十五
ライカが狼の後を追うと、入り口はあっさり見つかった。
大小ある岩と、土壁には大きな爪痕が残る。鉄格子の扉は錠前ごと飴細工のようにねじ曲がっていた。
怪物はやはりここから外界と地下を行き来していたらしい。
旧い時代、この土地の命綱となっていた鉱床には坑道が血管のように伸びる。いくつも枝分かれしており、水没箇所も崩落箇所もある。ライカは何度も行き止まりにぶつかった。
戦中、万一があった場合に開く避難用の抜け道としても、この複雑怪奇な坑道は利用価値があっただろう。それと同時に、逆にここから侵入しようとする敵への対策も必要だ。そのために設けられた要所を区切る門はとうに朽ち果てて、痕跡だけが見受けられた。
陽の光は届かない。沈黙の中で、ランタンの炎が影を伸ばす。ゴーグルを掛けると暗さで何も見えないため、額の上に乗せておくだけにする。
あれから狼達は一切の干渉をして来ない。それがかえって不気味さを増している。だが、所々に食いかけの兎や狐の死体が転がっている。どれも殆どの肉を啄まれて腐敗しており、起き上がる余地さえ無い。
ここは、狼達の巣になっているのだろうか。だとすれば子供達も、食糧としてここへ誘い込まれたのかも知れない。異臭に包まれながら傾斜の付いた穴を下る。淀んだ大気には無臭の有毒ガスが混じっている可能性もある。まるで、死後の世界への往路だ。
記憶の中にある目的地の位置と、今居る場所との距離を合わせて大まかな方角を定めて歩く。また分岐点では、目印になるよう戻る方向に向けて石を置いてゆく。
奥に進めば進む程無秩序に、また平面だけでなく縦横にも伸びて繋がる道。何も知らずに探索するのはかなり危険だ。せめて帰り道ではこれが助けになってくれるといいが。
不意にライカはある事に気付く。生きて帰る方法をきちんと考えている自分が居る事に。
あの怪物を殺して、それから自分には何が残っているのか。誰とも群れず、誰も愛さず。そんな彼女が生きる意味を失って、何処に帰る場所があるのだろうか。
一つだけ、思い至る。墓地に眠る死者との契約だ。彼らが完全に土に還るまで、ライカは死ぬ訳にはいかない。
そして、逆を言えばもうそれしかない。
彼女が死ねば、フィード達は迷わずこの土地に火葬場を建て、文明の炎で人との死と穢れを焼き尽くしてあの墓地は役目を終える。
そうして忌々しい循環は断ち切られ、メーアバウムの血は宿業から解放される。
そうなったら、どれだけ幸せだろうか。
坑道のかなり深くまで潜った。
水音がする。天井から滲み出た水が岩を穿ち、留まっている。
ライカは立ち止まり、ランタンを地面に置く。そして、振り返った後ろの暗闇に語りかける。
「おいで。そこに居るのは分かってる」
声が反響する。どこまでも突き抜けてゆく音が、歩いてきた道の長さを物語る。
やがてその声に応じるかのように、小さな四つ足の輪郭が見えて来る。
ライフルを構える。暗くてはっきりとはしないが、若い狼だ。
「さっき怒られた子? もう食べていいって言われでもした?」
群れの主は今、迂回路でも通らない限りはライカの先に居るはずだ。命令の撤回は出来ない。恐らくこの個体は、我慢出来ずに先走って彼女の前に姿を現したのだろう。
集団が一枚岩にならないのは、人も獣も同じらしい。
狼は口元に泡を浮かべながら、何度も繰り返し吠える。甲高い音が坑内に響く。
酸欠を起こさないのだろうか。明らかに異常な状態だ。そうかと思った瞬間、それはこちらへ向かって駆け出した。
狭い一本道を、馬鹿正直に突き進んで来る。
位置を予測し、その頭に銃弾を叩き込む。
湿ったこの場に似合わない、乾いた発砲音が響く。
瞬きをする間も無く、哀れな獣の頭蓋は砕け、倒れた体から脳と血液がこぼれ落ちる。
排莢する。ランタンの炎に照らされた真鍮の薬莢が一瞬光る。
「もう少し経験を積んでいれば、私を殺せたかもね」
亡骸に近寄り、ライカは語りかける。当然だが、獣に言葉は届かない。ましてや死んだ獣になど。
ほんの少し、祈ってやる。そして背を向ける。
追ってきたという事はやはり、退路は彼らの群れに固められているようだ。今のような相手ばかりなら突破も不可能ではないだろうが、そう楽観的に考えない方がいい。更にその上で、ライカよりも奥にいる個体からも狙われる挟撃ともなればまた話は変わる。
そんな事を考えたところで意味はない。退くつもりなど初めからない。ただ誘われるまま、深みに沈んでゆくだけだ。
どこからか、人の声がした。おうい、おういと繰り返す。
子供の声だ。銃声を聞きつけたのだろう。暗闇の中で、助けを求めている。
「誰?」
「レージィだ! フロエの息子の!」
問い掛けにきちんと答えが返ってくる。生きている『人間』だ。
生存者の発見だ。全く歓迎するつもりのない幸運に、ライカの口からは自然と舌打ちが出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます