十七
暗闇の中にレージィを見つけ、ライカはついでに小休止を取る事にした。
後方の狼の気配は今のところ無い。腰を下ろし、背嚢から水筒や携帯食糧を取り出す。
長時間の移動と湿気のせいで、まだ冷えるこの時期にも関わらず汗をかいた。通気性が悪く、背中に張り付く布地が鬱陶しい。
水を一口含む。蒸留酒のような芳醇な味わいは無いが、それでも十分に身体を潤してくれる。
「飲みな。あんまり一気には駄目だけど」
ライカがその水筒を差し出すと、レージィは少し戸惑う素振りを見せてからそれを受け取って礼を言う。
「ありがとう」
そしてその場で彼の様子を看ながら、ここまでの経緯を聞いた。屋敷からここへ逃げ込み、奥へ奥へと追い込まれるうちに一人ずつ居なくなった事。引き返そうにも時折聞こえる狼達が駆ける音にどうしようも無く、ここで灯りを消して二晩も息を潜めていた事。
持ち物はくたびれた肩掛け鞄と、錆びたカーバイドランプだけ。食料などは何も無い。
あの家を荒らした馬鹿共の仲間だ。こうして助かる機会を恵んでやるのも癪に触るが、その強かさに免じてやることにする。それに、彼が持つ情報も欲しい。
「一日半以上か。こんな所でよく平気だったね」
尋常ではない緊迫状態に置かれた彼の心理状態を確認しなくては先に進めない。坑内の汚水を飲んでいたり有毒ガスを吸引していた場合の中毒も懸念される。
「小さい頃、夜中に放り出されて家へ入れてもらえなかった事が何度もある。そのおかげかもな」
一応、『真っ当な』父の元で育った彼女には想像もつかない世界。理屈の通らない理不尽というものは、形を変えて何処にでもあるものだ。
「そのランプは? もう点かないの?」
ライカが問うと、レージィはランプを振る。ガラガラと、中で炭化カルシウムが音を出す。
「点火用のマッチを使い切ったんだ。元々少なかったから」
本体上部に水を入れ、下部の容器に入った炭化カルシウムへ垂らす事でガスを発生させて着火する事で光源とする道具だ。多少錆は浮いているが、密閉性は問題ないだろう。
助けるつもりは無いし、擁護する気も無いが、あの怪物の住処を予想出来ていた点のみは評価出来る。子供達の中では相当『マシな部類』に入る。
「しばらく休んだら、まだ奥へ潜る」
「助けに来たんじゃないのか?」
「『私の仕事』は違う。それに、あんたはもう兄さんや友達がどうなっても良い?」
それを聞くと、レージィは黙る。他所の家庭事情、他人の交友関係に興味は無いが、もし他に生存者がいた場合には後顧の憂いになりかねない。
「どちらにしろ、後ろはその狼達に固められてる。私だって出られない」
「じゃあ、どうするんだよ」
「親玉がいる。そいつを殺す」
どうやってここから出るか、には答えない。『何を成すべきか』、ライカにはもうそれしか見えていなかった。
小さな灯りの元、二人の間には沈黙があった。
「こんな町、早く出たい」
パイル地のタオルを枕に寝転び、ライカの外套を借りて被ったレージィがぽつりと呟いた。
「そう」
ライカは興味を向けていない。彼の思いにも。町の外にも。
「こんな土地に生まれて、こんな場所で死にたくない」
「そうかもね」
まだ正気でいる分はマシだが、やはり暗闇と空腹、それから恐怖による睡眠不足は彼を感情的にさせているらしい。ライカにとってはどうでもいい愚痴のようなものが次々と出てくる。
「父さんも母さんも、俺たちの事は喋る漁具ぐらいにしか思ってないんだ。もし死んだって聞いても、そりゃちょっとは悲しむかもしれないけど、すぐに元通りの生活に戻るよ」
彼の親の顔を思い出す。確かに、母親はともかく父親はそんな人間である気がする。
「俺達が死んでも、誰も構わないんだ」
反吐が出る。たかだか十四程度の子供が分かったような口をきく。
「そういうことは、死んだ事のある奴にしか分からないよ。死んだ奴は何も喋らないし、何も感じないけどね」
大抵の人間は自分の死がちらつけば大人しく、謙虚になる。彼もその例に漏れていない。いっそ死んでくれれば、もっと静かになるのだが。
そして、ライカは自分の苛立ちの理由を一つ理解した。勝手に突っ走った挙句に悩んで、落ち込んで、自分の死を貶めるような奴はろくなものではない。
子供は嫌いだ。こんなものと一緒の思考には陥りたくないと、ライカは思ってしまった。
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