死など、そう見たいものでもないだろう。

「狼はもう居ないのか?」

 彼はライカの方を見ずに聞いてくる。

「一匹、どこかに行った。群れを呼びに行ったのかも」

「まずくないか」

「まずいよ」

 ただでさえまともにやり合えるような相手ではない。ここから更に敵が増えれば、ライカ一人ならともかく、二人では逃げ切る事すら不可能だろう。

「そうだ。これ、使えないかな」

 打開策を考えていると、レージィが引きずっているものを掲げた。

「何それ?」

「さっき見つけたんだ。兄ちゃんの」

 レージィが持ち上げたのは、漁に使うであろう頑丈な網だ。

「それだけじゃ何にもならないと思うけど」

 そこそこの大きさはあるが、ここは水中ではない。せいぜい足を引っ掛ける子供の悪戯程度にしか使えない。

 すると、彼は首を振った。何か考えがあるらしい。

「ランタンの油、借りるよ」

 言うが早いか、彼はライカのランタンの火を消し、給油口のキャップを外した。そして床に置いた魚網に油を振り撒く。

「なるほど」

 流石、町では火遊びを繰り返していたというだけはある発想だ。網全体を燃やすには燃料が足りないだろうが、捉えたものを丸焼きにするには良いだろう。特に、毛むくじゃらの獣などは。

「一旦部屋に戻る。念のため、敵が来ないか辺りを見ておいて」

 またレージィに指示を出すと、彼は頷いた。ただの子供の割には、この状況で落ち着いてよく動くものだ。

 一方で怪物は未だに動きを見せない。ドームの中央で陽を浴びながら、こちらの準備を待っているかのようだ。

 こちらを侮っているのか。それとも、遊んでいるつもりか。どちらにせよ都合は良い。

 一瞥し、ライカは小部屋へ戻る。

 戻ったライカが背嚢から取り出したのは、火薬の比率を変えた強装弾を入れた小袋。

 このライフルは強い火薬を使えるセンターファイア式の実包を使うものの、構造上は頑丈とは言い難い。

 威力の高い弾は乱用できないが、『今撃てればそれでいい』。

 先に撃った弾の数だけ一発ずつ、装弾口からチューブ状の弾倉に詰める。これなら、あの怪物の皮膚や筋肉をぶち抜ける。

「これが最後になるといいな」

 誰に語った訳でもない。金属音と共に、ライカはレバーを動かした。

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