十八
ようやく書類仕事を終えたフィードは固まった首を回す。それから、両手で顔を覆ってから、硬く獣に近い髪と耳を撫で付けてやる。掛け時計を見ると、針は昼前を指している。
この国のほぼ全てのやり取りは法に則った手続きに支配されている。目立った紛争の無い現代では兵隊とは名ばかりの彼らはそれら手続きを可能な限り把握し、権限を行使出来るようにしておかなければならない。
しかし実際問題として、それが出来る人材はこの職場では限られている。その上、中央は現場の事などお構いなしに電報を送ってくる。お陰で探索に出遅れ、ライカと話をする事も無かった。
階下が少し騒がしい事に気付く。抗議に来ていた住民は家に帰した筈なのだが。
耳をそば立て、疑問符を浮かべながら階段を降りる。すると捜索に出していたアイラとハリーが帰ってきていて、ネイトと共にカードゲームで遊んでいた。
「何をしているんだ?」
「見ての通り、ポーカーですよ」
問うと、ハリーが答える。彼が場に放り投げた手札はキングハイのブタ。その後、五と九のツーペアを出したネイトがしたり顔で卓上の硬貨を掻き集める。勤務時間中な上に、上官の顔を見る事も無い。中央なら叱責では済まない。
「捜索はどうした?」
フィードはまた問う。森にはまだ、アイゼンをはじめとした捜索隊が数名残っているだろう。何故彼らだけがここに居るのか。
「あの娘が帰れって」
「ライカが? 何故?」
やはりあの子は勝手に出向いていたようだ。しかし今それは問題ではない。
「狼が出るって脅された」
「それで大人しく帰って来たのか」
珍しくフィードは歳上の部下を詰問する。せめて戻ってからすぐこちらに報告をしておく事も出来ただろうに。
「自分からやるって言い出したんだ。勝手にやらせればいいでしょうよ」
二人の言い分に、フィードの口から大きくため息が出る。尻尾は限界まで垂れ下がっている。
顔を上げ、彼ら一人一人の不服そうな顔を見据えてやる。そして、声を張り上げる。
「今すぐ森へ行くぞ。帰ったら話す事がある! この大馬鹿野郎共!」
フィードが言い放つと、その場の一同が驚愕し、こちらを向いて唖然としている。この土地を訪れてから初めて、彼らに悪態を付いてしまった。
ともあれ一刻も早く発たなければならない。必要なものを思い浮かべて説明しようとした時、タバコの匂いの混じる嗅ぎ慣れた体臭がした。
「隊長」
フィードが振り向く。すると、正面出入り口を開けてラゼルが現れた。どうやら聞き込みの後だったようだ。それを見た三人の部下達が渋々椅子から立ち上がる。
「フィード。フィンカを連れて森の捜索隊と合流しろ」
突然名前を呼ばれ、部屋の端で寛いでいたフィンカが誇らしげに立ち上がって吠える。
戻るや否やの指示だ。何か分かったのだろうか。考えていると、ラゼルは少し興奮して話しだす。
「聞き込みをやっていたら、昔、メーアバウムが立ち入り禁止にした坑道を思い出したんだ。殆ど話題にも出んもんだからすっかり忘れとった」
古代の人々が鉄を掘った穴だ。百年前の調査書を読んだ時にその記述があった。
「ああ、どこかの記録で読んだような。でも入植当時に遭難対策として、出入り口は全部塞いだとか書いてましたよ」
フィードも己の記憶を引っ張り出す。もしその記述が正しければ、そこに入り込む手段は現存していない。
「あの怪物がもし本当に『あの人』ならば。あの家の研究室があるのは何処なのか。それを考えて、やっとそこへ思い至った」
ラゼルが腕を組んで話す。フィードは昨日の夜の会話を思い出す。少しずつ話の全貌が見え始めた。
「まだ開いてる入り口があって、そこから怪物が出入りしている。そして下手をすれば子供達やライカもそこに居ると?」
「あの子は昨日、化け物の居場所には『見当が付いている』と言っていた。俺にはそれを教えてくれんかったが、先に化け物の元に辿り着いているかもしれん」
昨日、彼女はラゼルやアイゼンと話をした。その時点で既に何かが分かっていたのであれば確かに、先走っていてもおかしくは無い。
「曲がりなりにも一日中探したんだ。これで見つからないとなると、可能性が無くはないだろ」
ラゼルの推測にフィードは頷く。ライカが隠す秘密の場所。それはあの家に関わりがあるのは間違いない。
「それからアイラ、ハリー。お前らもフィードに付いて行け」
カードの散乱した卓を囲う二人が、ラゼルの指示を受けて姿勢を正して返事をする。
「俺は町に残って探る事がありそうだ」
そう言ってラゼルは背を向ける。もう出て行くつもりらしい。
「心当たりがあるんですね」
フィードが聞くと、ラゼルは頷く。
「あの爺さんだ、墓守の。何度か一緒に酒を飲んだが、あの子とよく似て無愛想な奴だ」
町に住むフラントという男性だ。以前フィードは、葬式の後の彼女へ取り次いでもらった。
「今度は殴ってでも話を聞き出す。そんでから、馬を出してお前らに追いつく」
殴ってでも。ラゼルから不穏な言葉が飛び出る。過去に何かあったのかも知れないが、詳しくは聞かない。それは当人同士で解決してもらう事にしよう。
「さあ、急ぐぞ」
ラゼルが出て行くよりも先に、フィードは手を叩いて部下に準備を促す。銃や弾、ランタン、食糧。用意するものは沢山あるし、距離もある。急がなくては。時間だけはどうあっても足りないらしい。
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